異国の知人

 

 

 

 

 

 目が覚めてはじめに飛び込んできたのは恐れていた色ではなかった。なかったが、恐れていたものは現実よりは余程優しかったのだと知るのに10秒もいらなかった。

 

 夢だろうか、と思うのは都合が良すぎるだろうか。自問しながらも村田はそれが夢ではないことを知っていた。知っていたが認めることを拒否して再び目を閉じる。が、頭上から降ってきたふっと吐息のこぼれる音がそれを邪魔する。笑われたことにむっとして、村田はしぶしぶもう一度まぶたを開いた。

 すると、図ったように向けられる笑顔。

 

「俺を覚えているか?」

 

忘れられたなどとは微塵も思っていないくせに敢えて彼は問う。

 

「忘れるとでも?」

 

それを知っていながら律儀に答えてしまう自分に呆れてしまう。それでも彼を完全に拒否することなど出来ないことも分かっていた。

 少し考える素振りをみせてから、村田は単刀直入に聞いた。答えの分かっている問いではあったのだけれど。

 

「君が?」

「ほかに可能な者がいるとでも?」

 

案の定、返事は村田の想像していたもので――口調を真似する辺りまでもが予想と全く同じで内心ため息をついた――だけども相変わらずの堂々とした態度に怒る気も失せる。

 

「その強引さ、何とかならないの」

 

軽口をたたいてよいしょ、と体を起こす。スプリングの利いたベッドが大げさに傾いて緩やかにもどった。足を下ろそうとするが、横に移動したはずのつま先は、未だベッドの上にあった。あれ、と思うと同時に理由に行き着いて村田は顔をしかめる。

 

「なんで僕のほうの部屋に運ばなかっ、」

 

馬鹿でかいベッドに、この部屋の主が自分でないことを理解した村田は苦言をこぼすが、相手の思いがけない行動にみなまで言うことは出来なかった。

 

 手が。

 村田の髪に触れている。

 

「随分と短くしたんだな」

「………」

 

惜しむような声に言葉を返し損ねた。そしてその彼の態度に、だから嫌だったのだと村田は苦い思いを噛み締める。しかし今更再び目を閉じるわけにもいかず、ぐっと真っ白なシーツに皺を刻んだ。

 

「はじめに言っておくけど」

 

あくまで冷静さを装って口を開く。出来ることならこのまま意識を手放してしまいたかった。

 

「僕は君の大賢者じゃない。4000年後の眞魔国に生きている、ただの賢者の村田健だよ」

「わかっているさ」

 

絶対に分かっていない、と村田は思う。

 彼がこんなに聞き分けの良いことを言う時は、本題を計り間違えているか、何か企みごとがあるときだけだ。

 

 自分の言っていることがちっとも相手に伝わっていないことを感じ取った村田は、ビシリ、と相手の鼻先に人差し指を突き出した。

 

「いいかい、君はこの国の建国者であり初代魔王だ。そして、『君の賢者』は同じく君と共にこの国を建国した双黒の大賢者。ここまではいいね?」

「もちろんだ」

 

馬鹿にしているのかと言わんばかりの表情で相手は村田を見返すが、少年は稀有とされる漆黒の瞳をきらりと光らせて構わず続けた。

 

「僕は村田健。双黒の大賢者の魂を受け継ぐ者だ。そして僕のいる時代の魔王は、27代目にあたる渋谷有利。頭と瞳に黒を宿す、レアな魔王だね」

「今のお前はそのレアな魔王のものだとでもいいたいのか?」

 

相手に本題を理解させるべく、饒舌を尽くしていた村田は口を閉じた。

 

 論点がまるでズレている。

 

「…………違うよ、そういうことを言いたいわけじゃない。まあ確かにある意味賢者としての僕は彼のものだと言えるかもしれないけど、僕自身はだれのものでもない。第一、双黒の大賢者だって別に彼自身が君のものなわけじゃない。君のために存在した賢者だから、『君の賢者』と形容しただけだよ」

 

たたみかけるように説明を加えて、村田は相手の不適切な指摘を跳ね除けた。しかし彼自身、すこしの嘘が含まれていることを分かっていながら心のどこかでそれをもみ消してもいた。

 

「だから結局僕が言いたいのは、僕と、君と共に眞魔国を建国した大賢者は別の者だということだ。ただ、魂が同じなだけ」

「魂が同じなのに別の者だなんてことがあるか」

「あるんだよ!大体なんで分からないのさ。君と双黒の大賢者が、こんな神様もびっくりな方法を実行した張本人なんだろ」

「神に様なんかつけるな」

「それは言葉のあやだよ!」

 

しん、と妙な静寂が二人を包む。

 

「っく…」

「ふっ…」

 

そしてすぐに、顔を合わせて笑い出した。広い部屋に二人分の笑い声が響き渡る。

 

「まったく、君って本当に相変わらずなんだね」

「お前こそ。これで別の者なんて納得できるか」

 

頑として主張を譲らない相手に、村田は肩をすくめる。これ以上の言い合いは無意味だ。そう思って長期戦を覚悟した。

 そんな村田をじっと見つめていた相手は、ふと思い出したように口を開いた。

 

「そういえばお前の連れ、お前の部屋で待たせてあるぞ」

「は?」

 

さらっと爆弾発言をかます目の前の金髪に、思わず変な声が出てしまう。村田は慌てて聞き返した。

 

「連れって?」

「グリエ・ヨザックと言っていたが。オレンジの頭の。知り合いみたいだったから連れてきたんだが違ったか?」

「…………」

 

あまりの衝撃に二の句がつげず、不覚にもぽかんとしてしまう。しかしすぐに冷静さを取り戻した村田はベッドの上を移動して床の上に足を下ろした。立ってみても部屋の馬鹿でかさは変わらない。この天井の高さはちょっとないな、と場違いにも考えてしまった。

 

「そういうことは先に言ってもらえる?」

 

依然突っ立ったままの相手の横を通り過ぎながら言うと、形のよい眉がひくりと上がる。しかしそれを気にも留めないでぺたぺたと扉の方へと村田は向かった。

 ドアの取っ手に手をかけて、一度顔だけで後ろを振り返る。

 

「彼に何かしたりしてないだろうね?」

「人聞きの悪いことを言うな。お前の知り合いだと言っておいたから丁重に扱ってもらえてるはずだ」

「僕のこと他の者にも言ったの?」

 

少し驚いて聞くと、

 

「髪と瞳に黒を宿した者を隠しておけと言う方が無理な話だ」

 

もっともな答えが返ってきてなるほどと村田は納得した。

 

「分かった。とりあえず彼の身を保護してくれてありがとう」

 

さぞ居心地の悪い思いをしているだろう護衛を不憫に思いつつ、村田は扉を開ける。人払いがしてあるのか、廊下には誰もいない。そのまま言葉もかけずに部屋を出た。

 

 

 

***

 

 

 

 残された王は、自分を魔王と思ってもいないような扱いをする村田に懐かしい気持ちを抑えることが出来なかった。だだっ広い部屋の中に、一人ぽつんとたたずんだまま。

 

「村田健」

 

先ほど教えられた名前を呟いてみる。実のところ、彼は村田の言ったことを十分すぎるほど理解していた。

 彼のそば近くにいて常に自分を支えてくれた者と、4000年以上も後の世界から来た者は、同じ魂を持つ別の存在だ。まさしく村田の言う通り自分と彼が多大な労力を費やして、そうなるように仕組んだのだから。

 

 しかし彼は予想以上に彼だった。

 

 扉の向こうに消えて行った少年になかば愕然とする思いで王は思いを馳せる。

 

 自身の選択したことを、後悔してしまいそうになるほどに。

 

 

 

 

 

 

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