月夜に浮かぶ罪の星
僕を殴って良いんだよ。
そう言った村田を本当は殴れば良かったのかもしれない。その方が随分と楽な思いをさせてやれたのかもしれない。でも息をしないヴォルフラムの傍らに許しを請う懺悔でもなくひざまずくお前を、これ以上痛めつけるなんてやっぱり出来なかった。
その夜、血盟城はひどく静かだった。 音がないわけではない。ただ、人々の胸を過ぎる悲しみが城全体を包み込んでその界隈のきらきらしい生命の灯火がまったくと言って良いほど表に現れ出ることがなく、眞魔国の中心はひっそりと、静かに沈んでいた。
ひとりの人物の訃報は、それほどまでに国の中枢を揺るがした。
ぽつぽつと明かりの灯る部屋の中、光り輝く髪と陶器のように白い肌を持つフォンビーレフェルト卿ヴォルフラムは、普段よく動く紅い唇を結んだまま広いベッドに横たわっていた。昨日までと何も変わらないその美しい容姿を有利は見遣る。 王は。 現在、眞魔国を統べる若き王は、普段あれだけ自分の周りを騒々しくする人物の微動だにしないその様子を、彼もまた黙して凝視していた。
しかし不意に座っていた椅子から立ち上がると、今は見ることのできない澄んだ薄緑の双眸といきいきとした薔薇色の頬ごと脳裏に焼き付けて後のことを侍女に頼んで部屋を後にする。
何をしてでも助ける。思いながら有利は横たわる彼に背を向けた。 このまま死なせることだけは絶対にしない。許さない、と。たとえ相手が誰であろうとも。
***
有利が探し人を見つけるのに時間はかからなかった。彼は自室にいた。正確に言えば、村田は血盟城の彼の部屋の、広いバルコニーに独りたたずんでいた。その後ろ姿から目を逸らさないまま、けれど声をかけることはせずに彼のもとへと有利は向かう。 部屋の中の光とは対照的に向かう先は暗い。月明かりはあるけれど時折雲に隠れて薄ぼんやりとしてしまうそれは心もとないものだった。
有利は月夜のもとにいる村田が好きではなかった。 黒の名を持つ彼の友人は、なるほど闇という空間がこれ以上ないほど似合っていたし、月がなおさらその不思議な魅力を引き出すのもまた事実ではある。けれど月の夜の彼はその風情に呑みこまれてしまうような危うさをいつも漂わせていると有利は感じていた。そしてなぜだかその先に、在らざる影を感じるのだ。
「………」
思いながら有利は村田の後姿を見つめる。有利の歩みは揺るがない。その先に誰がいるのだとしてもそうでないのだとしても、関係なかった。目の前の背中が村田本人のものであることだけが有利にとって意味のある情報だった。
「村田」
呼びかける声に相手はことさらゆっくりと振り返る。無論有利が側に来ていたことに気づいているだろう彼は驚きなどしない。彼にしては珍しく限りなく無表情に近い微笑でもって、来訪者を迎え入れていた。
「ヴォルフを助ける方法は?」 「………渋谷」 「村田が知らないんなら他の誰に聞いても意味がない」
思うままを率直に述べて一度、言葉を切った。頭の中をぐるぐると回るのは、ヴォルフラムの美しくも生気のない寝顔と、その枕元に表情のない顔で膝を突いていた目の前の彼の、姿、それから。 紡がれた言葉。
「お前、ヴォルフの心が乗っ取られてたこと、知ってたって言ったよな」 「うん、知っていたよ」
それはただの確認だった。有利はすでに目の前の相手からその事実を知らされていた。それでもなお今、尋ねたのは、自分の心を試すためだ。躊躇もせずに発された言葉は有利の胸に思っていたよりも突き刺さることはなく、どこか安堵に似た気持ちを覚える。
「そっか。じゃあ、眞王が何をする気かも知ってるのか?……何で、ヴォルフの心臓を奪ったのか。その理由も知ってんのか?」 「知っている、と言ったら?」 「教えろ、って言ってもいわなそうだな、村田は」
場違いにも、有利の口元には笑みすら浮かんでいた。それでも有利には分かっていた。たとえ眞王の真意を知っていたとしても、彼は口外することをしないだろう。
有利は一度目を閉じた。 そうしてすぐに開いてまた、彼を見た。
彼の目は自分を見つめていた。そこから何も読み取ることは出来なかった。それでも有利は決めた。
「ヴォルフは助ける」 「………」 「眞王が何を考えていても、勝手に誰かの命を持って行かせたりしない」 「……眞王と戦うのかい」 「相手が誰でも」
静かな夜に有利の声は凛と響いた。
「勝手はさせない」
眞魔国の王はこのとき既に、かの英雄に宣戦布告をしていた。彼の臣下も国も人々も、好きにさせはしないと心に誓った。
そして真正面にいる、有利にとってかけがえのない相手も。 |