吐息の鼓動
正直、まいったな、と思った。
ひやりと硬い床に背をつけながら、どれくらいそうしていたかもわからないままに村田はぼんやりとしていた。性に似合わず気なんて張っていたからだろうか、ひどく疲れている。睡眠も明らかに足りない自覚があるのだが、体はぐったりしていても目はやけに冴えていた。
しんと静まりかえった室内において、僅かな音さえ響かせないグリエの様子を村田は伺う。さすがに衣ずれどころか吐息ひとつ感じ取ることは出来なかった。 そうしていると、先刻の彼の言葉が自然と反芻されて村田は後ろめたいような気持ちに駆られた。
『猊下は猊下だってこと、忘れないでくださいよ』
―――でも。
自分が眞魔国第27代魔王の、渋谷有利の賢者であるという先程の発言に嘘はない。彼の賢者である村田健は、彼以外の者の賢者にはなり得ないし、村田自身そんなつもりもさらさらない。それはグリエに述べた通りだ。 例えもう、眞魔国に戻る気がなくて、賢者として彼に関わることがないとしても――それ故に彼に接することがもしかしたらもう2度とはないかもしれないとしても――、その考えに変わりはない。
けれど、以前グリエにも言ったとおり村田は眞魔国が好きだった。もう2度とは関わることがないとしても、彼は国を愛していた。だからこそ、今、眞王の手助けをすることが彼の守りたいと思う国の為になるのなら、そうしたいと願っている。―――願っていることに、村田は気づいてしまった。
そして彼は同時に、その願いが果たして本当に自分のものなのか測りかねていた。
もともと国のために創られ、生まれてきた我が身だけれど、決して村田健という個人まで明け渡す気は彼にはなかった。 しかしどうだろう、今の自分は。伝説の賢者を失った王と国にそれに代わる存在が必要だと言うのなら代わりになるくらいわけの無いことだと思ってしまっている。
往年の自分の主張と食い違うその感情がどこまで自分自身が考えて出した結論なのか、このときの村田にはまるで判断がつかなくなってしまっていたのだった。
(……まいったな)
胸の奥底で深く吐き出される吐息が彼の動揺に呼応するかのように震えた。自分が、少なからずかの存在に怯えていることに、村田は初めて気がついた。
それはグリエにとっては不都合であることに違いはなかった。忠実なる眞魔国の僕が告げた言葉は、無論村田の身を心配してのことであったのに違いはない。しかし皮肉なことにそれはむしろ、彼の心の闇を悪戯に発現する結果を生んでしまったのだった。 |