君と僕の12ヶ月 11

 

 「勇人さん!」

 

部活でへとへとに疲れた帰り道、校門をくだりはじめたところで上がった大きな声に、阿部は顔を上げた。数メートル先を泉と共にチャリを押しながら歩いていた栄口に駆け寄る人影が目に入る。

 

 背の高い後姿。

 ぶわ、と広がっていたワイシャツの裾は目的の人物の元で止まると同時にふわりとしぼむ。暗闇に目立つ白は何も彼だけではないけれど姿勢の良い大きな背中は否応なしに阿部の目に付いた。

 

「今日はCD見てくンですか?」

 

そして、声も。

 

「ん?今日はそのまま帰るよ」

「なんだ、じゃあコンビニまでっスね」

「おっまえ、毎日毎日飽きねェなあ。おとなしく小松と帰れ!家近ェんだろ?」

「今日は義孝先に帰ったんですよ」

 

ハンドルを持っていない方の手でシッシと追い払う泉の仕草はもちろん彼らが気の置けない仲だからこそなのだが、それでも小松だったら首を竦めてしまいそうなものだ。しかし葛西はというと飄々と答えて堂々と栄口の隣に並ぶ。

 

 そのまま横一列に並んで下っていく3人の後姿は阿部の眉間に皺を深く刻ませるのに十分過ぎた。彼と彼らとの間には数メートルの距離があり、その間に他の部員を何人も挟んでいるため阿部の不機嫌の出所が露見することはなかったけれど、代わりにその理由を知る者もなかった。

 

「……阿部」

 

かと思われたが、ひとりだけ、例外がいたようだ。

 

 花井は返事をしない相手に頓着せずにチャリを阿部の横に付けて、その視線の先を追う。気持ちを自覚させたのが自分だという意識があるからなのか、花井は阿部と、葛西と、栄口の様子を常々注意深く観察していた。

 

「思ったよりもあからさまだな」

「……」

 

しかし花井が注視するまでもなく、葛西の態度は、実に、分かりやすかった。

 

「泉は気づいてっかもな…」

 

ぼそりと呟く隣の男をちらと見遣る事で阿部は肯定を示した。葛西が栄口に懐いているというのはもはや1、2年周知の事実となっている。もともと栄口の後輩である小松と仲が良いのでその延長のように思われていて、特別な何かがあると感付いているものは逆に少ない。もちろん、男同士という先入観がそこには横たわっているわけだが。

 

 けれど勘の良い泉は、もしかしたら気づいているかもしれないと阿部も思っていた。事実の如何は分からない。

 今も、栄口を挟んで葛西とやり合っている泉が相手の本気をどこまで感じ取っているかは謎だった。

 

 

 校門を出るとすぐ前方にいつも寄るコンビニが見えてくる。部員たちは店の前に、歩行者の邪魔にならないようにチャリを止めるが日が落ちてから随分と時間が経った学校近くのコンビニなんて邪魔だと思うような利用客がそもそもほとんどいなかった。

 車通りの少ない道端にぽっかりと浮かぶコンビニエンスストアの光は住宅から漏れる淡い光に比べて明るく夜道を照らし出す。

 しぃんと静まり返っていた住宅街の一角はしかしすぐに賑やかなざわめきに満たされた。

 

「あー!泉またメロンパン買ってる」

 

好きだねーと、目ざとく人の収穫物をチェックする水谷に、

 

「うっせー。お前こそまたアイス2コも買ってんじゃねェよ」

 

泉の鋭いツッコミアンド軽い蹴りが炸裂した。

 

「ぎゃ!なんで蹴るんだよーっ」

「うぜェから」

「ひどっ!」

 

栄口ー!と泉の隣にいる栄口に水谷が泣きつくのはいつもの光景だ。

 

「まァ、あんまり食べ過ぎると腹壊すよ、水谷」

「だいじょーぶ!オレ腹強いからさ!」

「…ああ、なんか分かる気がする」

 

へらっと笑う呑気な笑顔にさすがの栄口も脱力気味に苦笑した。

 

「でもこれから試合多いしさ、気を付けろよ体調管理」

「大丈夫だよ〜」

「何が大丈夫だよ。水谷お前昼もアイス食ってたじゃねェかよ」

「げっ阿部!」

 

にゅっと背後の暗闇から現れた男に水谷は大袈裟に飛び上がった。その反応を軽くスルーして阿部は栄口に向き直る。

 

「まァでもいくら水谷でも腹のことはお前に言われたくないんじゃねェ?」

「阿部、そのネタほんっとしつこい」

 

至極普通の顔で言う阿部に栄口はジト目で言い返す。三白眼の栄口は睨んだらそこそこ様になるはずなのだが、全体的な雰囲気が穏やかなのでまるで迫力がない。とはいえそれは、彼が本気で怒っていないからこそであるのだろうということくらいは阿部も分かっていた。

 

「今日ちょっと帰り急ぐっつってなかったか?」

 

深追いはしないで話題を変えると、ついさっきまで睨んでいた目をパチリと瞬いて、栄口は阿部の言葉に頷いた。

 

「あ、そうだ」

「なに、急いでンの?」

 

パンの最後のひと欠片を口に放り込んで、それまで黙ってチームメイトのやりとりを聞いていた泉が問う。

 

「弟迎えに行かなきゃいけないんだよね」

「迎え?」

「そう、最近塾に通いはじめてさ」

「へー、塾かァ。栄口の弟頭いーの?」

 

興味津津の顔で水谷も割り込んできた。

 

「うーん、どうだろ?」

「オラ、くっちゃべってねェで行くぞ」

「あ、うん。ちょっと待って」

 

ガキンと地面に固定されているスタンドを足で蹴って阿部は出発準備を整えるが、栄口は一言言いおいてひらりと身を翻した。

 

「葛西!」

 

そうして反対側に1年と一緒にいた葛西のもとへ駆け寄っていく。パンを頬張っていた葛西の顔が目に見えて綻ぶのがよく見えた。周りにいる数人の1年と同様に軽く一礼してから話し込む様子は、傍目にも仲の良さが伺える。

 

(……つぅか近ェ)

 

阿部は急速に募りそうになる苛々をなんとか押し留めて、栄口が戻ってくるのを待っていた。ハンドルを握ってスタンバイはOK状態。足をペダルにかければすぐにこぎ出せる。

 

 早くしろ、と思う阿部の心の内を汲み取ったかのようなタイミングで視線の先の栄口は一歩、足を引いて、後輩たちに声をかけて踵を返す。こちらに向かってくる姿を認めて、阿部がほっとして体ごと進行方向へと向き直ろうとしたときだった。

 

「!」

 

 視線が動いた。

 

 栄口の後姿を追っていた葛西の視線が、その延長線上にいる阿部へと移動して、目と目がかち合う。

 

 チリッと火花でも散りそうな熱視線。

 強い意志の光を持つ葛西の目が阿部の双眸を完全に捉えていた。

 

「…………」

 

理屈ではない。しかし阿部は、そのとき直感的に確信した。

 

 じ、と真っ直ぐに自分を見つめてくる1年生投手は、マウンドに立ってこちらの指示を仰ぐ時と180度違う顔をしている。挑むような眼差しは球を放ってくるときだってするけれど、それとは全然違う。

 

 おそらく底に流れる感情がまるで違うから、向けられる視線も異なったものに感じられるのだろうと阿部は思った。

 相手を見返しながら冷静に分析が出来るのは、きっと予測していたからだ。

 

「わり、阿部。行こうか」

「あ?ああ」

 

声をかけられてハッと見遣ると、自転車を押す栄口がすぐ隣まで来ていた。返事をしてサドルに跨るその間も葛西はじっと阿部を見ていた。

 

 阿部と栄口を、ではない。

 阿部だけを、じ、と。

 睨むというよりは見定めるように。

 

「じゃあまた明日なー!」

「おー」

「水谷遅刻すんなよ」

「分かってるよ!!」

 

2人して別れを告げると、近くにいた泉と水谷だけでなくほうぼうから声がかけられた。それに片手を振って答えて足に力を入れる。ペダルに乗った足の重みがそのまま車輪を動かしてみるみるうちに2人を集団から引き離す。

 

 ぐんぐん、ぐんぐん、と。

 加速する背中にそれでも阿部は自分に向けられるものの存在を感じ取っていた。

 

「阿部?」

「…なに」

「いや、何か怖い顔してるからさ」

 

前輪部分だけ前を行く栄口が振り返ってそんなことを言うので阿部は一瞬、ひどく顔をしかめて、「何でもねェ」とぶっきらぼうに言い放った。栄口は気にした風もなく、ふうんと頷いて、ちょっと考えてから右手をハンドルから離す。

 そのまま顔に持っていった右手の指でトントンと自分の眉と眉の間を弾いて、そしてふっと笑った。

 

「眉間、皺寄ってるよ」

「……うっせー」

 

ぶすっと言い返すと、微笑がケタケタと品のない笑い声に変わる。しかしその笑いが収まる頃には、阿部の眉根はきれいさっぱりもとに戻っているのだ。

 

 ――手放せない。

 

 そのとき阿部の胸のうちを激しい感情が駆け抜けて一瞬息をするのが出来ないほどの苦しさに襲われた。まだ、手に入れてすらいないのにそんなことを思ってしまう自分を笑う余裕だって阿部にはない。

 

 栄口の顔が前を向く。表情が見えなくなる。代わりのように先ほどの葛西の視線が目の前に浮かび上がる。

 

 そこに潜んでいるのだろう彼の意図。

 

(……上等だ)

 

 夜の最中、夏の名残が抜けきらない湿った空気。

 それでも自転車で走れば涼しさを感じるその中で。

 その、新たな季節の始まる予感の中で。

 

 自分もおそらく同じような目をしていたんだろうなと先刻の自分を振り返って、あの目と、そして自分自身の感情と、阿部は向き合う覚悟をした。