永遠の回廊
グリエと別れた後に辿り着いたのは村田が予想していた場所ではなかった。諸侯と会うと言うからには会議室のような部屋を想像していたのだが、のどかな小道が消えたと思った瞬間に目の前に現れたのは見慣れてしまったベッドや机だった。
「僕の部屋?」
素直に疑問を声に出すと、
「今の自分のいでたちを考えてみろ」 「ああ、なるほど」
即座に的確な返答が返って来て村田は納得する。
「俺は先に行っている。支度が出来た頃合に迎えに来るから、準備をしておけ」
言って彼が指を鳴らすといつも村田の身の回りの世話をしてくれる侍女たちが室内に入ってきた。そうして自分は今にもお得意のスーパー魔術で目の前から消えてしまいそうな相手を、村田は呼びとめる。
「ちょっと待って、一体どんな用件なのかくらい教えて欲しいんだけど」 「…………」
村田の問いに、部屋に着いたときから不機嫌だった彼の態度が余計に悪化する。その様子に賢明な少年は答えの前にその理由に思い当たった。
「僕のこと?」
思いついた答えを間髪いれず口にしてみると、彼の眉が最高に不機嫌に跳ね上がる。
「そんなところだ。――後で迎えに来る」
吐き捨てるように言い残して王は賢者の部屋から姿を消した。やけに急いでいる風な彼を村田は訝しく思って、しかし途端にはっと表情を強張らせる。 今自分がいる部屋が、『双黒の大賢者』が使っていた部屋だということに思い当たったからだ。
「………」 「猊下、御召しかえを」
深く頭を垂れる侍女たちに上の空で頷いて、村田はされるがままに彼女たちに身を任せた。そうすることでまるで、彼をこの部屋へと導く原因となってしまった自分自身を報いるかのように。
***
今はまだ殺風景な長い廊下の一番最初の場所に、常にそれは飾られている。 それは4000年後の、本来村田がいる世界である眞魔国においても変わらない。途方もない年月を経過したとは思えないほど鮮やかさを放つその肖像画は、同時にどれだけそれが国にとって意味のあるものであるかを示唆していた。
今、村田の目の前にあるのは、その至宝とも言える一枚だ。 黒い瞳と黒い髪を取り戻し、かの人が『軍師』と呼ばれた頃の装いを身に纏った少年賢者は、はじまりの一枚の前でじっと2人の人物を見つめていた。 用意が整ったあとすぐに部屋を後にしたのは、彼をあの部屋に招くのがいたたまれないからだった。別れた場所に留まらなくてもあの男ならばきっと自分をすぐに見つけ出せるだろうという確信があったからでもある。事実、つい先ほど告げてもいない場所にいた村田とグリエを彼はいとも簡単に捕まえた。
眞王と大賢者の関係を村田は知らない。
余計な事ばかりを紡ぐこの自分の記憶は、肝心なものを何も残しはしないのだと再び村田は自身の源となる存在を恨みがましく思う。
村田には分からない。 彼らが何を思い、何を目指して共に戦い、そして国を創り自らを賭して互いを後世に残そうとしたのか。 けれど今、村田が接している眞王が、片割れである伝説の大賢者を失ってひどく悲しんでいるのだろうことは否応なしに感じ取れた。自負と傲慢の塊のようなあの男がたったひとりの者のためにはあれほどまでに揺らぐのだと、村田はどこか不思議にすら思った。
「あなたは彼にとって、どんな意味を持つ者だったんだろう」
肖像画の彼に問うたところで答えなど返ってきはしないと分かっているのに言葉は唇からこぼれ落ちる。相手はただ無機質に村田を見つめてくるだけだった。 しばらくじっと、至上の美と謳われる双黒の双眸を見ていたけれどやはり何が起こるわけでもなく、僅かにでも期待した自分を村田は自嘲った。
ふと、もはや感じ慣れてしまった気配が周りをとりまくのに気づいて村田は彼らに向けていた視線を少しだけ彷徨わせる。そうしている間に確かな人の気配を背後に感じた。相手の見当は既に付いていたけれどどうしてか振り返るのがためらわれて、村田はほとんど直立不動で一切を相手の出方に委ねた。
「ここにいたか」
やがてたいして間が空くことなくかけられた声に、それでも村田は振り返らないまま力だけを抜いた。今の眞王の表情を見るのが怖かったのかも知れなかった。
「準備は終わったようだな。急ごう、諸侯を待たせている」
しかし村田の思惑とは裏腹に思いがけないほど王の声は穏やかで、なぜだかそれはむしろ少年の心を微弱ながら揺らした。伝説の賢者に少しでも関わり合う時の彼はいつも、どこかしら苦味を含む声音や表情を見せた。彼の常と違う様子に無意識下で村田は戸惑ってしまったのかもしれないし、あるいはそれは彼の本能のようなものが発する警告なのかもしれなかった。
ゆっくりと背後を振り返る。 相も変わらず魅入られてしまいそうなほど美しいブルーの瞳には普段の彼の強い光が垣間見えた。
「分かった、行こう」
頷くと彼も笑顔で応える。村田の後ろには、彼と彼の大切な人物の肖像画が控えている。目の前の相手が来る前にここを離れようと思っていたのに、ぐずぐずしていたせいで露骨に鉢合わせをさせる羽目になってしまったことを村田はひどく後悔していたが、相手の反応が予想外に淡白なので拍子抜けしてしまった。
彼が伸ばした手を戸惑うことなく取る。 村田は幾らか緊張した心持ちでごくりと喉を鳴らした。しかし、すぐには周りの風景は変わらなかった。
「……?」
いつもならば行動派の王は準備が整えばこちらの心構えなどお構いなしに術を実行する。村田は不思議に思って、目と鼻の先にある相手の顔を見遣ると彼もこちらを見ていたので思わず固まってしまった。 しかしかち合ってしまった瞳をすぐには外せない。困惑しながらも見つめたままでいると、相手の表情が形容し難いかたちに歪んだ。
「お前は少し優しすぎるな」
それは笑っているのか嘆いているのか、判別できない顔のように村田には思われた。 どういうこと、と村田が問い質す前に、王は一度村田の後ろを一瞥してからすぐに、
「では行こう」
確認のように村田の手を引いた。いつになく神妙な気色だった。 まるで何かの儀式のようだと村田が思ったその一瞬の間に、彼の体は眞魔国で最も尊ばれる存在である2人の人物の、虚像の前から姿を消した。 |