.難攻不落の楼上

 

 

 

 

 

 首尾は上々といったところだった。

 赤外線が張り巡らされているはずの校内を悠々と歩きながら、ヨザックは目的地へと一歩一歩近づいていた。

 普通ならば一歩足を踏み込んだだけで警報ブザーの餌食になって一巻の終わり、というところだが、それはそれ、彼の仲間の手にかかればどんなに厳重なセキュリティも丸裸にされざるを得ない。

 

 天使のような容貌に小生意気な口調の、自分よりも心身ともに幼い同胞を思い浮かべてヨザックは口の端を上げる。可愛い顔して何とやら、相も変わらずの腕の良さに場所が場所でなければ口笛でも鳴らしたいところだが、もちろんそんな愚行は犯さずに男はただ前進する。

 

 駆けようとしないのは自分が必ずしも冷静な状態でないのを自覚しているからだ。走ったくらいで動悸がおきるような鍛え方はしていないが、精神状態に影響を及ぼさないとも限らない。

 今夜の相手が、慎重に慎重を期してもまだ足りないことをヨザックは重々承知していた。

 

 階段を上って上って、最上階のフロアに足を踏み入れる。目的の人物は間違いなく今日ここを訪れると、幼馴染は言った。その条件が揃っていると。

 それはつまり、予告状のことだということをヨザックも解っている。

 

 名門パブリックスクールに少し前に運ばれてきた至宝の存在は、影の世界では有名な話だった。

 

 他の追随を許さないほど貴重であるとまことしやかに噂されるそれをヨザックが属する窃盗団ももちろん把握していた。

 真偽のほどがどうであれ、あまりにも有名になってしまったその宝を名の知れた窃盗団はどこも手に入れたがっていた。

 みなが狙うものを手中に収めることが出来るということは、即ちその世界のトップであることを意味する。しかも世界的大富豪をバックに持つ件のスクールが最先端のセキュリティーで守られていることもよく知られていて、言うまでもなくその評判はうなぎ登りだった。

 

 いくつもの窃盗団がその不落の城に挑み、そして宝はいまだ誰の手にも落ちてはいなかった。彼らはこぞってまだ見ぬ至上の代物と栄誉とを手にしようともがき足掻いたけれど、誰ひとり強固な城を陥落することが出来ずにいたのだった。

 

 目に見えぬ価値と評判が日に日に増していた矢先、その予告状はあまりにも唐突に、そして大胆不敵にあらわれた。

 

 ナイトメアからの予告状がかの城に届いた。

 

 そのニュースは裏社会にまさに嵐の如く吹き荒れた。

 ナイトメアは集団を指す呼称ではない。裏世界だけにおさまらず、表社会にも広く知られたその名前はひとりの人物の通り名だ。

 

 世界一の盗人、ナイトメア。

 

 その姿がまるで少年であることは、周知の事実。彼はエンターティナーのように追う者や捕まえようとする者の前にその身を晒す。だから目撃証言には事欠かない。

 けれど、所在も本名でさえも知る者は1人としていない。それが何よりも彼の実力の証だった。

 

 ある程度の人数で動いた方が圧倒的に効率がいいトレジャーハントの世界でたったひとりで事を成就し、かつ、完璧に痕跡を消す。同業者でさえ彼とコンタクトを取るのは至難の技で、ナイトメアと一度でも接触した事があればそれはステータスにすらなった。

 

 そんな彼が件の獲物を狙ったことで注目は頂点に達したが、得ようとする輩は圧倒的に減った。無論彼の登場に二の足を踏んだということもある。世界一の盗人の名は伊達ではなく、彼はそのくらいの影響力を持っていた。

 しかしそれだけではない。裏世界の者たちは、恐れたのだ。ナイトメアと同じくらい、ある意味ではそれ以上に敵に回したくない者達が――彼の名が挙がれば必ず動き出す窃盗団が――このレースに参戦することを。

 

 ヨザックは決して急がずにけれど十分に速い速度で前へ前へと進みながら、五感全てを外へと向ける。暗く長い廊下に人影など見つけようもないけれど、万一を考えて神経を故意に過敏にする。

 目的の場所はすでに目に捉えてある。あとは辿りつくだけだ。

 

 興奮からか、指先が若干震えているのが分かって拳を作った。今度こそ、とヨザックは思っていた。

 彼の姿が消えたあの日。追い続けてそして煙に巻かれ続けた数年間。

 

 ナイトメア、か。

 

 ヨザックは彼の通り名を反芻して巧く名づけたものだと内心笑う。まさしく彼は、……いや、正確には、そう呼ばれてるようになってからの彼は、自分に悪夢を魅せ続けたようなものだ。

 

 一瞬だけ伏せた目をすぐに持ち直してヨザックは止まる。いそいだつもりはなくとも急いていた足は思ったよりも早く彼を目的地へと連れてきていた。

 目の前にあるのは、至極平凡な扉。この中に途方もない価値が内包されているなどとは普通は思わない。けれどだからこそ、ヨザックのような輩は間違いなくここだと断定する。それは勘以前の問題だ。

 

 鼻からゆっくりと息を吸い込んで喉で飲み下した。

 一際強く決意を抱いた男は最上階の一角に、他の場所と変わりなく在るありふれた扉の前に立つ。

 

 何度も悪夢に苛まれた。面影を追い続けて、何度だって。

 

 だけども今回は。今度こそは。

 砂のように手をすり抜けていく彼を必ず捕まえる。

 

「………」

 

僅かの間を置いて戦闘態勢に入る。重心を落として第一関門を突破するべく鍵を調べ始めた、しかしその瞬間。

 

「!!」

 

バンッ

 

あろうことか、予想だにしていなかった展開にヨザックは咄嗟に動いた体を理性で留めることが出来なかった。

 

「…………ッ」

 

 錠を外す手間なく容易に開いた扉。

 驚愕とも混乱ともつかぬ感情の中、その向こうにいるだろう人を思って男は知らず眩しげに目を細めた。

 

 ―――――彼がいた。 

 

 

 

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