3.ナイトメア
日本食は、世界中で一番ウマい。 有利は常日頃からそう思っているが、イギリスに来て約1ヶ月、その思いは日に日に強まる一方だ。
「ごはん……味噌汁…漬物」
寮の食堂のテーブルの上で、先ほどとは違った意味で突っ伏している少年が一人。黒い髪に黄色人種特有の肌の色。どこからみても日本人、渋谷少年である。
「はくまーい…あさげー、しーばーづーけー」
内容がさっきと同じである。
「ちくしょー、毎日毎日ごつい肉ばっかり食べさせやがって!!筋肉は欲しいけど脂肪はいらねーぞ!」
渋谷有利、どうやら和食が恋しいようだ。 トレイにのっているやたら高級そうなハンバーグを目の前にどんよりとしているさまは傍から見ると、良いとこの坊ちゃんが集まることで有名なこのパブリックスクールには不釣合い極まりないが、現在は夕食の時間を外れているため幸運なことに人がまばらにしかいなかった。
「みーそー」
有利の叫びがもはや調味料名にまで行き着いてしまったとき、ぽとりと顔の隣に何かが落ちてきた。
「へ?」
そこに書いてあったものは。
「うえええー?!ゆうげー?!」 「そんなに日本食に飢えるくらいなら来なきゃいいのに」 「へ?!」
がばりと体を起こした有利は、落ちてきた『ゆうげ』の袋と声の主を交互に見る。
「あげるよ」 「えっ」
そう言って彼は、すたすたと歩いて行ってしまった。
「えっ、ちょっ!」
慌てて呼びとめようとする有利だが、なぜだか見失ってしまう。トレイにのったディナーもそのままに人気のない食堂を抜けて廊下に出てきょろきょろと見回しても、やはり彼の姿は見当たらない。 有利はもう一度、しっかりと手に握ったゆうげのパックと相手が去って行ったかもしれない方向を何度が往復して。
「………よし、ありがたくいただこう!!ありがとう、日本食好きのイギリス人!!」
あらぬ方向に手を合わせてから、給湯機のある方へと急ぐ。次会った時には必ずお礼を言おうと、金髪に青い瞳、そして眼鏡をかけた彼の外見を有利は頭にインプットさせた。
給湯機のある場所に移動をすると、カップに粉末を入れてからとぽとぽとお湯を注ぐ。湯気と共にふわあと広がる味噌の香りが有利の鼻腔を香ばしくくすぐった。
「っく〜〜〜、やっぱいいよなあこの匂い!」
まるでおやじのような台詞だがそんなことは気にしていられない。席へと戻った有利は親切な金髪少年に感謝の念を捧げつつ、ずずずっと即席味噌汁を一気に掻きこんだ。
「ユーリ!いつまで食べてるんだ!!」 「何か不思議な香りがしますね…」
味噌汁を堪能している有利のもとへとやって来たのはイケメン兄弟である。高い声で責めたてるヴォルフラムと気にせずマイペースなコンラートにも既に慣れた有利は、最後の一滴まで飲み干してから、満足そうな笑顔で彼らを迎える。
「良い匂いだろ〜。日本の心だよ心!」 「何を言ってるんだお前は!ほら、さっさと帰るぞ!!」 「何だよヴォルフ、食後はゆっくり休まなきゃ駄目なんだぞ!」
消化が云々、とごたくを並べようとした有利を遮ったのは以外にも弟ではなく兄の声だった。
「ユーリの言い分も分かりますが、ここはヴォルフに従うのが賢明です」 「……どうかしたのか?」 「どうやら、ここにある宝を盗むという予告状が彼から届いたようです」 「彼?」
いつになく神妙な顔つきのコンラートに有利は自然と声を潜めて聞き返す。
「彼、ですよ。どんなセキュリティもものともせずに侵入し、狙ったものを必ず奪っていく今世界中で一番有名な盗人です」 「お前はそんなことも知らないのか!」
あきれたように声を張り上げるヴォルフラムに顔を一度向けて、再びコンラートに戻す。そんな人物が存在する事を知ったのが初めてならば、ここに宝なんていう大層なものがあったという事実も寝耳に水だ。
「盗人……?」
気になるフレーズはたくさんあったが、その中でも正義感の強い有利の心を一際ひきつけた言葉が口をついて出た。 有利の訝しげな様子をよそに、涼やかな瞳を凛々しく細めて厳かにコンラートは囁く。
「ナイトメア」
その響き。
有利は意味が分からないままに不思議な感覚を覚えてコンラートをまじまじと見つめる。
「……?」 「とある著名な大富豪が、彼を称した言葉です。彼に宝を奪われた夜は、真夏の夜に見た悪い夢のようだったと富豪は言った」
それから、とコンラートは続けた。
「名前のない彼を人々はそう呼ぶようになったんです」
ごくりと。知らず、有利の喉が鳴った。
鮮やかな手腕を持って不可能を可能にし、奪われたものと彼を捕まえそこねたものを夜の底へと突き堕とす。
悪夢の名を持つ、謎の盗人。 |