この身もこの存在もこの心さえ。 すべて彼の男のものなのだろうか―――。
game third
カツカツと乱暴に闊歩する音を耳に捉えて、ある意味で眞王廟の番人とも言える言賜巫女であるウルリーケはふいと顔を上げる。床に垂れたひどく長い髪がさらりと硬い地面を撫ぜた。 その瞬間、彼女の頭の中で彼がふっと嗤う気配を感じて巫女は少しだけ眉根を寄せる。
「……眞王陛下?」
呟くけれど王の気配は既に跡形もなく消えていた。訝しげに思うウルリーケだが、普段この場所では聞き慣れない派手な音が背後から聞こえてきて彼のひとの真意を理解する。
「猊下」
後ろを向きもせずに彼女は言う。眞王廟の最も奥にあるこの部屋に、許可なく立ち入ることができる者など1人しかいない。
「そのように騒がれては困ります」 「ごめん、ウルリーケ」
咎めるような声音に相手はすぐさま謝った。彼にしては珍しい余裕のない受け答えにウルリーケはゆるりと振り向いた。
「どうかされましたか?」 「―――悪いんだけど、」
しかし村田は彼女の問いには答えずに強引に話を続けた。
「席を外してもらってもいいかな」 「……」
唐突な申し出に最高位の巫女は目を瞠る。無礼極まりない発言に常の彼女ならば一も二もなく憤慨するところだが、しばらくの沈黙のあと、盛大なため息をつくに留まった。
「……分かりました」
そう告げて小柄な体にむしろ似合っている長く美しい髪を摺りながら彼女はしずしずとその場を離れる。賢者の、黒曜石よりもなお深い双眸を前に否と答えるものなどいはしないだろうと彼女は思った。
***
巫女が去った眞王廟の最奥で村田はがくりと膝をつく。自分がこの場に現れた理由を追求しない彼女の心根に心底感謝した。
思いもよらなかった。
昼間のことを思い出して村田は愕然とする。
『―――――猊下』
途端に護衛の声が耳を過ぎって村田はぶるぶると激しく頭を振った。 しかし追い出そうとしたところで結局、彼の思考はそこに戻る。 昼間の、馬上に。
遠乗りに出掛けたユーリとコンラートを見送った後、市街に下りようと思い立ち、護衛のグリエを伴って血盟城を出た。その道中、日頃の疲れが明るみに出たのか、広い胸板を借りて寝入ってしまったのだ。 どうせならばそのまま熟睡してしまえばよかったのだと思っても今更遅い。浅い眠りに落ちただけだった村田の意識はかくん、と頭が後ろに傾いた拍子におぼろげながら覚醒した。 しかし絶え間なく襲ってくる睡魔に身を任せていたため、瞼が開くことはなかった。 それが、仇となった。
村田が熟睡しきっていると思ったグリエはふいに彼の頭に触れた。 そのとき目を開けなかったのは、驚いたからに他ならない。グリエの行為自体にももちろん驚いたが、何よりも村田は、そのひどく優しい手つきと、それに既視感を覚えたことに、困惑したのである。
既視感の源に彼が行き着いたと同時に、グリエは村田の名を呼んだ。
そのときの彼の動揺を推し量ることはきっと誰にも出来ないだろう。驚愕よりも当惑よりももっと大きな感情が一瞬間に村田を包みこんだ。それは絶望とでも言えばいいだろうか、それとも哀しみと言った方が正しいだろうか。どちらにしろ、決して明るくはない感情が村田を一気に襲ったことに違いはない。
村田はグリエの声の調子に、彼の自分に対する想いに気づいた。そしてそれに付随する形でコンラートの気持ちにも気づいてしまった。
「……っ」
なぜ、と彼は思う。
その感情はまさしく、記憶の中の自分が彼の男に対して抱いたものと同じだったからだ。そしておそらく、その彼が自分の魂の源となる人物に抱いていたものと。 あまりに似通っていた。
ふと、気配を感じて顔を上げた。無論気配といっても肌で感じたわけではない。ウルリーケが去った今、この場所には村田以外の人間はいない。 まさしく、「気」のようなものを感じたのである。村田は言賜巫女ではないが、むしろ彼女よりも眞王の気配を感じ取ることには長けていた。
「……君、知ってたの?」
彼は村田に対して言葉を紡いだりはしない。けれど村田は唯一、眞王と対等であったとされる双黒の大賢者の魂を受け継ぐ者だ。彼らの間に、はなから言葉など必要なかった。
「君って……」
本当に性格が悪い。
心の中で呟いたところで、王の笑い声しか村田には聞こえないが、言わずにはいられない時もある。
「僕が誰の者にもならないことを知っているからそんなにも余裕なのかい?」
空中に向かって独り言のように村田は言う。
「それとも、君にとっては僕が誰のものになろうと知ったことではないのかな」
戯れのように言葉を口に乗せると、激しい感情が一気に村田の脳天を駆け巡った。
「―――ッ」
耐え切れずに村田はそのまま後ろに倒れた。熱くも冷たくもない床がトンと背中に当たる。もともと膝をついていたため衝撃は最小限で済んだが、頭の中はガンガンと痛んだ。
彼の激しい感情が(それはおそらく怒りなのだろう)嬉しいのかそうでないのか、村田は判別することができないでいた。 眞王は賢者に固執する。 それはまさしく、固執というのにふさわしい感情であるように村田には思えた。
(でも、どっちにしろ―――)
諦観に近い気持ちで考えて、それでも村田の思考は不意に止まる。
『――――猊下』
夕日のような眩しい髪色をもつ人物の、熱に浮かされたような切ない響き。
『側に侍ることを許していただきたい』
人を射殺すような視線の持ち主の、それよりもずっと胸に突き刺さる真摯な瞳。
「…………」
ぐらりと揺るぎそうになる己の心に村田は首を振る。
(どっちにしろ僕は、だれのものにもならない)
呪文のように胸のうちで唱えた。
(賢者は、魔王のために存在するのだから――)
戒めのように繰り返した。
そうでもしなければ、彼らの狂おしいほどの想いに揺らいでしまいそうだった。 |
fin