14.夢の狭間で
「ごめんね」
目の前の少年の薄く開いた口から規則的な呼吸が聞こえてきたのを確認して村田は少しだけ表情を緩めた。てのひらを彼の頭にあてがってふたたび髪を撫ぜる。反応はない。手をそのままに彼は弱い息を吐く。
そっと手を離して少し距離を置いた。木製の長椅子は心地良い眠りを与えるには足りないのだろう、体の緊張は解れていないように見える。それでも休息は与えてくれるはずだった。 村田は有利の頭の隣側に腰掛けながら、静かに相手の閉じられた双眸を見つめる。今はその奥の、心根を思わせる真っ直ぐな眼差しは見られない。そのことにおそらく彼は安堵を覚えていた。
君は不思議なひとだ。
口内で呟いた囁きは無論誰にも聞こえない。声に出したところで認識できる存在は彼自身しかいないのだが。それに気づいたのか、今度は唇から音がこぼれた。
「この僕が」
一呼吸おいて自嘲するかのように目をつぶる。
「すべて話してしまいたくなるなんて」 「ならば洗いざらい話してしまえば良い」 「!」
ハッとして黒の少年は目を開ける。まじまじと目下の相手を見るけれど有利の目蓋は下ろされたままだ。怪訝に思って眉を潜めた。確かに声は彼の方から聞こえてきた。
「ふっ」
思っていたら、見かけは眠ったままの少年の頬がひくりと動いた。
「………」
そうしてゆっくりと彼は目を開ける。
黒衣の怪盗はそのさまをじっと見つめていた。 確かに眠りに誘われたはずの渋谷有利はこの国では印象的なその真っ黒の瞳を楽しげに細めて、逆さ向きに自分を見つめてくる村田を悠然と見返している。この状況でなお、表情ひとつ変えない相手の様子を楽しんでいるようでもあった。
「君は誰」 「おかしなことを言う。見ての通り渋谷有利だ」 「違う。彼は眠っているはずだ」 「一服盛ったからか?」
ぴくりと村田の形の良い眉が跳ねた。そのまま彼は口角をも持ち上げて肩を竦める。
「心外だな。盛ってないよ」 「でも術をかけただろう?」
同じことだ、と切って捨てる相手に村田は返す言葉を持たなかった。
「……君は、誰?」
神妙な面持ちで村田は再度尋ねた。今度は取り繕うための問いではなくて、口角も上げてはいない。射抜くように見つめてくる渋谷有利の名を騙る男を、村田もまたひたと見据える。 その変化に満足したのか、相手はいいだろう、と鷹揚に頷いた。ゆっくりと長椅子の上に体を起こす仕草ひとつとっても、先ほど村田と共にいた少年とは似ても似つかない。顔も体も同じなのに、まるで別人だった。
「誰かなんて質問はするだけ無駄だ。余は紛れも無く渋谷有利なのだからな」 「全然違うと思うけど」
呆れたように返す村田を、けれど彼は頓着しない。
「言いたいのはそんなことか?」 「………」
体を起こした彼の顔は村田よりもすこしだけ上にある。そして距離が近づく。思わず村田は目を伏せた。
「どこまで知っているのかな」 「少なくともお前よりは」
あっさりと返された答えに内心驚愕する少年の面差しは、それでも伏せた顔によって無粋な眼差しから隠れることが出来た。 彼らしくもなく逡巡を繰り返した後で、2人の視線は再び交わる。村田は意を決したように瞬きをひとつして口を開けた。
「鍵を?」 「鍵はお前だ。いや、むしろ、鍵の鍵と言うべきか?」 「………」 「余に小細工など使うな」
村田は黙して、そうして諦めた。どうやら本当に、村田自身以上に彼があらゆることを知っている、というその言葉を認めないわけにはいかないようだった。
「その様子じゃ、禁忌の四大元素のことも知ってるんだね」 「そうだ、お前がその番人だということもな」 「……信じられないや。今まで誰にも言ったことないのに」
呆然とした体で呟く少年怪盗を、同じく少年の顔を持つ未知数の男はフンと鼻で笑い飛ばした。
「小僧風情が」 「こ…」 「何もかも独りで抱えようなどとおこがましい」 「……」 「しかし、子供の不出来は育ての親の責任だ。お前のせいではない」 「え?」
ぼやくような言葉尻に即座に反応して聞き返す村田の動きは、しかし渋谷有利の手のひらが顔の前にあらわれたことにより遮られる。
「……そろそろ潮時だ」 「ちょ、」 「こやつが起きる」 「?」
いぶかしむ村田を完璧に無視した状態で、こともなげに彼は自分の胸をトントン、と叩いた。
「まあ、とりあえずこれを近くに置いておけ」 「簡単に言うね」 「役に立つかは分からぬ、でも心地は良いのだろう?」 「…………」 「そういうことだ。ではな。また会えるかは知らぬ」 「待って!」
名残も惜しまずにすうっと目を細めていく相手の肩に村田は追いすがるようにしがみついた。
「ひとつだけ」
教えて欲しい、と言う彼に、渋谷有利の姿をした男は面倒そうに頷く仕草をもって先を促す。
「君は。……君は、眞王と呼ばれる男を知っているのか?」
するとほとんど眠りに落ちそうな風情ながらも、相手の顔が急速に歪んで村田は目を瞠る。これほどしかめっ面、という言葉が似合う顔もそうそうないのではないかと思えるほど見事な変化だった。 僅かに動く口を見て村田は慌てて耳を近づけた。相手が意識を手放す一歩手前、言葉は確かに村田の耳に届けられた。
「天敵だ」 |