宿命の歯車
「それで、眞王はなんて?」
グリエをソファに座らせ、村田はベッドに腰掛けた状態で互いに向き合う。さっきグリエは「眞王に聞いた」と言ったので、そのときに何を聞いたのかを知りたいと村田は思った。考えてみれば、グリエが一緒にこちらに来たことを知った途端に彼の部屋を飛び出してきてしまったため眞王本人からは何も聞いていない。
「と言いますと?」
問いに問いで返されて村田は一瞬口をつぐむ。が、すぐさま持ち直して再び口を開いた。
「答えをはぐらかすなんてらしくないんじゃない?君は、なぜ眞王が僕をこちらに呼んだのか、その理由を彼から聞いたのではないの?」
有無を言わせない口調で詰問すると、今度はグリエが黙った。しかし彼は彼で切り替えが早い。少しの間をおいて慎重に頷いた。
「……ええ、お聞きしましたよ」 「じゃあ教えてもらえるかい」 「俺の口からは言いかねます」
きっぱりとした口調に村田もさすがに躊躇する。しかし、逡巡する前に言葉は彼の口からこぼれてしまった。
「双黒の大賢者に関係することだろう」 「!」
相手の目が瞠られるのを認めて、村田はやはり、と確信する。少し考えてみれば簡単なことだ。大賢者の魂を持つ自分が眞王の意思によって動かされたのだから、双黒の大賢者がそこに関連していることはまず間違いない。 そしておそらく、この答えも外れてはいないだろうと思いながら村田は対面している青の瞳をまっすぐに見つめた。
「大賢者は、もうここにはいないんだね」 「………」
彼がこの国にいないのか、それとも彼自身が既に存在していないのか。そこまでは正確にはわからないけれど、おそらく後者だろうと考える。 グリエは口を開かなかった。何を思って彼が言葉を発さないのか村田には推測しかねる。彼にとっては眞王と並ぶほどに尊い人物である双黒の大賢者に関することをおいそれと口に出すわけにはいかないのかもしれないし、あるいは村田の言が意外だったのかもしれない。
とにかく、相手の沈黙を村田は肯定と取った。
「なるほど、それで、僕は何をするべきだと彼は言ってた?それともそれも彼の口からでないと聞けないことなのかな」
淡々と、事務処理のように言葉をつむぐ村田をグリエは少しだけ唖然と見ていたが、すぐに呆れたように肩をすくめた。どうやら選択権はないらしい。
「猊下のご明察に頭が下がる思いです」 「嫌味なら後で聞くよ」
コンマ一秒で切り返されてグリエは苦虫を噛み潰したような心持ちになる。しかし目の前の双黒に逆らえるわけもなかった。降参、とでもいうように両手をあげると、眞王とのやりとりを話し始めた。
***
ずかずか、と。 およそ貴人らしからぬ態度で廊下を闊歩する彼に、しかし誰も咎めの言葉をかけることはできなかった。なぜならその無礼な人物は瞳と髪に黒を併せ持つ者だったからだ。咎めるどころか、再び「双黒の大賢者」を見えることが出来たことに感謝を感じているくらいである。 当の村田本人は、周りの視線など知ったことではない。好奇の目で見られることは決して愉快ではないが、今の彼にはそんなことよりも優先すべきことがあった。
恐ろしく長い廊下を、はしたなく大股で歩く。なぜ走らないかというと、彼が知能派だからだ。先ほどまで村田なりに猛ダッシュしてはいたのだが、延々と続くこの道は彼の体力をそれなりに消耗させた。グリエを部屋に置いてきたことを少しだけ後悔しそうになりながら、今はまだ誰の肖像画も飾られていない壁を横目にひたすら歩いた。 この長い道のりの果てにいる、人物を目指して。
正面に大きく豪奢に設えられているその絵は、もちろん村田の記憶の中にあるものと同じだった。ただ違うことと言えば、今はその目の前に絵画の中にだけ存在するはずの人物がひとり、立っていることである。 美青年が絵を見るという図は、理屈なしに様になる。 そんなどうでもいいことをつい考えてしまった自分の脳に呆れながら村田は彼の傍に近寄った。何をどう言ってやろう、と僅かの間考える。しかしそれは相手に隙を与えてしまったらしかった。
「グリエに聞いたか?」 「………」
正面を向いていた顔がいかにも自然な仕草でこちらを向いて、村田はタイミングを失ってしまった。どんな罵詈雑言を吐いてやろうかと考えていたのに、出てきた言葉はあまりにも凡庸だった。
「…聞いたよ。一体君は何を考えているんだ?」 「それほど驚くことか?」 「驚いているんじゃなくて、呆れてるんだ。ついでに言えば怒ってもいる」
畳み掛けて言うと、目の前の彼は楽しそうに笑う。
「笑い事じゃないよ。僕を双黒の大賢者の身代わりにしようなんて!」 「身代わりではない。お前も双黒の大賢者だ」 「だから僕は彼じゃないって…ッ、ああもう、その話は後だ。君、自分のやってることがわかってるのか?」 「もちろんだ。そっちこそグリエから聞いたのならどれだけ事態が切迫しているかも分かっているのだろう?」
そこまで言って、金髪の青年はひと呼吸置く。 ――彼にとってそれは、意を決しなければ口に出来ないことだった。
「双黒の大賢者は失われた。しかし我々には双黒の大賢者が必要だ」
そうはっきりと、見る限り淡々と、彼は言った。 しかしその、あまりの真摯さに村田は釘付けになる。姿形の美しさとか、彼の魔王たるオーラとか、そういったものではない、彼自身のかの者に対する切実な想いからくるその懸命さに、村田の心のどこかが反応した。 ―――そのひととき、思考が麻痺してしまったのも仕方のないことかもしれなかった。村田は彼自身そう思っている通り、ある意味で15歳の少年でしかない。 よってそれは彼の咎ではない。が、それでも致命的なことではあった。その言葉の不自然さに、賢明な少年は気づくことが出来なかった。
魔王は、動く気配のない相手に手を伸ばす。頬に触れたその掌を村田は今度は拒まなかった。
「お前が必要だ」 「………………」
その言葉を村田がどんな思いで聞いたのか、彼以外知る由もない。そしてその台詞をどんな思いで言ったのかもまた、彼以外知るはずもない。
ふっと、村田の顔に影が差す。 影と同時に近づいてくる目の前の相手。 近づく気配にふわりと瞼を閉じて、けれど。 ――――吐息を感じて、すっと目を開いた。
「言っただろう」
重なりかけた唇は、わずか掌一枚によって遮られた。あるいはそれは、村田健の最後の抵抗なのかもしれなかった。
「僕は君の賢者じゃない」
この世界でもっとも高貴な闇色の瞳に映ったのは、この世界でもっとも強大な闇の王の双眸だった。 |