手の届かない存在だと知っている。

 それでも心が彼を求めてしまうことは罪なのか。

 

 

 

 

 

game second

 

 

 

 

 

 

 はなから望みのない想いであることなど分かっていた。

 けれど理解していることと目の前に突きつけられることは、全然別の次元の話なのだとグリエは思い知った。

 

「くっそ」

 

思わず悪態が口をついて出る。見たくなどなかったと、心底思った。

 

 グリエは普段諜報員として世界を飛び回っているが、双黒の大賢者である村田が眞魔国に滞在している間は、彼の護衛を任されることの方が多い。それはあらゆる面で眞魔国随一の軍人であるグリエを呼び戻してでも護衛の任につかせるほど賢者が国にとって尊い存在であるからだ。

 現在の彼の上司であるグウェンダルは、それだけグリエの腕を買っているし、賢者の存在意義もよく心得ていた。

 

 グリエ自身は国に帰ることが出来るので万々歳、という感じでこの任を引き受けた。当初はまさか自分が、賢者とは言え実際には自分の10分の1ほどの年月しか生きてきていない少年に懸想するなどとは考えもしなかった。

 その上、長年生死を共にしてきた戦友であり、上官でもあるコンラートまでもが彼に捕らわれているなどとは夢にも思わなかったのだ。

 

 先刻見た、信じられないような光景がグリエの頭では何度もリフレインされている。

 賢者が国に戻ってきたから任務に目処が着いたら帰って来い、とグウェンダルからの伝書を受け取って、いつもながら嬉しさと苦しさ半々の気持ちで帰ってきたところだった。

 村田の居場所を探して彷徨い歩いていたグリエは首尾よく本人を見つけ出したが、彼は一人ではなかった。

 

 グリエの思考は再び最初に戻る。

 彼が見つけた賢者は、コンラートに抱きすくめられていた。何事か会話しながらその後彼は村田を離し、その頭の上に手を置き、最終的にその身の前に跪いた。

 そして村田がその場を去る間、彼はずっと頭を下げ続けていた。

 

 賢者と臣下の間柄を考えれば、後の方は確かに説明がつく。なるほどコンラートが村田の前に膝を着くのは決しておかしな行動ではない。最初のやりとりも奇妙ではあるが、他の誰かがその場を見ていたとしたら理由がつけられないことも或いはないかもしれなかった。

 

 けれど、グリエには一連の行動の意味がよく分かった。

 

 コンラートの賢者に相対する態度ひとつひとつにあらわれる気持ちが手に取るように分かったのである。

 

(まさか、隊長がねえ…)

 

思って、天を仰ぐ。自分の顔にはさぞ自嘲に溢れた笑みが浮かんでいるだろうとグリエは思った。

 

 

 

***

 

 

 

 たったったっ、と駆けてくる足音がする。

 その音だけで判断がつくくらいにはグリエは彼のことを熟知していたけれど、敢えて気づかない振りをする。

 

「グリエ!」

 

呼ばれてはじめて気づいたかのように振り返ると視線の先には予想通りの人物がいた。

 村田に名を呼ばれるのがグリエは好きだった。

 

「猊下、坊ちゃんとご一緒じゃなかったんで?」

「渋谷はウェラー卿と遠乗りに出掛けたよ」

 

言いながら肩を並べてくる村田の少し後ろを意識してグリエは歩を進める。それが自分と彼との立場の差だった。村田もそれを分かっている。ユーリならば良しとせずにはいられないところだが、村田はそこまで身分の差の必要性を知らないわけではなかった。それに対する彼の思惑がたとえ違うものであったとしても。

 

「一緒に行かれなかったんですか?」

「僕はあんまり馬は得意じゃないから」

 

尋ねるグリエに村田はひょいと肩をすくめる。知性に秀でた賢者は、確かに運動面に特に通じているという印象はなかった。傍から見ると華奢なその身体は体力があるようにも思えない。彼の運動能力を垣間見る機会などはそうそうないので実際のところは定かではないが。

 しかしグリエは、ああ、と納得したように相槌を打った。

 

「だからいつも街に下りられる時、俺と相乗りなさるんですか?」

「ああ、それはただ自分で手綱を引くのが面倒なだけ」

「そうですか…」

 

悪びれる風もなく返す村田にグリエは苦笑する。グリエとしても出来るだけ身近に彼が在る方が、もしもの時に都合がいい。特に城を離れればそれだけ彼に危険が及ぶ可能性が高くなるため、護衛としてはこれ以上万全な態勢はないと言える。

 しかしグリエ自身にしてみれば、否応なしに互いの身体が密着する馬上では精神力との闘いを強いられる場合もある。

 無論村田がそんなことに気づいているはずもなく、グリエはひとりきりの闘いを余儀なくされるのである。

 そう考えると馬上の時間は至福とも辛苦とも捉えかねるのだが、もちろんその座を他者に譲り渡す気などグリエにはさらさらなかった。

 

「グリエ」

 

そんなことを考えていると、村田が不意にグリエの名を呼んだ。心なしか尊く稀有な彼の瞳がキラリと光ったような心地がする。

 

「……街にお出になりたいんですね?」

 

考えた矢先の彼の視線に、グリエが観念したように確認すると、相手は満足そうに頷いた。

 

「察しがよくて助かるよ」

「お褒めに預かり光栄です。が、ギュンギュン閣下辺りに外出禁止令を出されていませんでしたっけ?」

「だから君を連れて行くんじゃないか」

「バレたら俺のクビが飛んじゃいます」

「一人で行かせて僕に何かあったら、二つ以上の意味でクビが飛んじゃうよ?」

「………仰せのままに、猊下」

「ありがとう」

 

にこりと笑みを向けてくる少年賢者に、どうしたってグリエは降参の白旗を掲げざるを得ないのである。

 

 

 

***

 

 

 

 やはり拷問だ、とグリエは先ほど村田の要望に安請け合いした自分を呪った。

 

 血盟城から首尾よく抜け出した二人は城下への道のりをパカラパカラと走っている。村田が直々に調達して来た馬とはいえ、前後左右全てに目がついてはいるのではないかと思うほどの王佐の目を盗んで手配したものなので普通の乗馬用に比べれば速度は随分と劣る。

 しかし手綱を握る主の腕が良いので、それでも随分と早く走ってはいた。

 

 その馬上で、寒さの為か心持ちいつもよりグリエの側にその華奢な身体をよせる村田に、グリエは内心心穏やかではない。いつものようにいつの間にか金の色に染められた髪がちょうどグリエの顎の下すれすれにあるため、風が吹くたび微かに触れた。

 その度なぜか心地よい香りがグリエの鼻腔を掠め、それが百戦錬磨を誇る武勇の男であるはずの彼の鋼の精神力を脆くも崩そうとするのである。

 

「………猊下」

「うん?」

 

たまりかねて口を開いた。

 

「もしかして陛下の部屋で風呂に入りました?」

「うん。よく分かったね」

 

(分かりますとも!)

 

とは、口が裂けても言えない。おそらく二人はツェリ様御用達のあの妙なシャンプーを使ったのだろうとグリエは推測した。

 

(坊ちゃん、学習してください…)

 

ぐったりとうなだれてそうは思うが、或いは何かしらの意図があってそれを使ったという線も捨てきれない。ユーリの村田への扱いは、賢者であり友人であるという一線を越えているかもしれないと周りに思わせるくらいにはあからさまだった。

 

 ―――だとしたら。

 

 ふと、とある可能性がグリエの頭を掠める。

 

「猊下、坊ちゃんは隊長と遠乗りに行ったっておっしゃってましたよね?」

「うん、こんな寒い中遠乗りなんて酔狂だよね」

 

そんな寒い中グリエを引き連れて城下に下りようとする自分を棚に上げて村田は答える。しかしその矛盾を指摘するほどグリエに余裕はなかった。

 

「坊ちゃんが行きたがったんですか?」

「え?いや、どうだったかな、たしか…。…ウェラー卿が渋谷を誘っていた気がするけど」

「へえ」

「それがどうかした?」

「いえ、こんな寒空の下に隊長が坊ちゃんを連れ出すなんて珍しいなと思っただけです」

「ふうん?」

 

グリエの答えに納得したのかしないのか、村田はそれ以上質問しようとはしなかった。彼らとの先ほどのやりとりを思い出しているのかもしれない。

 沈黙する村田の後ろ髪を見つめながら、グリエはユーリに遠乗りを提案したコンラートの心中を考えていた。

 

 ユーリと村田は魔王と賢者という関係である前に、友人としてとても仲が良い。それは例えれば上官と部下であるコンラートとグリエが兄弟のような絆で結ばれているのと同じようなものだろう。

 その二人の間に流れる感情が負の意味合いが強いはずがない。そうすると、コンラートの行動の真意は自ずと知れる。

 

 はあ、とグリエは息を吐いた。白い息が金の上に広がる。村田の髪が常のような黒だったらさぞそれは彼の髪に映えたことだろうと思うと、いつもの彼の色を恋しく感じた。

 

 グリエには想像がつかない。つかないけれど、自分の上官は当代魔王の一直線な策略をもしかしたら恐れたのかもしれないと、彼はほとんど確信的に思った。

 穏やかで飄々とした外見の裏側で、今自分の腕の中にいる少年を想い嫉妬や不安にかられているコンラートの姿は全くと言っていいほどグリエには思い描くことが出来ないが。

 

 信じられないながらも思い描こうとした矢先、ふと目の前の金髪がゆらりと動いて、グリエはトンと喉の辺りに小さな衝撃を感じた。同時に先ほどまで彼の目を占めていた金色の代わりに、村田の顔が急にあらわれる。

 

「!」

 

一瞬ドキリとする。

 が、彼の容姿の中でもひときわ特徴的なその瞳は、今のグリエにとっては幸いなことに閉じられていた。

 

「……猊下?」

 

そっと呼んでみるが答えはない。

 珍しいな、とグリエは再び驚いた。

 

「猊下、眠ってしまわれたんですか?」

 

さっきよりはっきりとした声で問いかけてみてもやはり村田は微動だにしなかった。

 

 城下に着くまでにはもう少し距離がある。グリエは村田の身体を抱えて隙間がないほど自分に密着させた。寝ているときには熱が逃げる割合が高くなると言う。彼に風邪を引かせるわけにはいかない。

 背に抱えた袋の中からあたたかな布を取り出して、グリエからしてみれば小さな身体にふわりと巻きつける。そうして手綱をしっかりと握りなおした。

 

「ん、」

 

振動にもぞりと村田は身をよじるが、目を覚ます気配はなかった。巻きつけられた布が温かいのか、気持ちよさそうな寝息すら聞こえる。

 

 グリエは不意に、先日嫌と言うほど回顧した映像を思い出して意識する前に手を村田の髪の上に伸ばしていた。

 柔らかな髪の毛にそっと触れる。

 ―――ひどく、胸が疼いた。

 思えば直に彼自身にさわることなどほとんど初めてに等しかった。

 

 撫ぜる髪も、閉じられた瞼の中にある瞳も、今は本来の彼の色ではないことがとても惜しいことのように思われる。

 しかし同時にそれがいつもの高貴な色ではないから触れることが許されるような心持ちがどこかでしていた。

 

「―――――猊下」

 

普段は決して込めないように努めているが、今度ばかりはグリエも自制することが出来なかった。焦がれる想いのままに名を呼ぶが、しかし彼は変わらず安らかな寝息を立てている。

 

 起きる気色のないその様子に安堵の息をつく。腕の中にいてもなお、彼が遠い存在に変わりないことをグリエだとて理解している。十貴族に並ぶ地位にいる己の上官や、この国を統べる魔王陛下ならまだしも、と苦い思いで事実を噛み締めた。

 

「――それでもせめて」

 

(今だけは)

 

後の方は飲み下すように胸のうちだけに秘めてそっとグリエは速度を緩めた。

 胸の中の少年が今はまだ誰のものでもないことが唯一の救いであるように思えた。

 

 

 

third