11.真夜中のデート

 

 

 

 

 

 目を開けたら空を飛んでいたなんて、まるで夢の中の話だ。

 と、有利が思いがけず冷静に分析が出来たのは、その状況があまりにも現実離れしていたからに他ならない。

 

「………」

「起きちゃったみたいだね」

 

上から聞こえてきた声は、有利が目を閉じる寸前までに欲していたもので、思わず安堵の息が零れた。それでも目の中に飛び込んでくる映像はにわかに信じられるものではなくて、ぽつりと間の抜けた質問が口から落ちる。

 

「……どこだ、ここ」

「空だよ」

 

返ってきた答えの非現実っぷりに、有利の思考回路は一瞬ショートしたが、しかし。ぐるぐると首を廻して現状を把握すれば、なるほどそこは真っ暗闇で、恐る恐る下を見ればそんなに離れてはいない位置に、特徴的な建物が見える。

 ああ、ここって上から見るとこんな風になってるのか…なんて瞬間思ってしまった少年は大層つわものである。

 

(って、空って!!)

 

そんな普通に答えられても、と遅ればせながら有利は内心ツッコミを入れる。徐々に状況把握能力が戻ってきた彼の頭に、今現在、自分が置かれている事態は理解の範疇を軽く飛び越えるものだった。

 

「だいたいなんで生身の人間が空飛べるんだよ!つーかなんだこのお姫さま抱っこみたいなのはー!!」

「ツッコミどころはそこなんだ。君ってやっぱり面白いねえ」

 

あまりのありえなさに始めは気にもしていなかったが、有利は黒衣の少年に抱きかかえられていたのである。今の現状すべてを信じられないし信じたくもないと強く思うが、如何せん、体感する風も肌に触れる相手の腕も疑いようもない本物だ。

 

(細っこい体のくせに……)

 

自分の体を支える彼の腕はひと1人の体重を支えるには到底心もとないもののように思えるのに、不思議と有利に不安はなかった。第一、生身の体で空を飛んでいること事態がありえないのだから、そんなことは些細な問題だ。

 何をどう問えばいいのかも分からなくて、有利は黙って自分の体を軽々と抱えている(ように見える)少年の顔を上目に見上げる。彼はまっすぐ前を見ているようで、有利の視線から捉えられるのは顎から耳にかけてのラインくらいだ。普段、そんなところを注視したりはしないので比べようもないのだが、彼のそこはいやに綺麗に見えて場違いにもどぎまぎしてしまう。

 それを誤魔化すかのようにもっともな質問を有利はぶつけてみた。

 

「……なんで飛んでるんだ?」

「空しか逃げ場がなかったから、かな」

「そうじゃなくて、なんで人が空を飛べるんだよ…」

「さあ〜」

 

おどけた口調で返してくる相手は答えをくれる気はないようだ。だとしたら次の質問も彼ははぐらかすだろうなと思ったが、有利は飲み込もうとはしなかった。

 

「お前、何者?」

「何者、って?」

「ここの生徒じゃないだろ」

「どうしてそう思うの」

 

少年はただ前を見据えている。有利は彼の顎を見つめたまま、どうしても何も、と思う。

 

「だって、うさんくさすぎだろ」

「ぶっ!」

 

その、身も蓋もない発言に噴き出した彼は、心底おかしそうにひとしきり笑って、不意に顔を下げて彼の腕の中にいる相手を見つめた。

 

 月明かりの一筋もない暗い夜。

 それでも有利は彼の瞳の中の黒をしっかりと捕まえた。

 

「っく…、っはは、君って、ほんとおかしい…」

 

さんざん笑われて気分は良くないが、彼の目を見るとそれもどうでも良くなってしまうから不思議だ。

 

「……変なやつ」

 

ぼそりと呟くその言葉さえ彼にとってはおかしいらしい。しばらくの間声を上げていた彼は、けれどふっと一瞬視線を走らせたかと思うと、ようやく笑い声を収めて代わりに口の端を持ち上げた。

 

「残念、デートはお終いみたいだ」

「はあ?」

「僕はね、泥棒なんだ」

「へえ」

 

あんまり自然に彼が言うから、有利は返し方を間違った。というよりも、むしろその前の発言の方に気を取られていて、考えて返事をすることが出来なかった。

 

「………そこはもっと驚いてくれてもいいと思うんだけど」

「え?あ、ああ、そうか、そうだよな」

「君ってさ、多分、すごく変だよ」

「な!お前にだけは言われたくない!!」

「でも僕は嫌いじゃない」

「………」

 

その言葉はなぜだかとても神聖なもののように聞こえて、有利はぐっと詰まる。

 

「だからごめん」

「?」

「君を巻き込んでごめんね、渋谷」

「どういう――うわっ!」

 

村田の言葉の意味を有利は聞き返そうとするが、突如急速に落下し始めた体がそれを許さない。身に覚えのある――逆向きに、だが――感覚にハッと警戒心が呼び起こされた。

 先程、彼に会ったすぐ後にも急速な上昇に耐えられず意識を持っていかれたことを思い出す。

 

(冗談じゃない!)

 

 奥歯を強く噛み締める。

 遠のきそうになる意識を繋ぎ止めるべく、有利はガッと村田の腕を掴んだ。一瞬びくりと震えた相手の体を感じ取る余裕もなく少年は、ただひたすら、離れよう離れようとする心に抗っていた。

 

 

 

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