混沌の行方
正直、未練がないかと言ったら嘘だった。
全ての、本当にやっと全てのことが万事、というほどではないにしろとりあえず解決してこれからさあ走り出そうする眞魔国で、彼らと共に歩んでいきたい気持ちはもちろんある。
けれど分かってしまった。 大賢者は、戦いにおいて王の魔力を限界まで、いやそれ以上に増大させる魔力増幅装置だ。その存在は争いの中でのみ意味を成す。つまりそれは、大賢者自身が戦争を象徴するといっても過言ではない。
――――だからきっと。 自分は平和となったこの国にはあってはならない存在なのだろう。
それが村田が自分自身に下した結論だった。
「猊下っ!我らを捨てていかれるつもりですか?!」
グリエの必死の形相に、こんな状況ながらも村田の口は笑みの形をかたどった。 (……嬉しいことを言ってくれるね) まるで自分を必要としているかのような彼の発言を心底嬉しく思う。無論彼だけでなく、魔王であるところの親友やその部下たちだとて大賢者であり村田健でもある少年を必要としていることを、村田もきちんと理解している。
それでも自分は決めたのだ。 徐々に迫ってくる水音を感じながら、村田はすうと息を吸った。ウルリーケに目配せすると、彼女は瞳を潤ませながらも小さく頷く。ああ、泣かせたいわけじゃないのに。でもなんだか有り難いなあ、なんて嬉しさ半分、申し訳なさ半分で思いながら村田はしかし覚悟を決めた。 巫女が両手を組み、目を閉じる。
「偉大なる眞王と賢者の御心のままに」 「くそっ、させるか!」
巫女の囁きとグリエの怒声が重なる。 瞬間、激しい水音と共に眩しいくらいの光が体を包んだ。轟音と共に押し流されようとする我が身を村田は感じる。これが最後のスタツアになるのかなあなどと少しだけ感傷に浸りながら彼が流れに身を任せようとしたその時、ぐいと強い力で腕を引かれた。
「?!」
驚いて目を開けようとするが当然、濁流の中でそれは叶わず。何が起こったのかを把握することが出来ないまま、村田の意識は激しく荒れ狂う水の中へと落ちていった。
***
ぽたぽたと雫の落ちる音がする。 雨の音だろうか。雨にぬれた誰かが落とすものだろうか。 それとも。 涙が零れる音だろうか――――。
「!」
バシャンと水の跳ねる激しい音と共に覚醒した村田は、あまりの水音の大きさについ先ほど浮かんだ思考を手放してしまった。
「………?」
手放したものをもう一度手繰り寄せる前に、自分の置かれた状況に対する違和感が先にたつ。ずぶ濡れの体。薄暗い周囲。自分がどこにいるかすら容易に判断できない。 (おかしい) 自分は地球へと戻ってきたはずだと村田は思う。ウルリーケに頼んで地球へと運んでもらったはずだった。役目を終えた大賢者には、それが一番相応しい身の振り方だと思ったからだ。
『我らを捨てていかれるつもりですか?!』
そこまで考えて、オレンジ頭の必死の形相がふいと頭に思い浮かんだ。ちくりと刺す痛みに思わず胸を押さえる。知らぬふりをするにはその棘はやや深すぎた。思考が流される。 (捨てていく、だなんて) 村田は苦く自嘲する。捨てられるのは自分の方だ。役目を終えた大賢者を必要とするものはない。いや違う――必要とされてはいけないのだ。なのに彼はあんあことを言って。去りゆく自分を止めようとして。
………止めようとして?
ハッと我に返る。バッと腕を見るが、そこには自分の嫌になるくらい軟弱な腕しかない。慌てて立ち上がって周りを見回す。が、急な行動に体がついていかずふらりと上体が傾いた。
瞬間、何かが動く気配がしたかと思うと下降していた体がふわりと途中で制止した。村田は驚愕する。地球へ、一人きりで地球へ帰ろうとしたあのとき。濁流の中で自分は確かに自身の腕を掴む誰かの手を感じたのではなかったか。そしてそれは、指先からさえも伝わってくるほど逞しいものではなかったか。
くらくらしながらも全神経を総動員して、絶望的な思いで体を支える手の主を村田は探す。心臓が嫌な音を立てているのを気に病む余裕すら今はなかった。そして。ほとんど翳みがかった目に、僅かに青が飛び込んできて、思わず。 オレンジを認識する前に、目を伏せた。
そのまま図ったようなタイミングで村田の意識にもやもやと煙が漂うが、もはや抵抗する気も起きなかった。ゆるやかに広がっていくその侵食をいっそ心地よい気持ちで受け入れる。 力強い腕にしっかりと抱かれたまま、腕の主を確認することを放棄した村田の意識は、再び深く沈んでいった。 |
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