覚醒の時刻

 

 

 

 

 

 今。

 目前に広がる事実を、本当は心のどこかで予測していた。

 

 村田は目をしぱしぱと瞬かせる。闇は濃く、この建物が古いのか新しいのかを判別することさえ敵わないが、そこが血盟城の中ではないことくらいは容易に知れた。

 涼しいような寒いようなひんやりとした空気に包まれて少しだけ身震いをする。

 

「寒いか」

「ここは?」

 

気遣うような隣の声に応じずに尋ねる。自分でも驚くほど冷静に頭が働くことに村田はもはや戸惑いすら覚えなかった。むしろ問われた相手の体の方が若干強張るのを気配で感じ取る。しかしさすがの偉人は、すぐにそれを綺麗に取り払って鷹揚に答えた。

 

「場所の名前など聞いたところで、無意味だろう?」

「そうかもね」

「驚かないんだな」

「驚いて欲しいの?」

 

大げさに隣の男を見遣ると、暗闇に慣れてきた目が彼の一瞬の渋面を確認する。場違いにも噴き出しそうになるのをこらえて村田は肩をくつくつと震わせた。

 ゆるく振動する華奢な両肩に痺れを切らしたかのように大きな手がおかれた。大きさの割に細い指が村田の皮膚に食い込んで思わず顔をしかめると、それが相手に通じたのか束縛が少しだけ緩む。

 逡巡するように村田の髪の辺りに王の視線が向けられた。村田が何も言わずにただ待っていると、やがて眼差しはゆっくりと降下してふたつの黒いまなこを青い瞳がロックする。

 

「騙しうちのようだと思わないのか」

「ようじゃなくて、立派な騙しうちなんじゃないかな」

 

きっぱりと言い捨てると、彼は一瞬ひくりと眉根を寄せてけれどすぐに「ちがいない」と肩をすくめた。力なく肩を上下する様はこの王にはとても似合わないもので、村田は複雑な思いに駆られる。騙されたのは自分の方なのに、そんなに傷ついた顔をするのは卑怯だ。

 そう思ったけれど口にはしなかった。

 

 とにかく。

 と、村田は少しだけ闇に慣れてきた目で辺りをふらりと見回した。

 

「ここ、血盟城の会議室なんかじゃないよね。諸侯なんてひとりも見当たらないし」

 

ほとんど確認の意味を込めて村田は目の前の王に問いかける。もしかしたら彼自身、最後の希をその台詞に託しているのかもしれなかった。

 しかし眼前の男は首を横にも縦にも振らなければ、口を動かそうともしない。それは、村田の雀の涙ほどもない期待を見事に絶つ無言の肯定だった。

 

 そうか、と村田はひとりごちた。眞王は自分を騙したのだと頭の中で確認を取る。

 しかとそれを理解しても不思議と心はさほど揺れなかった。いやもしかしたら、理解したと思っているだけで本当は言うほど分かっていないのかもしれない。しかしどちらにしろ、そのことに関して自分は彼を責めたりだとか、なじったりだとか、決してしはしないだろうと村田は確信的に思う。

 賢者にとって王とは、そういう存在なのだろうと彼自身ひとりの賢者である少年は納得した。

 

 伝説の大賢者の代わりになって欲しいと言われて、一度は憤慨した。けれど村田は王と国と民と、そして自分の役割を放棄することが出来なかった。彼らのためを思うことは自分のためを思うことと同義だった。それが賢者の性なのか村田自身の性質なのかは分からないけれど、彼がその衝動に抗うことは難しく、また、抗うことを許されることもないに等しい。

 どんなに理不尽な状況でも、それが国のためになるのならば賢者は受け入れるべきだと村田は思っている。それが魔王が出した要求ならなおさら彼に抗う選択肢などない。

 王の選択は国の選択で、それが正しい選択だとすれば賢者に反論の余地はなく、仮に正しい選択でないにしても、王の意思ならば我々は甘んじて受け入れるべきなのだろう。

 

 村田は一見冷静につらつらとそんなことを考える。

 

 そうでもしなければ彼は、今の状況を受け入れることが出来なかった。

 

 その場を沈黙が支配していた。ほとんど音も風もないことから建物の中だろうということは推し量れるが、蝋燭すら灯っていないので部屋の中の広さも奥行きも分からない。

 王は押し黙ったままで何を考えているのか知れなかった。村田は彼もまた沈黙を保ったまま王の方を見る。どうしてか青い瞳を直視する気が起きず眉間のあたりをぼんやりと見つめた。

 刻まれている皺が言葉を発そうとしない彼の胸中を物語っているのかもしれないが、村田にそれを察することは出来なかった。出来ないのかする気がないのか、それは彼自身にも分からなかった。

 

「理由を聞くか?」

 

不意に眉間の皺が薄れたかと思うと、漂う沈黙が破られて村田はようやく王の眼差しを受け取った。はじめて会ったときとなんら変わりない美しい青がどこかもの問いたげに向けられていた。

 

 何を思って彼が自分を騙したのか、村田は知らない。或いははじめから村田を騙そうと思っていたと言われても驚いたりしないだろう。

 ならば今更彼が躊躇する必要などないと村田は思う。

 

 賢者が王のために在るという覆しようもない真実を、たかだか十数年しか生きてはいないとはいえ村田は正確に理解していた。その意味において、己の魂の不自由さをとうに受け入れている彼だ。

 今になって自分に選択権を与えるなど甚だおかしい。村田は笑ってやりたい心持ちで口を開く。答えなど決まっていた。

 

「君が望むなら」

 

微笑さえ浮かべて当然のように返答する少年賢者に、彼の王は手招きをする。王の賢者は戸惑うことなくすんなりとその命に従う。

 

 王と賢者が手を取り合う。

 今、このとき。

 

 眞魔国の歴史が大きく変動しようとしていた。

 

 

 

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