シーラカンスは目覚めない 4

 

 隣を歩く阿部に気づかれないようにそっと彼の様子を伺っていた栄口はやはり今日の阿部はどこかおかしい気がする、という結論に落ち着いた。

 ミーティング中も必要最低限のこと以外はほとんど口を出してこなかったし、水谷への当たりもいつも以上にきつかった。確かに阿部は饒舌な方ではないし、彼が水谷に冷たい態度を取るのも愛情の裏返しというか、まあいつものことではあるのだが、先程の会合に限って言えばその両方が極端だったような気がする。

 

(そして今もオレに話しかけてこないし…)

 

栄口と阿部が2人でいるときに沈黙が続くということは珍しい。特別盛り上がるというほどでもないが話が途切れるということもまた稀だ。

 けれど自分の少し前を歩く阿部に無理に声をかけようとは思わなかった。様子がおかしいということは精神状態が常とは違うと言うことなのだから、変に刺激しない方がいいだろうと判断したためだ。それに、話したくないというよりは考え事をしていて栄口にまで頭がまわっていないように彼には思えた。

 

(阿部がここまで考え込むコト……。やっぱ三橋しか考えられないよなあ)

 

栄口は短い髪をポリポリとかいた。

 

 校舎を出ると待ってましたとばかりに太陽が歩く二人に照りつけてきて、数分としないうちに汗でしっとりと服が湿った。栄口はボーダーのポロシャツのボタンを胸元まで外してパタパタと微弱ながら服の中へ風を送る。前を歩く阿部は黒いアンダーの上に白のワイシャツといういつもの出で立ちだ。

 

「阿部、暑くねェの?」

 

黒のアンダーはさぞかし太陽光を吸収するだろうなと思いながら聞くと阿部は振り返って、今、栄口がその場にいることに気づいたような顔をして立ち止まる。

 

「?」

「……暑ィよ」

「だよな。黒って逃げ場なさそう」

 

立ち止まった阿部に追いついた栄口がそう言うと、阿部は少し驚いた顔をしてけれどすぐにふっと表情を崩した。

 

「なんだよ、逃げ場って」

「いや、熱とかいろいろ」

「適当じゃねーか」

 

曖昧な返答に突っ込みながらおかしそうに笑う相手に、栄口もつられて笑顔になる。思えば今日はじめての阿部の笑顔かもしれないとふと思った。だからだろうか、なぜだかそれがとても嬉しい。

 

「栄口!阿部!」

 

笑い合う2人の名前をそのとき大声で呼ぶものがあらわれた。立ち止まったまま共に振り向いた先には、こちらに向かって駆けて来る見慣れた3人の姿。

 

「おー、なに、9組今終わったの?遅かったね」

「担任話長すぎ!ゲンミツに!」

 

田島がいつものフレーズ付きで心底嫌そうな顔をするのがおかしくて栄口は再び声を上げて笑ってしまう。

 

「そっちは今帰り?」

「うん。帰りって言うか、阿部に数学教えてもらおうと思って」

「うぉ、す、すう…がく」

 

田島の後ろからは泉と三橋が続いて顔を出した。9組所属の野球部員であるこの3人は一緒にいることが既に日常の光景となっているほど仲が良い。

 人見知りの激しい三橋を何事にも臆しない田島が引っ張り、冷静な泉がまとめる。その関係が栄口の目にいつも非常に好ましく映る。

 

「三橋、フラフラしてねェでまっすぐ帰れよ」

「ぅひっ」

 

阿部の言葉に三橋がびくつく。これもいつもの光景だ。阿部は冷たそうに見えて実は面倒見が良い。特に気にかかる相手に対しては過保護とも言えるほどに世話を焼く。

 三橋も最近は阿部のそんな傾向を少しずつ理解してきたのか、以前ほどはこの一見強面の捕手に対しておどおどしなくなっていた。いい傾向だな、と栄口は嬉しく思う。

 

「部活ないからっていつもより多く球投げてンじゃねェぞ!」

「……はっ…は、い…?」

「何で疑問系なんだよ!」

 

しかし完全に打ち解けているかと言えばそうでもない。阿部は特に三橋に関しては気持ちと行動が噛み合わないのだと栄口は内心苦笑する。

 

(でも、いつもの2人だよな)

 

阿部の様子のおかしさに三橋が絡んでいると思ったのは早計だったかと思案する栄口だが、相方の剣幕に泣きそうになっているエースを見かねてひとまずそれを頭の隅に追いやって、仲介に入った。

 

「まあまあそのへんにしときなよ。でも三橋、せっかくの休みなんだから本当にちゃんと休んだほうがいいよ」

「ぅ、うお!」

「ん。じゃ、田島と泉も気を付けてなー」

「おー」

「そっちもゲンミツにベンキョーがんばれよ!」

「お前もな」

 

田島の発言に泉が突っ込むオチがついたところで9組はにぎやかに正門の方へと歩いていった。坂道の両脇に植えられた木々が風に吹かれるたびに木漏れ日も揺れる。その中を下っていく後姿を阿部と栄口も歩き出しながら見送った。

 

「元気だなぁ、あいつら」

「嫌ンなるくらいな」

 

阿部の相づちがいかにも阿部らしくて、栄口は今日何度目か分からない笑い声を上げた。