7.そして歯車は動き出す

 

 

 

 

 

 闇に住むものが蠢くのは夜と相場が決まっている。

 どの学校もそうであるように、有利の短期留学先であるパブリックスクールも昼と夜の顔が全く違う。生徒たちの喜怒哀楽にあふれた声も、教師たちの教鞭を執る声もすべて昼の産物だ。ひとたび夜の気配に包まれたらそこはまったく別の空間になる。
 オカルト好きの学生ならゴーストの巣窟に早変わりすると思うかも知れないし、カルト好きであれば人知れず秘密結社が地下に出入りしていると考えるかも知れない。


 しかし、この日のこの場所はそのどちらでもなかった。

 

 カタリ、と、明らかに人気のない校舎の中で人工的な音が上がったのは、図書室だった。

 そびえたつ本の箱が部屋いっぱいに立ち並ぶその最上部、わずかな音を立てた後にはそれが幻聴であったかのようにしんと静まり返っている部屋の中にひとつの影だけが巧みに舞い降りる。

 音もなくつま先を高価な絨毯に下ろしたその影はそのまま左右を見もしないで本の壁の間を縫って進みだした。随分と無用心に思われる行動は、彼の幼馴染への信頼の証でもある。下調べ済みの侵入経路を男は躊躇なく進む。

 

 グリエ・ヨザックは本の海を後にする。彼の生業には不釣合いな派手な髪色も、新月の今夜においては問題ない。彼にとっては今日が月に一度、闇を照らす光が夜に隠れる日なのは幸運だった。

 

 ヨザックが得意の変装を自身の身に施さなかったのにはわけがあった。

 

「さぁて」

 

廊下へと続く扉を開けて、精悍な顔に自信を浮かべた。

 

「本日の獲物を頂戴しにいきますかね」

 

軽い足取りに決意をみなぎらせて男は邁進する。目前に広がる長い廊下の先には真っ暗闇しか見えないが、物ともせずに前を見据えるその瞳に映るものは、彼しか視ることができないものだ。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 有利は悩んでいた。 

 寮の自室のベッドの前を、行ったり来たりしながら行くべきか、行かざるべきかを悩んでいた。

 どこへかと言うと、学校へだ。

 

「だあー!無理無理!!アニシナさんより怖いもんなんてこの世にあるかー!!」

 

うろうろしていた足を止め、意味不明な叫び声を上げて腹を決めたらしい哀れ少年は、ベッドに投げ出されていたスポーツバッグをひったくった。不必要なほどに大きく足を踏み鳴らすという彼にしては珍しい近所迷惑な行動を知らず取っている辺り、動揺具合が伺える。

 ギィ、バタン!とこれまた大きな音を立てて開閉されたドアの後には部屋の主の不在でようやく落ち着きを取り戻した空間が束の間の静けさを享受していた。

 

 さて、その主の向かった先はと言うと。

 

コンコン

 

「ヴォルフー、コンラッドー」

 

ドンドン

 

美形兄弟のもとだったりする。

 

「おーい、いないのか〜?」

 

再度2人の名前を呼ぶが、やはり扉の向こうからは返事どころか物音ひとつ聞こえやしない。

 

「なんだよ〜」

 

有利はがっくりとうなだれた。ついでに扉の前でずるずると膝を折ってしまうくらい意気消沈していた。

 

 ヴォルフもコンラッドもいない。ひとりで学校まで戻らなきゃいけない。夜の学校。怪談の巣窟。無理無理。やっぱり部屋に戻る。化学のレポート、朝学校に行ってからやる。俺の頭じゃ不可能。宿題終わらない。アニシナさんに怒られる。いやいや怒られるなんて生易しいもんじゃねえ!!無理無理無理!!!

 

 おおよそ、有利の頭の中ではこのような葛藤が繰り広げられたと思われる。毒女と称されるこの名門スクールきっての鬼教師、アニシナの実験動物と化している自分の姿を想像した彼は即座に曲がった膝を再び正して顔を上げた。

 

 お化けがなんだ!!美形兄弟のばかやろー!

 

 怒りの矛先を理不尽な方向に向けつつ、有利は精一杯の闘志をみなぎらせて歩き出した。彼のいる寮から歩いて数分で到着できる、目と鼻の先にある真夜中の城へと。

 

 かくして少年は、図らずも悪戯な歯車に自分が完全に巻き込まれたことを無論知らない。 

 

 

 

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