9.対峙する二人

 

 

 

 

 

 そのひとは変わらず、美しかった。

 

 ヨザックはごくりと唾を飲み下して、同時に自分が緊張していることに気づく。そんな自分に嘲笑うかのような嫌な笑みを与えた。

 改めて相手を見遣れば一直線にこちらを見据えてくる瞳が少しもあの頃と違いがなくて、一瞬だけ思い出に捕らわれそうにるほどに目の前の彼は変わっていなかった。

 

 彼の背後ではショーケースが静かに内容物を守っている。

 未だ輝きを放つ宝が収納されているところを見る限り、それは彼の目的物とは違っていたようだ。つまり、ヨザックは非常に幸運だったと言える。

 世に名を轟かせる「ナイトメア」が、実は真の獲物以外には手を出さないことはあまり知られていない。彼は本当に欲しい物は是が非でも手に入れるが、それ以外のものには手を付けずに、確認した後すぐにその場を去る。

 そしてヨザックは、その事実を知る数少ない人物の1人だった。

 

 どのくらいの時間が二人の間に流れたのか分からなかった。月明かりの存在しない部屋の中、男と少年は互いを伺うように相対する。さして広くはない室内で彼らの距離はごく、近くにあると言えた。ヨザックが彼自慢の脚力で一足飛びに近づくことも恐らく可能だろう。じりじりと迫り来るような静寂に背中につぅと汗が伝うのを感じる。

 

 相手の姿は闇に紛れてひどく朧気だった。何を言おうかと考えているうちにともすれば瞬時にいなくなってしまいそうな彼にヨザックは焦りを感じ始める。さっきまでの強気な姿勢はどこに行ってしまったのかと、自分自身をなじってやりたい気持ちに駆られるが、動くことも言葉を発することもなかなか出来ないでいた。

 

 しかしそんなヨザックの様子をしげしげと見つめていた相手の第一声は、あまりに無残なものだった。

 

「人の名を勝手に騙るのはやめてもらえる?」

「……」

口元にだけ笑みを浮かべる黒の少年に男はぴくりと片眉をあげて反論する。

「心外ですねえ。そんなに俺が信用ならないですか」
「別に君だからというわけじゃないさ」
「じゃあ、俺たち、ですか?」
「悪いけど、おしゃべりに付き合うほどヒマじゃないんだ」

失礼するよ、と早々に身を翻そうとする相手の体をけれどヨザックは先ほどまでの躊躇が嘘のように驚くべき反射神経を持っていとも簡単に捕まえる。ぐいと腕を引いて強引に彼の体を自分の方へと向き直らせた。

 後姿で煙に巻かれるなんて冗談じゃないと思った。

「あんたは相変わらずつれない。ちっとも変わってない。どのタイミングで逃げようとするか、俺が分からないとでも?」
「………」
「舐めてもらっちゃ困りますよ。この際、あの予告状の主が誰かなんて関係ない。質問に答えてもらう」

口に出すほどに低くなっていく声色に、自分の声が怒りを帯び始めたことをヨザックは知る。何に対して怒っているのかは自分でも分からない。分かっているはずなのに分からなかった。

 

なぜ裏切った」

「5年ぶりだっけ、ヨザック。随分強気になったね」

「3年ぶりですよ。誤魔化すなんざあんたらしくないんじゃあありませんか?」

君には関係ないって暗に言ってみたんだけど、しばらく見ないうちに脳まで筋肉になっちゃったのかな?」

今更挑発になんて乗りませんよ」

 

相手が会話の隙に逃げる糸口を探しているのを分かっているからヨザックは引かない。掴んだ腕がすり抜けないようにしっかりと指に力を入れた。

 

「……俺はただ知りたいんです」

「それこそ今更だよ」

「猊下」

 

思わず声に出た名前に彼はしかし、何の反応も返しはしない。ヨザックだとて前を向かせて表情を丹念に観察したところで簡単にぼろを出すような相手ではないことなど百も承知だ。

 

「本当は裏切りなんてどうでもいいんだ」

 

ヨザックの声に苦渋が混じる。怒りがみるみる沈下して代わりにさまざまな感情が胸に広がってゆくのを感じた。悲しみなのか懇願なのか、それとも別の何かなのかあるいはそれら全てなのか自分でも判断がつかなかった。

 ただ、ほんの少しで構わない、彼の本音の断片が欲しかった。

 

「――なぜ俺たちの前から消えたのか。いい加減、その理由を教えちゃあくれませんかね」

「もう3年も前の話だよ」

「だからですよ。あれから随分時間が流れた。そろそろ教えてくれてもいい頃だと思うんですけどね」

 

ヨザックは彼の些細な変化も見逃さないというように一心にその端整な顔に視線を注ぐ。少年は熱視線を流しもせずに受け止めて、彼もまた、目の前の男を見返した。

 

「久しぶりに聞いたな、その呼び方」

「……」

 

不意に口元を崩した彼からこぼれた言葉にヨザックは一瞬言葉を失う。瞳に浮かぶ懐かしい色。目を瞠った。

 

「ヨザック」

「……猊下っ、」

 

そうして名を呼んだその時、ヨザックは思い知る。

 

「君こそ本当に変わってない」

「!」

 

途端、ぶわりと一面に舞う暗闇よりも黒い影に遅れを取ったヨザックが対応しきれないでいる間にドンと胸を強く押されてたたらを踏む。後ろに数歩よろめく合間、タタン、と金属質の音が耳に聞こえた。

 

「?!」

「舐めないで欲しいのはこっちの方だ。忘れたのかい、この3年間、そしてそれ以前だって、君が僕を捕まえたためしなんてただの一度もないってこと」

「………」

 

今度こそと思った自分の願いがものの見事に打ち砕かれたことを、ヨザックは思い知らざるを得なかった。

 窓の際の上でよろめきもせずに立ち、ヨザックとの間に十分に距離を取った黒衣の少年は、彼の良く知る笑みを口の端に浮かべて男を見下ろす格好でちらりと先ほど自分たちがいた場所に目を向ける。金属の光がキラキラと輝くさまが深夜のこの場所にひどく不釣合いだった。

 そして瞬時にヨザックも理解した。おそらく、自分たちを狙って放たれたものだろう。その考えを裏付けるかのように彼の少し調子の違った声が聞こえた。

 

「まあでも、どうやら名を騙った件に関しては僕の誤解だったみたいだ」

 

ごめんね、と悪びれた様子もなく詫びて彼は軽快に狭い足場を蹴る。

 

「猊下!」

「じゃあね」

 

張り上げられた声に振り向くことなく、別れの言葉と共に開かれた窓の外へと彼の姿がひらりと消えた。

 おそらく飛び降りるために用意したのだろう真黒のマントの残像だけがヨザックの視界にまざまざと残った。 

 

 

 

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