価値の在処

 

 

 

 

 

 ただ側に在る従者の存在を感じながら、そしてまたそのことに感謝もしながら、村田は夜の海を見ていた。

 一面の黒い海原に安堵を覚えるのは、やはり彼が黒をその身に宿す存在であることの覆しようもない証明なのかもしれない。

 

 人間は闇を恐れる。黒を恐れる。そして魔族だとて、その色には普通畏怖を感じる。黒は確かに世界に愛された色だ。

 それは、この世界の者が焦がれるが故に恐れ、手に入れることが困難であるからこそ誰しもが欲っさずにいられない、孤高の色なのだった。

 

 彼の身を今は包んでいる偽りの色を嘲笑うかのように、その場に満ちた黒が村田を覆っていた。

 絶え間のない闇の中、賢者は思考を巡らせる。

 

『世界を手に入れる』

 

野心にきらりと目を光らせた王の言葉を村田は頭の中で繰り返す。

 かの双黒の大賢者は、それを分かっていて眞王のもとに下ったのだろうか。いや、下る、という表現は正確ではない。彼は、金の髪の青年を「選んだ」のだ。

 もちろん、「双黒を手に入れた者が世界を手に入れる」というのは、ただの伝説であるのだろう。どの世界にもそういった言い伝えは存在する。

 しかし実際に賢者を得た眞王が、創主を打ち倒してひとつの国を建国し、そして眞魔国がその後、数々の苦難を迎えながらも繁栄の一途を辿ってきたことは明らかな事実である。

 

 ぶるり、と再び震えそうになる体を村田は必死に押しとどめた。寒くもないのに悪寒がする。

 

(双黒の大賢者)

 

 胸の奥で呟いて記憶の中の長い黒髪を辿るけれど、やはりその影はいつものようにもやがかかっているように、彼の脳裏を不透明に過ぎるだけだった。

 普段はそんなに不自由を感じないけれど、今回ばかりは遠い存在に苦言のひとつでも投げかけてやりたいと感じる。彼の思考を探りたいと、願った。

 そんな叶わない願いをもてあましながら再び堂々巡りの思考回路に少年は舞い戻った。

 

 自分が今、ここにいる意味はなんだろうと村田は思う。

 伝説の黒を手に入れ、そして失ってしまった偉大な王。その彼の手によって、かの人の代わりに呼ばれた自分。

 

(―――なぜ僕が)

 

 村田は自問する。眞王に選ばれたのが、なぜ自分だったのか。

 確かに自分は双黒の大賢者の魂を受け継いでいる。でも、数多くの自分の前世だった者もそれは同じであるはずだ。

 

 ただの偶然なのだろうか。

 

 少しの疑念が村田の心に染みをつくる。

 王は、後に歴代魔王の肖像が飾られるあの回廊で――今はまだ彼と彼の賢者のみが佇む――、言わなかったか。

 

『お前が必要だ』

 

あれはただ単に双黒の大賢者の魂を持つ自分を、彼と同じだとみなしているから言った言葉だと思っていた。

 頑なに自分を彼の賢者と同じに扱おうとするあの時の王を、今更ながら村田は疑問に思う。

 

「…………もしそうでなかったとしたら」

 

ぼそりと呟いた村田は、次の瞬間はっと隣を見た。

 しかしグリエは変わらずただそこにいるだけで、村田の言葉が聞こえた素振りもみせないで前を見ていた。本当に、よく出来た従者だと村田はどこか呆れながら思う。

 

 そして今まで考えていたことを振り払うようにゆるりと首を振る。

 もとより王の思惑などは知らない。かの人の身代わりになると決めたのは自分自身だ。

 

 それが、眞魔国のためになると彼は言った。

 自分の愛する国、人々(名君となるであろう友人の魔王とその忠実で優秀で、暖かな臣下たち)、そしてなによりも国の民のために必要ならばと、そう考えて。

 

「行こうか、グリエ」

 

きゅっと一度縁を握りしめてから村田は、船縁から体を離す。そこではじめて気配をあらわす男に笑いかけた。

 

「彼を一人にしていない方がいいだろう」

「分かりました」

 

ゆるやかに歩き出す己の主人にグリエは付き従う。背後の存在を感じながら村田は前を見据えた。

 二人は夜の海を後にして火の灯る室内へと足を踏み入れる。看板には波と風の音だけが残った。

 

 このとき、黒を身に秘めた少年は思考を手放してしまった。

 つまり彼は、自分の存在の意義を問う最初の機会を逃してしまったといえる。

 それの是非は今問うべきことではないだろう。

 ただ、ひとつ言えることがあるとすれば、彼はこのときまだ、自身の価値を完全には把握しきれていなかったのだった。

 

 彼が自分の見目に関することに無頓着であるのと同様に、自分がどれほど、かの王にとって意味のある存在であるのかを、まだ。

 

 

 

 

 

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