不断の誓詞

 

 

 

 

 

 

 眩い陽の光に促されて目を開けた。

 どうやら眠っていたらしいことに、自分もなかなか図太い神経を持っているようだとグリエは笑う。深く腰掛けていた見事な椅子から体を起こして慎重に辺りを見回した。

 

 どちらかというと、殺風景、という言葉の似合う部屋だった。双黒の大賢者様の部屋だというからどんなところだろうと思って入ってみて、拍子抜けした昨日の自分を思い出す。

 ベッドと机と椅子、本棚に、大きめのソファとテーブル。ぱっと目に付く家具と言えばそれくらいだろうか。ひとつひとつは確かにどれも一級品といえるものばかりだ。しかし部屋自体がとても広いため空いたスペースばかりが目につく。仮にも国のツートップの一人なのだから懐が空寒いというわけではないだろう。件の大賢者はどうやら質素を好む性分らしかった。

 

 今はいないこの部屋の主に何となく好感を抱きながら(双黒の大賢者相手に「好感を抱く」なんて身分違いも甚だしい、と思って彼自身すぐ苦笑してしまったが)部屋の中を歩いていると、テーブルの上に朝食らしきものが用意されているのが目に入る。

 

「グリ江ったら、随分なご身分になっちゃったみたい」

 

誰もいないのに無駄に体をくねらせつつ、ひとりごちる。実際、グリエに対する待遇は貴族を相手にしているかのようなそれで、正直面食らってしまった程だった。

 かのお方が何かしら口添えしてくれたからに違いないが、どうにも居心地が悪い。もちろん、不審者扱いされて追われるよりはマシなのでまったくもって贅沢な悩みではある。

 しかし用意された豪華な朝食に手をつける気にもなれない。大賢者の部屋の物を自分が食べるわけにはいかないという気持ちもあるし、物理的に食べる気になれないという気持ちもあった。

 

 本来ならば、いついかなる状況においても食べられるときに腹は満たしておくべきだと分かってはいるのだが、どうしても手を伸ばすことが出来ずにいた。思えばグリエはこの食事がいつ運ばれてきたのかも知らない。部屋に誰かが入ったのにそれに気づかないなどという、諜報員にあるまじき失態を今更思い知る。

 

「……まいったねこりゃ」

 

いくら常識では考えられないような事態に遭遇したからといって、無視できるものではなかった。

 

「グリ江、修行しなおさなくちゃー」

 

声は男のままグリ江モードに入る、なんて地味なヘコみ方をするグリエの背後でバタンと無造作に扉が開いた。

 

「!」

 

すぐさま切り替えて後ろを振り向くが、なかば誰であるか予想はしていた。案の定入ってきた人物は髪と瞳に至上の黒を宿している。急いで来てくれたのか、肩が少し上下に動いていた。

 

「ごめんねグリエ、大丈夫?」

「………猊下こそ、大丈夫ですか?」

 

気遣われたことを申し訳なく思う気持ちよりも、顔を見れた安堵が先に来てしまって、すぐさまグリエはそんな自分を恥じる。守るべき主に逆に心配されてしまうなど、護衛を名乗る資格がないではないか。

 

「僕はこのとおり。それより悪かったね」

「何がですか?」

「何だか巻き込んでしまって。僕もまさか建国当初の眞魔国に飛ばされるなんて思ってもいなかったんだ」

「ああ、それは眞王陛下からお聞きしました」

「そう?まったくあの強引さには参るよね」

 

口では非難しつつも、村田の表情に迷惑がっている様子は伺えない。そのことに何となく憮然とした気持ちになる自分にグリエは気づかないまま、主の前に膝をついた。

 

「猊下」

「なに?」

 

改まった態度を取るグリエに村田は不思議そうに首を傾げる。

 

「申し訳ありませんでした」

「何が?」

「お傍についてあなたを守るのが俺の役目なのに、一時でも離れてしまって」

「そんなこと」

 

言って村田は苦笑する。

 

「大体、勝手に帰ろうとしたのは僕なんだし。君が気に病むことはないよ。ここに飛ばされてしまったのだって予想外のことだ」

「それでも、俺はあなたがどこへ行こうとついて行くと言ったのに、それを破ってしまいました」

 

言いながらグリエは自分の不調の原因を知る。少しの間とはいえ、守るべき存在を手放してしまった後悔が彼を責めているのだ。

 しかしそんな常にない生真面目さを見せる従者に村田は微笑んで、彼自身も相手の前にしゃがみこむ。頭を深く垂れるオレンジに「顔を上げて」と、こちらも常にはあり得ないような優しい声で促した。一瞬の間をおいて目の前にあらわれた青に視線を合わせる。

 

「そんなことはないよ。君はこんなところまで来てくれた。ちゃんと約束を守ってくれたよ」

 

そういってやんわりと微笑む村田に、グリエは嬉しいような申し訳ないような複雑な心境に陥る。自分を許すことは出来ないが、結果的に彼をこの手に取り戻せたことには正直安堵を覚えていた。

 犯してしまった失態を嘆いても先に繋がることはない。あとはいかにそれを払拭する働きが出来るかだ。

 

 グリエは引きずられてしまいそうになる感情に待ったをかけて、気持ちを切り替える。ふいと口元に彼らしい笑みを浮かべた。

 

「猊下ったら、そんなに優しくされたらグリ江惚れちゃう!」

「はいはい、僕はいつだって優しいですよー?」

 

彼の変化を察知した村田はすぐに声音を変えて、ぴしりとはりのいいおでこにでこピンを与えた。「いたっ」と大げさに相手は身をのけぞらせるが容赦をしなかったのでもしかしたら振りではないかもしれない。

 けれどももちろんそんなグリエに付き合う気などさらさらない。よいしょ、とこの上なくおやじな掛け声をかけて彼の主であるところの双黒の少年は腰をあげた。

 

 ――――はずが、途中でぐいと下から手を引っ張られ。

 再び村田はグリエの真正面に膝をつくはめになる。

 

 何?と。村田は目だけで訴える。やや不機嫌気味だ。しかしグリエはそんな村田の訝しげな視線にも動じずに、引いた手をそのまま自身に近づけた。

 

「猊下」

「っ、」

 

息を呑む声が聞こえたが、構わずそのすべらかな指先にほとんど口付けるようなかたちでささやきかけた。

 

「何があっても、猊下のことは俺がお守りします」

「………………」

 

声音に彼の真剣さを感じ取った村田は怒るわけにもいかなくなって、天を仰いだ。指先に吐息がかかってくすぐったい。はあ、とあからさまなほどに大きなため息をついた。

 

「君って、ときどきものすごく男前で嫌になるよね」

「それはどうも」

「……こういうときこそグリ江ちゃんで切り返して欲しいんだけど」

「猊下に褒められるなんて滅多にないので、ありがたく受け取っておきます」

 

ニヤリと笑う、普段通りの慇懃無礼さを取り戻した従者に村田は再び深く、息を吐いた。 

 

 

 

 

 

 

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