幕間の平穏
木漏れ日の降り注ぐテラス、ぐったりと部屋から持ち出してきた前後に揺れる椅子に腰掛けてだらしなく足を伸ばしている村田を、ふっと遠慮がちに笑む雰囲気が包む。
「笑い事じゃないよ、グリエ」
すかさず不機嫌な声で村田は応酬するが、むしろ相手は今度は隠そうともせずににっこりと微笑んだ。
「双黒の大賢者様の人気は、今も昔も変わりませんねえ」 「人間も魔族もレアものが好きだからね」
うんざり、といった風情を隠そうともせずに投げやりに言うと、傍らに控えた従者は確かに、とまた笑う。
「坊ちゃんが眞魔国に来たときもそりゃあ大盛況だったらしいですよ。しかもこちらの時代は双黒の価値があちらよりも更に高いみたいですから、猊下大変ですね」 「他人事だと思って…」 「いいえ〜、護衛の身としては仕事がやり辛いったらないですよ」 「ああ、そう」
軽口を叩くグリエを村田は一蹴するが、グリエの言葉はまじりっけなしの真実である。あらゆる意味で人々の心をさらう彼の主は、さまざまな人種の興味を一手に引く。自然、穏やかでない輩のそれをも集めるのだから、彼の苦労も推して量るべしというものだ。
先日(というほど近くはないが)、魔剣を得た魔王一行は例のハイレベル魔術ですぐに国へと帰還した。行きとは違い船も馬も使わないままに帰国するという事実が、事態が思っていたよりも切迫していたことを村田に知らせた。 同時にそれは、伝説の賢者の代わりに魔剣を手にすることをさんざん迷った彼を少なからず安堵させた。
自分の選択は、間違っていなかったと。 国のためにはそれが必要だったのだと。
そう思わせてくれた。事実、魔剣の入手を国の誰もが喜び、そしてその効果は絶大だった。「魔族が伝説の魔剣を手に入れた」という機密事項は、速やかに水面下で伝えられた。よって彼らが民の目の前でその事実を公表する頃には、表立って魔族に対抗しようという声はほとんど聞かれなくなっていた。 その間、たかだかひと月に及ばない程度なのだから、裏の情報伝達の早さとモルギフの威力が伺える。 とにかく、彼らは魔剣を手に入れたことでとりあえずの安寧を確保することに成功したのである。
秋を運んで来るかのような肌に涼しい風が村田の頬を通り過ぎ、最近は色を変えることを許されなかった黒い髪をさわさわと揺らしていく。薄い長袖を着ていても暑くない。 きらやかな夏が過ぎて心地よい季節が訪れようとしていた。その後に続く厳しい冬の前の、束の間の。
(短い身代わりだったな)
村田は胸のうちで独りごちた。
(―――でも、きっとその方が良い)
座り心地の良い椅子をゆらゆらと揺らす。決して似てはいないけれど、眞魔国の自室に置いてきた気に入りの椅子を思い出した。
村田は実のところ、魔王とこの国と民のために自分が役に立てたことに満足を感じていた。破壊を生み出す兵器としてではなく、平和をもたらす一因をつくれたことが、嬉しかった。
(だけどもう)
「―――お役御免かな」
最後はぽつりと声になってあらわれてしまって、しまった、と村田は思った。案の定がらりと隣の雰囲気が変わった。
「猊下」
静かにグリエが言う。ご丁寧に村田の顔を真正面から見下ろして彼の双眸を縫い付けるかのように見つめてきた。 こういうとき、目を逸らさせない凄みがこの男の厄介なところだと苦し紛れに村田は考える。頭に思考を漂わせておかないと強い青の煌きに呑まれてしまいそうだった。
ぱちぱちと瞬きをする。そうして村田もまた静かに口を動かした。
「聞かないよ」 「!」
すっと眉根が大げさに潜められる。ここで目を見開いたりしない従者をやはり油断できない男だと村田は感じる。しかし同時に、彼のような優秀な者が友人でもある王の側にいることをとても頼もしく思った。
「猊下――、」 「!待って」
今度はやや怒気のこもった声を出すグリエを村田は押し留めた。彼の言を聞きたくなかったからではない。自分の主張を譲る気はないけれど、相手の苦言を受け止めるくらいの罪ほろぼしはするつもりだった。
けれど。 瞬間、村田の思考は別のことにとらわれた。
(彼がくる)
直感だった。
「やはりここにいたか」
刹那、快活な声が正面から聞こえた。
村田が目の前の青い瞳から視線を外して前を向いたのと同時刻、別の青の双眸があらわれてこちらを向いていた。さすがに傍にいたグリエがぎょっとしているのが伝わってくる。
「…………何してんですか」 「部屋にいないならここだと思ったからな」
たっぷり10秒ほどの間を置いて尋ねるグリエに相手はさも当然のように返答した。
「……だったら歩いてくればいいのに」 「そんな高度な魔術をこんな至近距離で使ったんですか…」
彼らが今いるのはもちろん賢者の部屋に面したテラスである。賢者の部屋が広いとはいえ、扉から、数秒あればたどり着ける距離だ。呆れかえる2人にしかし目の前の王は彼のお得意の、ぴくりと片眉だけをきれいに上げる表情を見せて言ってのけた。
「出し惜しみなどしたら要素に失礼だろう」
そういう問題じゃない、と賢者と従者は同時に心の中でツッコミを入れたが、2人とも口に出すような愚行は犯さなかった。 そんな彼らの心中を知ってか知らずか、金髪をさらりと緩やかな風になびかせて男は満足そうな表情で村田を見た。
「それより、なかなか盛況だったな。皆も満足したようだ」 「こっちはいい迷惑だったけどね」 「そう言うな」
渋い顔をする賢者に、魔王はくつくつと楽しそうに笑う。 彼が言っているのは、魔剣お披露目のために行なわれた祭典のようなもののことである。特に大きな催しというわけではなく、魔王と賢者が並んで魔剣を民に向けて掲げる、というシンプルなものなのだが、ただそれだけのことでも「形」がいかに重要であるかは村田だって理解している。 だから、渋々ながらも承諾したのだ。双黒の大賢者として、彼の黒衣を纏って更には正式な行事だからとあれやこれやと着飾られても、決して否とは言わなかった。 もちろん、文句は山ほど言ったけれど。 村田がこんなに疲弊しているのもそれ以来好奇の視線に始終晒されているためである。
「なかなか似合っていたぞ」
村田がことさら苦い顔をしたことに気づいた王が、にやりと意地の悪い形に口角をあげる。なあグリエ、と同意まで求める彼に、
「もちろん、良くお似合いでしたよ〜猊下」
従者までもが口をそろえるので、村田はげんなりした。嫌なタッグだ、と心中だけで毒づく。 やけに爽やかにゆるゆると吹いてくる風にすら八つ当たりしたい気分だった。本来ならば、未だ青く高い空の下で青々とした様相を失いつつある木々が最後の伸びをしているような、生命根性に満ち溢れた初秋は彼の好きな季節なのだが。
「まあでもこれでしばらくは他国の干渉は避けられるだろう」
がらりと口調を変えて王は再び村田を見つめた。彼の様子の変化に、胸のうちで唱えていた罵詈雑言を畳んで村田もまた目の前の青年を見返した。
視線が交わる。
「!」
それは村田がハッとするほどの熱視線だった。
そうして村田の意識を一瞬の間に惹き付けておきながら、しかしするりと彼は一度グリエに視線を動かして、また同じような動作で村田を見つめなおす。
彼は言った。
「感謝している」
頭こそ下げなかったけれど、真摯な瞳が偉大な王の心を十分過ぎるほど如実にあらわしていて、村田とグリエは思わず顔を見合わせた。 それからどちらともなくふっと頬を緩めて、孤高の魔王に向かって微笑んだ。 |