1.少年盗賊

 

 

 

 

 

 真夜中。

 時計の針が午前1時を指す、いわゆる丑三つ時。

 

 欧州でも一際名の知れたその貴族の屋敷は時間帯には似合わない喧騒に包まれていた。いや、喧騒、というのは正しくない。正確にいうならばむしろ辺りは静寂に包まれていた。しかし、それは偽りの静けさだ。何十人という人の群れが一様に声を押し殺し、身動きひとつに注意を払う。

 声はない、けれど人数分の人の気配が十分にうるさかった。

 

「これはまたすごい人数だねえ」

 

暗闇の中から誰かの声がする。月が出ていないため闇は濃く、その人物の姿を捕らえることは難しそうだ。

 

「ま、評価していただいて恐悦至極、ってね」

 

少しもそう思っていそうにない軽い口調で彼はひらりと身を翻す。照らし出す光のない漆黒の空に彼の姿は綺麗に舞うけれど、居合わせた何十人という人々の中でそれに気づいた者はひとりもいなかった。

 

 

 

***

 

 

 

 「各自配置につけ!必ず奴を捕まえろ!!」

 

暗闇を割くように怒声があたりにこだまする。これほど切迫した事態でなければ思わずうっとりとしてしまいそうな声色だが、生憎それを味わう余裕のある者は彼らの仲間の中にはいないようだ。

 

「か、かか、閣下!!」

「なんだ!!」

「ああ、あそこ…」

 

驚きにむせぶような声に呼ばれて、閣下、と呼ばれたこの現場の責任者である背の高い男は部下の指差す方を仰ぎ見る。そこには今回依頼を受けた、守るべきものが透明なケースの中に安置されている。

 それはぱっと見ただけではただのショーケースに見えるが、実は最先端技術を駆使して作られた堅牢な特殊素材で覆われている。銃弾だって傷すらつけられない強固な壁、その中の宝を守るガーディアンなのである。

 

 しかも用心に用心を重ね、宝は、幅が広く、天井の高いその部屋のちょうど真ん中辺りに設置されており、何人たりともそれに近づくことは出来ない。この部屋に置かれて以来、見る事は出来ても持ち主でさえ触る事の出来ない至極貴重な代物なのだ。

 

 しかし、その者は不可能を可能にするからこそ全世界に名を轟かせていることを、改めて彼らは思い知る羽目になった。

 

「やあ、ごきげんよう皆さん」

「……ッッ!!!」

 

声を発した本人以外、その場にいる全員が絶句した。

 

「……貴様ッ」

「フォンヴォルテール卿、相変わらず良い声してるね。まったく、君が刑事だなんて滑稽極まりない」

「黙れ!」

 

名前を呼ばれたフォンヴォルテール卿グウェンダルは、凄みのある低い声と鋭い眼光で相手を威嚇する。回りの部下たちはその威圧感にぶるりと体を震わせるがしかし、ガラスケースの上に乗った少年は軽く肩を竦めただけで堪えている様子は露とも感じられない。

 

 そう、最先端技術の結晶の上に乗り、何十人という警官たちを見下ろしているのは年端もいかない少年だった。黒い髪に黒い瞳、東洋的な顔立ちが神秘的な彼はその特徴ある顔を隠そうともしないで大人たちに堂々と顔を向けている。強いて言えば、印象的な漆黒の双眸を硝子とフレームで覆っているところだけは用心深いと言えるかもしれないが、それさえただの視力矯正に過ぎない可能性の方が高い。

 

「まあこちらも長話する気はないんだ」

 

にっこりと、場違いにも一瞬見惚れそうになるほど可愛らしい笑みを浮かべて彼は片手を顔の隣に持ってくる。少年は彼らのような職業特有のマントや体にフィットするタイプのボディスーツすら着ておらず、動きにくそうな真っ黒のスーツのようなもの――ちょうど日本の学生が着る学ランのようなもの――を、いかにも最高の戦闘服であるかのように着こなしていた。

 

「っ、」

 

一同が緊張に身を堅くしたその瞬間。

 

パチン

 

いっそ心地良いほどはっきりと指の鳴る音が聞こえた。

 

「!!」

「なにー?!」

「だれか!明かりを!!」

 

と同時に、煌々と光に満ちていたその大広間の明かりが一気に消えうせた。一瞬のうちに暗闇と喧騒に包まれた空間に少年特有の高い声だけが響き渡る。

 

「約束どおり『鏡の水底』を頂戴した」

 

声が消えると同時にパッと明かりが戻る。しかしそこには『鏡の水底』と呼ばれる世界最古といわれる宝も、そして少年の姿も既になかった。

 

 

 

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