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暗闇の邂逅
「くっ、つ……」
覚醒と同時に酷い頭痛に襲われた。どこかで頭を打っただろうか?痛みに堪えながら、少しでも頭の中をクリアにすべく、グリエは頭を2、3度振った。夕焼けのようなオレンジの髪からポタポタと水が落ちる。
「……ったく、もっとやさしく運んでほしいわね」
憎まれ口をたたきつつも、グリ江ちゃんモードを保てる自分に多少の安堵を覚える。冷静に思考出来る心理状況にある自分を確認して、グリエは辺りを見回した。 さっきまで自分がいた場所と、さほどの変化は見られない。
「……?」
おかしい、とグリエは思う。村田はなんと言っていたか。
『地球へ』 『そしてもう、この国には戻らない』
確かにそう言っていた。そのあまりにも唐突で驚くべき発言に、不本意ながら動揺した自分がいたはずだ。 (まったく猊下ったらー) 再びグリ江モードをオンにしつつ。 (グリ江の心をあんなに掻き乱しちゃうなんてニクい人☆) なんて必要もないのに人格をつくってしまうのは、自分を冷静にさせるためか、はたまた本来の自分ではあり得ないほど動揺したことへの照れ隠しなのか。
しかし深くそれについて考察を始める前にグリエは有能な諜報員モードに自分を切り替える。
「ここがあちらの世界なのか…?」
村田やユーリが『地球』と呼ぶ。 しかし薄暗い室内の雰囲気は、さっきまでいた眞王廟と大差ないように思える。村田を地球に返すのに、ウルリーケがこんな場所を選ぶのもおかしい気がした。
「あ」
そこまで考えて思い至った重大な事実に、グリエは思わず間の抜けた声をあげた。
「猊下!」
そう、グリエは村田の体が光に包まれたその瞬間、必死の思いで彼の腕を掴んだのだ。ウルリーケの静止の声も無視して彼と共に恐ろしいほど大量の水の中を流れてきたはずだった。 慌てて辺りを見回す。しかし、彼のいるだだっぴろい空間には村田どころか人のいる気配すらない。思わず舌打ちした。流される途中ではぐれてしまったらしい。
「弱ったねえ」
村田を追ってきたのにはぐれてしまっては元も子もない。しばらく思案していたが、考えていても仕方がないと思ったのか、やがてグリエは歩き出した。
「猊下探しがてら、ここらを調べてみますかね」
状況判断と切り替えの良さも、彼がトップの諜報員である所以だ。
***
広い部屋を出ると、これまた無駄に広い回廊が姿をあらわした。照明という照明がほとんどないため、薄暗い空間のなかをただやみくもに進むしかない。自分が夜目が効く性質で良かった、とグリエは思う。 壁伝いに進んでいくが、歩きづらいということはなかった。むしろ随分と入念に歩きやすく造られているようだ。暗闇がまさって先は見辛いが、一本道なので迷いなく進めるのがありがたい。
壁に触れてみると手触りも良い。回廊だけでもこの大きさ、壁も床もきちんと造られている。それらから察するにかなり規模の大きい建造物であるようだ。しかしこの照明のなさ。まだ完全に完成しているわけではないのか、それともなにか特別な理由があるのか。 さまざまな可能性を考えながらグリエは慎重に歩みを進めていく。
ふと、足を止める。 極限までに張り巡らせたグリエの感覚に、かすかに何かが引っかかったように感じた。
「………猊下?」
用心深く小さく呟く。が、返事はない。彼の感覚の届く範囲内に人のいる気配を感じてグリエは気を引き締めた。かすかに感じるくらいだからすぐ近くに誰かがいるということはないが、用心するにこしたことはない。 もしかしたら動物かなにかと勘違いしているのかもしれないし、仮に人であったとしても村田であるという保証はない。さすがに前者である可能性は低いが、後者は十分有り得る。
音を立てることなく迅速に行動する。なによりも、まずは村田を見つけることが彼にとっては先決だった。奥に進んでいるのか出口へ向かっているのかも判別がつかない闇の中で、グリエは逸る気持ちを冷静に抑えた。
***
どれくらい進んだだろうか。 気を張り詰めたままのグリエの前にようやくそれはあらわれた。
大きな扉だ。
おそらくこの向こうに人がいる。直感でグリエはそう感じた。そして彼は自身の勘を信じている。迷うことなく、けれど更に慎重に目の前の扉に手をかける。 ゆっくりと押してみると、同じくゆるやかにそれは動いた。手のひらにずしりと重い感触がする。石を押すような感じだ。 音を立てることなく開いた扉にするりと体を滑り込ませた。
入った瞬間、グリエは硬直した。息を呑む暇さえなかった。 先ほどまで何となくしか感じなかった人の気配を、今度ははっきりと感じる。というより、明らかにその存在を誇示するかのように放たれる気迫に虚を突かれた。どっと汗が噴き出しそうだ。極度の緊張がグリエを襲った。
びしびしと誰かの存在を身には感じるけれど、回廊よりも暗いその部屋にすぐには目は慣れてくれず、その姿形を確認することが出来ない。グリエは必死に目を凝らす。
「誰だ」 「!」
しかし彼の目が慣れて相手の存在を認識する前に、声がかけられた。落ち着いた、それでいて威圧するような声。
「………」
答えてよいものか、判断がつかない。相手の気迫に気圧されたわけでは決してないが、右も左も分からぬ場所で自分の存在をおいそれと明かして良いものか。
「もしや、この者の連れか?」 「っ!」
しかしその冷静な逡巡も相手のひとことにより吹き飛ばされる。ようやく慣れてきたグリエの目に、2つの人影がぼんやりと見えた。フードのようなものを被り、全身を隠した男の腕の中にいるのは。
「…………その方を放せ」
猊下、と叫んでしまいそうになるのをすんでのところでグリエは堪えて低い声を出す。どこかも分からない場所で、彼をみすみす危険に晒すわけにはいかない。 しかし相手はそんなグリエの懸念をよそにくつりと笑う気配を見せた。
「別に取って食おうというわけじゃない」
余裕綽綽のその声がグリエの癪に障る。黙っていると、相手は気にせず続けた。
「ずぶ濡れで倒れていたから保護してやろうと思っただけだ。この者の連れなのだったらお前も来れば良い」
そう言って迷いない足取りでグリエの方に――正確には扉の方に――近づいてくる。
「………?」
相手の心理を図りかねてグリエはその場を動くことが出来なかった。だが、男の両腕に大事に抱えられている村田がぼんやりと見えてしまうと覚悟を決めざるを得ない。 確かにずぶ濡れで(といってもグリエだってかなり濡れたままなのだが)、意識を失った顔は暗闇ながらも良い表情とはいえないのが見て取れる。
覚悟を決めて男を見ると、もうかなり近くまで来ていた男の視線と見事にかち合った。
「!!」
瞬間、驚きに目を見開くグリエに彼は面白そうに笑って、すいとその横を通り過ぎた。
「ついて来い」
そう言い残し、先ほどグリエが慎重に慎重を期してゆっくりと開けた重い扉を無造作に開いて、男は回廊へと姿を消す。
「………まさか」
立ちすくむ背中に嫌な汗が流れる。しかしはたと気づいて急いで扉を開けた。見失うわけにはいかない。
前方に見える男の影を追いかける。知らずごくりと喉が鳴った。 (もしそうだとしたら、ここは) 信じられないが納得がいった。 (……ここは地球とか言う場所じゃない) ウルリーケは村田を地球には送れなかった。失敗の理由はわからないが、グリエは確信する。そしてここは。 ――――ここは。 前を歩く男を、信じられない思いで彼は見つめた。
――――この雰囲気、この規模の大きさ。グリエは考える。この建物はやはり先ほど自分が思ったとおり、まだ完全な状態ではない。そしてそんなこの場所にいることが出来る人物は限られる。 (いや、それよりもなによりも)
暑くもないのに流れる汗を感じながらグリエはさっきの衝撃を反芻した。眞魔国の民が、彼を見間違えるわけがない。
顔が認識できる位置で交わした視線、自ずとそれは男の顔かたちを確認することにもつながった。 圧倒的な存在感も、人に命令しなれたその態度も今思えばごく当然のことなのだった。
グリエの目に映ったのは。 フードから覗く、暗闇でなお存在を示す金色の髪と。 真っ青な湖面を思わせる――。 ブルーの瞳だった。 |