魔王の資質

 

 

 

 

 

 魔力は魂の質であり、戦闘時においてその実力と格の違いが勝負を決める、という事実は、身は人間であるグリエだとて知っている。それとは違い、剣術や武術というのは才能と努力の賜物であることも。

 

 グリエは魔力を持たない。それをうらやましく思ったことがないと言ったら確かに嘘になる。けれど、自分の目で見、耳で聞き、心で感じたものしか信じないグリエにとっては、持って生まれた性質よりも、身ひとつで培ってきた己の力の方がよほど頼りになると考えている。

 

 その気持ちには嘘はないが、さすがにこれは次元が違うとグリエでさえ思った。

 

「………こいつは驚きましたねえ」

「だから君、その強引なところなんとかならないの?」

 

若干顔を引き攣らせるグリエとため息をつく村田を目の前にしても王はに、と笑うだけだった。

 

 船の上の旅は思ったよりも早く終わりを告げた。

 行き先は知らなかったけれど、3日か4日は船の上での生活が続くと思っていたグリエは急展開に驚き、村田は彼のやり方にむしろ呆れたようだった。

 

 乗船してから2日目の夜、夕飯を終えて部屋に戻った2人に金髪の青年は「荷物をまとめろ」とこともなげに言い放った。その強引さといったら同じ金髪でわがままプーのヴォルフラムでさえ唖然とするのではないかと思われるほどで、かつ、容赦がなかった。

 言われるままに荷物(と言ってもそんなに多くはないのだが)の整理をし終えた2人に、彼は自分の近くに来るように言い、おもむろに手を取ったのだった。

 

 ――――そして今に至る。

 グリエはほとんど数分の間に自分の身に起こったことを反芻して改めて舌を巻いた。なんという行動の早さ。そして、この移動手段。村田の言うようにいささか強引であるというところに目をつぶれば、秘密裏の行動でこれほど完璧に自らの痕跡を消す移動方法は他にないだろう。

 そしてそれはきっと、彼以外の誰にも出来ないことなのだろうとグリエは思う。

 

 なぜなら瞬間的に3人もの体を別の場所に移動させるということが、どれほどの魔力を使うか想像に難くないからだ。おそらく現眞魔国の十貴族の長でさえ、自分の体に使うのが精一杯というところだろう。

 

 しかもそれを使った張本人には少しの疲労さえ見られない。

 目の前の、華奢ではないが決して筋肉隆々とまではいかない体からは想像もつかない、涼しげな顔をした青年の、内に秘めた力の絶対量の計り知れなさにグリエは身の冷える思いがした。

 

「それで、ここはどこ?」

「人間の土地だ」

 

しかし村田にとっては王の力量よりも現在地の確認の方が大事らしい。さすが魂のみとはいえ4000年の経験のなせる技か、すでに顔色ひとつ変えずに場所の確認をする賢者の様子に、グリエも段々と落ち着きを取り戻した。

 

「……森ですね」

 

周りを見渡す余裕が出てきたグリエは素直な感想をもらした。

 

 確かにその場所は、見事なまでに森の中だった。

 2日ほど空と海の青と雲の白、あとは太陽の光くらいしか見ていなかった目に、濃かったり薄かったりする緑のグラデーションがどこかやさしく映る。

 地に足が着くというのも久しぶりのことのように感じた。

 やはり大地は良い。

 

 などとひとりグリエが納得していると、話をしていたはずの2人が一緒にこちらを向いていた。一気に視線を浴びて美丈夫は思わず身を硬くするが。

 

「お前の連れは優秀すぎてつまらないな」

「まあね」

「はあ?」

 

王はひょいと片方の眉根を上げて感嘆とも落胆ともつかない言葉を発し、賢者は満足そうに微笑んでいる。何のことだか見当もつかないグリエは間の抜けた声を出した。

 

「君って適応力あるよね、ってこと」

「この魔術は俺くらいしか使えないという自負がある程度にはレアなんだがな。グリエが驚いてくれないと使い甲斐がない」

 

言って、いささかも動揺のない賢者を向いて肩をすくめる。双黒の少年には、はなから期待していないのだろう。確かにレア度で言ったら彼自身以上に稀有なものなど存在しない。

 

「はあ…」

 

何と答えていいか分からずグリエはぽりぽりと頬をかいた。

 

「それにしたって、船の上でいきなりするようなことじゃないだろう」

「仕方ない、あれが一番バレにくいんだからな」

 

責める村田にしかし王は悪びれる様子もない。べ、と舌を出す仕草などは子供のようで、先ほどとんでもない魔術を披露した当人とはとても思えなかった。

 

「国の中で使ったら、魔力の質が察知されるかもしれないだろう。そうでなくとも俺は有名なんだ」

「だからってわざわざ船で人間の土地が近い海の上を選ぶなんて、うまくいったからいいものの…」

「説教は帰ってからゆっくり聞く。今は目的を達成することが先だ」

 

村田の言はきっぱりと遮断された。聞く耳をもたない青年にやれやれと彼は首をふる。グリエはというと、「ガス欠になったって助けてあげないよ」などと意味不明なことを呟く村田の声を聞きながら、胸の中では別のことを考えていた。

 

 王と賢者のやりとりからすると、王はわざわざ船で人間の土地に近い海を選んで、魔術を使ったという。つまり、従う要素が少ない人間の領地にわざと近づいて、その効果が薄れることを知りながらあれほど高度な魔術を披露したということだ。

 

(………これが眞王)

 

緑を掻き分けながら颯爽と歩き出す彼の後姿を見つめて、胸のうちだけでグリエは絶句した。

 その姿だけを見たら俄かには信じられない事実だ。 

 

 人間の庶民と同じような格好をしてもその美しさと気品はそうそう拭えるものではない。しかし彼はそれをうまく緩和しているので傍目からは割と一般的に見える。

 それは彼の後に続く賢者も同じで、間近で見れば黒がなくてもその姿形に心を奪われることは必至だが、遠目には驚くことに凡庸に見えるのである。

 しかしその実情を知っているグリエにしてみれば、その行為自体も驚くべきことのように思われた。

 

 やがて魔王が少し立ち止まって、賢者に肩を並べた。

 その後ろに付き従いながら、グリエは今更ながら前を歩く2人の存在を思い知らされるような心持ちがした。

 

 そしてそのことによって自身の心の奥がひどく軋むことに、実のところこのときグリエは気づいていた。しかしその理由をあえて追及する気にはなれなかった。

 

 不意に村田が足を止め、つられて隣も歩みを止める。従者のもとへ歩み寄る賢者を見つめる王の瞳の中を、知らずグリエは詮索していた。しかしそこに何かしらを見つける前に主の声が彼の気を引いた。

 

「君も何とか言ってやってよ、このわがまま大魔王に」

「はあ」

「大魔王とは、そんな褒め言葉をお前の口から聞けるとはな」

「なんでわがままだけをスルーできるのか謎だよ」

 

ねえ?と上目遣いに同意を求める村田に、けれどグリエは答えを返すどころか妙な焦りを感じてしまう。

 2人の話を聞いていなかったため話が読めないこともあったし、眞王と賢者のどちらかの肩を持たなければならないという厳しい選択肢のせいもあったし、村田の瞳がグリエをまっすぐに向いたのが久しぶりだということもあった。

 その、今はうすい青に黒を隠した瞳はこのとき、常の黒のようにグリエの心に鮮明に焼きついた。

 

 

 

***

 

 

 

 王の足取りに迷いがなかったため、目的の場所へは難なくたどり着けるだろうとグリエは思った。それは大体の目処がついているというよりは目的地を知っているから出来ることのように感じる。

 先日の、「魔剣を得るためには賢者が必要」という王の言葉を思い出し、一度は来たけれど手に入れることが出来なかったのかもしれないとグリエは推測した。

 

 思えばグリエは、失われた賢者の代わりが出来るのが村田だけなのは、その外見に特徴があるからだと考えていた。黒目黒髪をこの世界において見つけようというのはほとんど不可能に近い。

 ゆえに別の時代から呼ぶ、などという破天荒な技を使ってでも無理やり双黒の大賢者を呼び出したのだと。

 

 しかし、王の口調からするとその容姿だけが問題であるというわけでもないらしい。伝説によると、双黒を手に入れた者が世界を手に入れるということだが、その意味も正確にははっきりしない。

 かの『双黒の大賢者』を手に入れた眞王が創主を打ち倒したことも、「世界を手に入れた」ということになるのだろうか。

 

 などと考えても埒が明かないことをつらつらと考えるのはグリエは実は得意ではない。長年腕っ節で勝負してきた身としては、ペンよりも剣で闘いたいのが本音だが、優秀な護衛としてはいざという時のために様々な事態を想像しておくのも必要だ。

 思うがしかし、4000年の記憶を持つ賢者と建国の英雄を前にして自分の頭や腕が果たして役に立つのか、彼自身甚だ疑問ではある。

 

「………、」

「どうしたのグリエ」

 

なんとなく出てしまったため息に村田が敏感に反応する。道があまり良くない場所に入ったため、眞王、村田、グリエの順に一列になって歩いていたが、村田の歩みが若干緩まって、王との間に出来た距離の分、グリエに近づいた。

 頭ひとつほどグリエより低い村田の髪が、彼の視線の下でさらさらと揺れる。ユーリが言うところの日本の優秀なブリーチ剤の威力は健在なので未だ賢者の髪は完璧な茶色だ。

 

「グリ江、ちゃんとお役に立てるのかしらーって」

「はあ?」

 

必要以上に体をくねりながら両手に頬を当てる。しおらしくしているつもりだろうが、男の姿のままではただの変態である。しかし村田は慣れているのかそこには一切触れずにトントンと彼の広い胸板を手の甲で叩く。

 

「こんな立派な体してなーに言ってんの。この中で一番役に立たないとしたら、間違いなく僕だよ」

「そんなことはないですよ」

 

村田の言葉に思わずグリ江モードを解除してグリエは即答した。

 

「あの方も言ってたじゃないですか。魔剣を手に入れるためには賢者が必要だって」

 

少し間のあいた、前方にいる金の後ろ髪に目をやってグリエが言うと、

 

「賢者ねえ……」

 

村田は気のない返事を返す。

 

「それに猊下の頭脳がないときっと困ります」

「そう?」

 

なるほどね、と頷いて村田はちらりと後ろの護衛を見た。

 

「そして彼の桁外れの魔術だって必要だし、そんな僕らを守る腕っ節だって不可欠だよね?」

「………」

 

村田の言葉にグリエは返す言葉につまる。そんな従者をみて主はふっと微笑った。

 

「心配しなさんなって。君の腕は知ってるし、第一あの男が役立たずを連れてこようと思うわけがない」

 

後半は前を見据えて渋い顔をしながら言う。

 

「彼は本当に傲慢だからね。必要ないものはあっさり切って捨てちゃう鬼だから」

 

手を口にあてて内緒話の体を装っているが、そのくせ村田の声は通常より若干大きい。前を行くその「傲慢な男」は肩をひくりと動かしたが振り向こうとはしなかった。心当たりがあるのかもしれない。

 

「ま、頼りにしてますから」

 

にやり、と口角を上げるその表情は、不釣合いなほどに彼に似合っていて、己の主に、グリエは心の底から白旗を掲げた。

 

「猊下、時々男前になるのやめてくれませんか?」

「何言ってるんだか」

 

どこかで聞いたような台詞に村田が呆れた声を出して、しかしすぐにそれは笑い声に変わる。その声を聞きながらグリエもなぜだか無性におかしくなってきて、声を殺して笑った。

 前を歩いていた王はくるりと後ろを振り返って2人を見たが、笑いあう彼らを一瞥しただけでまたすぐに前に向き直った。

 

 

 

 

 

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