至上の魔剣

 

 

 

 

 

 地獄も見たし、生死の境も彷徨った。拷問だって受けたしこの世のものとは思えないような体験を何度もした。しかし自分はまだ、全てのことを経験したわけではないのだなと、改めてグリエは理解した。

 

 彼自身と、眞王と賢者の間にたたずんで彼らに頭を下げる存在を後ろからじろじろと見定める。王と賢者が水に手を浸した瞬間、それは突如あらわれた。音も振動もなかった。はじめからそこに在ったかのようにいつの間にか目の前にいたのである。

 注意深く二人を見ていたグリエが瞬きをしたその一瞬にあらわれたとしか思えないような仕業だった。

 

 しかも『モルギフ』ときた。

 

 王の言葉に、ぽかんと虚をつかれたような顔をしている村田と同様にグリエも内心、まさか、と思っていた。

 しかし眼前のそれは王の言葉にふかぶかと頭を下げたのだ。

 

「お前を引き取りに来た」

「はい」

 

待っていたとでも言うように、快活に少年は答える。それから村田に向き直った。

 

「賢者よ」

「………何」

「よくぞ戻られた。貴方を、お待ちしていました」

「え?」

 

意味深な言葉に村田は僅かに眉を潜めるが、それに気づかないのか美貌の少年は賢者の方に近寄ろうとする。それを察知して、グリエは音も立てずに村田のそばへと身を寄せた。

 

「大丈夫だよグリエ、彼は確かにモルギフだ」

 

それに気づいた村田が心配ないと言うように微笑を見せる。

 

「今のモルギフしか知らない君にはなかなか想像がつかないかも知れないけど、僕の記憶の中の彼とは一致するよ」

 

そうして王を振り仰いだ。

 

「魔剣と聞いて彼を想像しなかったわけじゃない。でも、彼は既に君の手にあるんじゃなかったのかい?創主との戦いで彼が活躍していた気がするけど」

「その通りだ。だが戦後の後始末に追われている間に行方が分からなくなった」

 

そして、と言って王は視線をモルギフに向ける。

 

「探していた。再びお前を我が忠実な下僕とするために」

「……はい!」

 

浮かぶ微笑みは彼もそれを望んでいることを如実にあらわしていた。

 

 

 

***

 

 

 

 王が言うには、彼がこの場所に在ることだけは既に分かっていたらしい。この湖の前にも何度も足を運んだが姿を見ることはどうしても適わなかった。

 王は考えた。以前モルギフを手に入れた時の状況を鮮明に思い出そうとした。

 

「―――そして気づいた。あの時は、賢者が共にいた」

「なるほど」

 

頷いたのはグリエだ。

 

「思えばモルギフは、初めて手に入れた時、私一人に忠誠を誓ったわけではなかった。賢者と私の前に跪いたことを思い出した。だから、足りないのが賢者なのだと分かった」

「それで猊下を呼んだんですか?」

「まあ、そんなところだ」

 

彼らのやりとりを目の前のひと為らぬ少年は静かに聞いていた。真正面から見ると実に美しい造形をしていることがグリエにも分かった。

 

「実際に俺の憶測は当たっていたな」

「……まあね。でも水に手を浸すだけで手に入れることが出来るなんて俄かには信じ難いな」

 

すぐに納得したグリエとは逆に、村田は少し考え込むような素振りを見せている。

 

「もともと我々の下僕なのだから、あの行為はただの確認だ。俺とお前の両方が共に在ることが重要なんだろう」

「そんなのでいいの?」

「そういうものだ」

「ふうん」

 

しかし王の言葉にとりあえずは納得したらしい。若干下向きだった顔を上げて、再び眼前の少年を見つめる。

 

「……モルギフ?」

「そうです、賢者よ」

「そう。僕は君を手に入れた賢者ではないんだけど、それでもいいのかな?」

「もちろんです。あなたが賢者の魂の持ち主であることに変わりはないのだから」

「まったく、お前はまだそんなことを言ってるのか!」

 

横やりを入れてくる隣の男に村田は盛大に顔をしかめた。子供っぽいその仕草にグリエはこみ上げてくる笑いを何とか抑える。

 

「うるさいな。それで?これからどうするの」

 

村田が相手の苦言を一蹴して逆に尋ねると、王は一度こくりと頷いて口を開いた。

 

「まず、モルギフを国に持ち帰る。そしてそれを公表する」

「…………」

「なんでまたそんなことを?」

 

沈黙を守る村田に対し、グリエは思わず口を挟んだ。

 

「俺たち魔族は創主との戦いの後、土地を追われ新しく国を創った」

「………そうだね」

 

何でもないことのように言う彼に村田の方が声のトーンを落としたのがグリエにも分かった。しかし、それに気づかない振りをして眞王は続けた。

 

「新たな国は軌道に乗って来たが、人間の国もまた復興してきている。互いが力をつけたらどうなるか、想像するのは容易いだろう?」

「…………」

「まあ、戦争が起こりますわな」

 

現につい最近までがそうだったように、という言葉をグリエは飲み込んだ。一国を率いる王はため息まじりに頷く。

 

「だから威嚇だ。モルギフの威力を知らぬ者はいない」

「……そう」

「納得したか?」

 

形の良い眉を器用に片方だけ上げて青年は村田に確認を取る。彼の話はいかにも理路整然としていて、非の打ち所がないように、傍で聞いているグリエには思われた。実際に現眞魔国が人間の脅威に晒されたときもまず第一になされた対処法は、強力な武器を手中に収めて他国に示すことだった。

 未だ国としての土台が完璧に出来ているわけではないだろう彼の国が他国に脅かされやすい状況は最もであるし、それを魔剣を手に入れることによって阻止しようというのも妥当といえる。

 

「…わかった」

 

とうとう賢者は彼の言を受け入れた。王は満足げに笑みを浮かべた。にこにことそんな二人を見守る美少年と同様にグリエもまた、彼らのやりとりを眺めていた。

 

 決意するかのように吐息を吐いて、村田はモルギフの前に進み出る。その凛とした横顔の美しさに場違いにもグリエは瞬間見惚れた。彼のこういう表情はハッとするほど気高くそして少し哀しい。再び心の芯が揺さぶられるような感覚がグリエを襲った。

 

「賢者よ」

 

一歩前へ進み出た彼を包みこむような笑顔で少年は迎える。すっと彼自身も相手に歩み寄りふわりとその膝元に頭を寄せた。そして村田の手を取ってその甲に恭しくキスをした。

 まるで何かの契約のようだった。

 

「命じてください、賢者よ」

「モルギフ」

 

ひどく穏やかな声で賢者は言う。

 

「ウィレム・デュソイエ・イーライ・ド・モルギフ」

「―――はい」

「その身を魔王に捧げよ。命果てるまで魔王の忠実な下僕となることをここに誓え」

 

グリエの位置からは伝説の魔剣である彼しか見えない。モルギフはこれ以上ないほど幸福そうな表情を見せた。

 

「御意」

 

深く深く頭を垂れる少年をグリエは見つめた。レモン色の美しい髪を惜しげもなく地に晒すそのさまが誰かと重なったような気がしたけれど、思い出すには至らなかった。

 目の前の光景は神々しく、それゆえ儚げですらあった。グリエからは後姿のままの賢者の表情を見ることはやはり適わない。そのことが彼の心に少しのさざ波を立てた。

 

 ――――かくして。

 眞王は、再び最強の魔剣を手に入れたのだった。

 

 

 

 

 

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