唯一の存在

 

 

 

 

 

 向かう場所は海を越えた所にあるらしかった。目立つわけにはいかないので小型の客船に乗り込んで三人は目的地へと出発した。

 

「本当に三人で行くとは思いませんでしたよ」

「建国してさほど経っていない国に、王も賢者もいないなどということが知られるわけにはいかないからな。俺たちの影武者にしかこのことは知らせていない」

「徹底してるね」

「当然だ」

 

決して広くはない中級客室の中で男三人が円を組んで話し合うさまというのは、その内容が国家機密であってもいささか情けないものがある。しかし上級を選択していらない詮索を受けるよりは、より一般に近づくことが隠密行動の原則だ。

 

 そう説いて中級客室を勧めたのはグリエなのだが、正直、村田はともかく一国の主であり、眞魔国にとっては至高の存在である眞王までもがそれを快諾するとは彼も思っていなかった。予想外の王の柔軟性をグリエは内心意外に感じていた。

 そして王と賢者の影武者まで用意する用意周到さ。

 建国の英雄は、その卓越した魔力以外にも常人とは明らかに異なる資質を持っているようだった。上に立つ者に必要な諸要素を、まさしく彼は全て兼ね備えているかのようにグリエには思えた。

 

「ところで、その、魔剣とやらの居場所は本当に見当がついているのかい?」

「無論だ。心配するな」

「ならいいけど。でもその魔剣獲得になぜ賢者が必要なのかがわからないんだけど」

「あ、それは俺も聞きたいと思ってました」

 

村田の発言にグリエも相槌を打つ。建築途中の眞王廟で、グリエは村田を胸に抱いた眞王と会った。そのときになぜ彼が後世の賢者を呼んだのか、大体のあらましは聞いた。

 曰く、失われてしまった「双黒の大賢者」の代わりとなる人物がどうしても必要で、彼を呼んだのだと。それは国にとって、そして後の眞魔国にとっても不可欠なことなのだと。

 

 そう言った伝説の王にそのときは気圧されてグリエは納得した。なぜそれが「村田健」であったのかを疑問として抱く暇などなかった。魔王の言葉はそれだけでグリエを頷かせる力があった。

 そして今度も、グリエがその不自然さに気づく前に王は口を開いた。

 

「国を存続させるには、魔剣を手に入れなければならない。そして魔剣を手に入れるためには、賢者が必要だ」

 

静かに、そして冷静に紡ぎだされる言葉に、村田もグリエもすぐには反応を返すことが出来なかった。

 

「………どういうこと?」

 

さすがに4000年のキャリアの違いか、先に言葉を返したのは村田だった。彼にしてみれば自分自身に深く関わることなのだから、聞き返さずにいられないのは無理もないが。

 訝しげに自分を見つめてくる村田の瞳を王は涼しげに受け止めた。そして自然な仕草で目の前にある、つややかな黒い髪に指を伸ばした。

 

「!」

「なぜ、この世で双黒がこんなにも重要視されていると思う?」

 

驚いて一瞬身を引く村田に構わず、金の髪を持つ偉大な青年はその漆黒を指で梳くのをやめない。グリエはその光景をなんともいえない心持ちで見ていたが、口を出すようなことはしなかった。

 

「黒は、世界に愛された色だ」

「………?」

「双黒は普通、同じ世に二人は生まれない。……お前がいた時代はどういうわけか例外のようだが。本来ならば有り得ないことだ。双黒は唯一無二だからこそ意味がある」

「だから、それはどういう…」

 

口を挟んだ村田を王の手が優しく遮る。そしてその手は頬を下から上になぞり、目の縁で止まった。

 

「実に美しいな」

「………」

 

零れ落ちた言葉に、村田だけでなくグリエも目を見開いた。しかし、その後に告げられた事実は更に二人を驚愕させた。

 

「この至上の美を持つものが、世界を手に入れる」

「「?!」」

「そう伝えられている。遥か昔からな」

 

賢者に手を添えたまま、彼は僅かに目を細めた。

 

 

 

***

 

 

 

 漂う波間も見えないほどに辺りは暗くなっていた。室内を出て外に足を踏み出すと、中の喧騒はほとんど聞こえない。音といえば水面を波が揺らすさざめきくらいだ。

 船の大きさに関わらず、上級客室の客人用のパーティというのはどの船でも催される。中級を選択した自分たちには関係のないことだが、どちらにしろその華やかな雰囲気もデッキの上までは届かない。

 

 グリエは、船縁に身を預ける背中にゆっくりと近づいていった。彼からしてみれば随分と小柄な体はピクリとも動かない。潮を含んだ穏やかな波風が、茶をうわのせて黒を隠した髪を絶えず揺らしていた。

 

 隣に並ぶと、彼はちらりとグリエに目を向けた。夜目が聞くとは言えどさすがにこの暗闇では彼の顔は見えない。しかしグリエは相手の動きでそれを察する。そして、すぐに逸らされた今は水色に近い青と化している瞳を思い描いた。

 

 どれくらいそうしていたかは分からない。ぶるり、と隣の体が僅かに震えてグリエは彼に声をかけた。

 

「寒いですか?」

「いや、涼しくて気持ち良いよ」

 

確かに言うとおり、今夜の風は夏特有の熱風でもなく、また船上でありがちな強い風でもない、多少生温いが穏やかないい風だった。ザザン、と船が波間をゆく音も涼しさをより感じさせる。

 

「彼は?」

「お部屋でお休みです」

「一人にして良いのかな」

「猊下についているように言われたんで」

「そう」

 

村田の言葉は短い。自身の思考を整理するために会話をしているかのような印象を受ける事務的なやりとりに、グリエは苦笑する。心ここにあらず、という感じだ。

 普段は飄々としていることが多く、彼の胸のうちを探ることはたやすいことではないが、今考えているだろうことはグリエにも容易に推し量れた。

 

「さっきの言葉、本当なんですかね」

「…………さあ」

 

ふっと意識を戻したように村田は答える。

 

「少なくとも僕は、知らなかったな。君は?」

「俺も聞いたことないですね。双黒の尊さはそりゃあ誰だって知ってますけど、世界をどうこうなんてことは…」

「だよねえ。まったく、双黒の大賢者の魂を受け継いでるなんていったって、そんな何千年も前の事情なんていちいち覚えてられないよ。しかもあっちとこっちを行き来してる身だからさ。まあでも、伝説の賢者がいた時分にはそういう言い伝えがあったのかもね」

 

記憶が古すぎて定かじゃないや、と明るく笑う村田は普段以上に饒舌のようにグリエには思えた。目が夜に慣れても、闇がぼんやりと彼を覆ってその表情までは読み取れない。

 そのことに少しの焦りを覚える。常から感情を顔に出さないのが得意な彼なので夜を味方につけられるとこちらは両手を挙げるしかない。

 

(………何をお考えなのだろう)

 

 それきり口を閉じてしまった相手に、そうは思うけれどグリエも何も言わなかった。自分が傍にいることを彼が認識できるかどうかも分からないほどに気配を消して、同じように海を見ていた。

 

 ただその隣を離れないことが、彼が今やるべきただひとつのことであるかのように。 

 

 

 

 

 

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