少年の役割
自分以外の黒髪を目の前にして、村田は感嘆の声をあげた。
「へえ。よく出来てるねえ」 「我が国の総力を集結させて作ったからな」
つまらなさそうに答える魔王に、村田は口を閉じた。が、それを相手に気づかれる前に「たいしたものだ」と訳知り顔で頷く。おそらく、もともとは別の人物のために作られたものなのだろう。
「こっちにカラーリング剤があるとは思わなかったな」
物珍しそうに自分の前にいる若者に目を向ける。相手は村田の言葉の意味がわからないからか、それとも本物の双黒を目の前にしているからなのか、困惑と緊張を滲ませた面持ちで村田を見返していた。 よく見ると完全な黒髪ではない。けれども遠目だったら十分誤魔化せる範囲だろう。 しかし、それでも双黒の大賢者の代わりには決定的に足りないものがあった。ひとしきり黒髪もどきを観察して、村田は眞王を振り返った。
「瞳は?」 「無理だ。髪を黒に近づけるだけでもどれだけの労力を使っていると思う?」
無論見当もつかないので首を横に振る。
「黒は最も高貴な色だ。俺も今まで、身に宿した者を見たのは一人だけだ」
説明する彼の口調はすべらかだか、表情にどこか影を感じて村田は知らず喉を鳴らした。『彼』のことを話すときの王は、村田を少し苦しくさせる。 そんな村田の心中など知らずに相手は言葉を続けた。
「俺が直々に手をかけても、髪をその色にするのが限界だ。第一、偽りの黒で身を染めることがどれだけ勇気がいることか分かるか?その者は我等の最も忠実な臣下の一人だ」
言って魔王は若者に笑みを向ける。微笑まれた相手は、ひどく驚いた顔をして目を見開き、すぐに感極まったように首を左右にぶんぶんと振った。感動で声も出ないらしかった。
「そっか、ありがとう」
王の言葉で、村田にも目の前の彼が大変な勇気を持って髪を染めたのだろうことが分かったので、にこりと笑って感謝の気持ちを述べる。
「ッ!!」
すると、言われた相手は先ほどよりも更に目を白黒させて、更には口をぱくぱくさせた。酸欠になりそうな相手の様子に村田は苦笑する。双黒が非常に高貴で珍しいのは理解しているが、少し大げさすぎないだろうか。
「下がって良いぞ」
反応の過激さに困惑気味の村田を尻目に王は優雅な所作で臣下に命令する。その慣れた様子は威厳に満ちていて有無を言わせないものがあった。若者は途端、「はっ!」と居住まいを但し深々と敬礼をして部屋を後にした。 見事だなと村田は感心する。開けて閉められた扉を見て、命を下した人物に視線を移すと、相手の顔もこちらを見ていた。不自然に眉を吊り上げて彼は言う。
「お前は見目が良いのだから、言動には気をつけろ」 「は?」 「所構わず臣下を刺激するな。士気に関わる」 「そんな、大げさな」
あまりの台詞に村田は呆れて否定しようとするが、相手の様子に揶揄は見られない。双黒、というこの世界において特殊な容姿が、どれだけ魅力的に映るかは十分に分かっている。それは現魔王である渋谷有利を見ても、村田自身の過去の遍歴を辿っても明らかだ。 しかし村田は彼自身が生まれてから十数年も、日本という、この世界とはあまりにもかけ離れた価値観の中で暮らしていたため、理解しているつもりでも身に染みてはいなかった。
改めてつきつけられた事実に(しかも自分の容姿が人並みはずれているという、実に恥ずかしい類の)、村田は身の置き所がないような気持ちになる。何といっても謙虚を美徳とする日本で何年も生きてきた少年だ。褒められることにはさほど慣れていない。 どう切り返すべきか、珍しくしばし逡巡する村田に、当の発言者は不機嫌そうにふいと顎をそらした。軽くカールがかった金の髪がピンと揺れる。
助け船は思わぬところから出た。
「まあまあ、しょうがないですよ。猊下はご自分のことに関しては無頓着ですからね〜」 「そんなことは分かっている」 「君たちね…」
ピン、と少しの間張り詰めた部屋の空気は、傍で控えていた従者の、のんびりとした声に遮られた。失礼とも取れる発言に王は即答で同意し、賢者は若干顔を引き攣らせる。しかし村田自身自覚がないわけではないので、得意の饒舌で応戦するわけにもいかない。 事実、そのために幾度も己が身を危険に晒し、たった今涼しい顔でこちらを見ているオレンジ頭にそのたび助けられた過去がある。
「まあいい、とにかくお前の容姿が尋常でなく人を惹きつけることは覚えておけ」 「了解……」
村田にとってはひどくむずがゆい言葉を、恥ずかしげもなく吐き出す相手に諦観さえ抱きつつ、ため息ながらに返事を返すと彼は満足そうに頷いた。
「よし、じゃあ行くぞ。あとのことはあいつが何とかする」 「瞳は紫のままだったけど大丈夫なのかい?」 「ああ、距離があれば問題ないだろう。どうせ黒い髪を見ただけでだれもが賢者だと思う。しかし長くは持たない。俺の影武者もな」 「急がなくてはいけないんだね?」 「ああ」
言って堂々たる風情で建国の王は踵を返す。が、扉に向かう直前、顔だけで村田を振り返った。
「本当にいいのか?」
およそ彼らしくない発言に村田は目を瞠る。しかも、今更だ。 毅然とした様子は変わらぬまま、仮にここで村田が態度を翻したとしても彼の意思に関係なく、自身の思い通りにするのだろうに。 ―――それでも、聞かずにはいられなかったのか。 態度と相反する台詞に村田は、ふっとやさしげに目を細めた。
「それがこの国のためになるのなら」 「そうか」
村田の言に一瞬ほっとした表情を見せて、しかしすぐに凛と前を見据えて彼は告げる。
「急ぐぞ。グリエも、準備はいいか?」 「俺はいつでも」
焦る素振りも見せずに頷く従者と、穏やかにたたずむ賢者を確認して、魔王は今度こそ扉に向かった。背筋の伸びた後姿を見やって、村田とグリエは何となく目を合わせた。 後には引けないと、口には出さないけれど互いに分かっていた。魔族の源の王によって開かれた扉を二人は、ただ、くぐる。 |