over, time, over

 

 

 

 

 緑の濃い山林、その奥深くにひっそりとたたずむ深層の社を見遣る男がひとりいる。いや、正確にはようやくたたずむに至った、というべきであり、更に言えば必ずしも男ひとりというわけでもない。

 日が落ちて久しい森の中であかりひとつ灯すことなく、その荘厳な雰囲気の建物を眺めていた。その横では人の形をしているけれど所謂肉体を持っているわけではない、それ故にかひどく美しいものが男を伺うように見上げた。

 

「完成ですか」

「ああ」

「随分とかかりましたね」

「それどころではなかったからな」

 

そっけなく答えて男は一足を踏み出した。隣の存在もそれに従って動き出す。

 やがて彼らの姿はその巨大な造形物の中に飲み込まれていった。

 

 カツーンカツーンとひとり分の靴音が回廊に反響する。その音の息の長さがすなわち広さを物語っていた。横にも縦にも続く建物の中、しかし男の足は惑うことなく進んで行く。いずれ彼の居場所となるだろう、最も深くそして暗い場所へと。

 

「あなたは待たれるのですね」

「それしか方法がないと言われたからな」

 

確認するような問いに無表情に即答する彼を、人ならぬものは複雑な表情で見つめた。それは憐れみという表現が一番近い顔だったかもしれない。

 

「なぜそこまでして?」

「何度も言わせるな。お前だって散々聞いていただろう。もう2度と言う気はない」

「そうですか」

 

それは彼の矜持なのか、それとも譲れぬ何か故なのか。ただでさえ人間の機微に決して聡いとは言えない存在にはわからないだろう。そのまま口を閉ざした相手に男は逆に尋ねる。

 

「モルギフ、お前はいいのか?」

 

モルギフと呼ばれた上辺は美少年の顔を持つ彼は、不思議そうに相手を見る。

 

「何がです、眞王陛下」

「俺は連れて行くぞ」

 

彼の目的の人物が誰を指すのか一瞬だけ迷ってけれどモルギフはすぐに口を開いた。

 

「あの方がそれを望むなら、私に止める理由も術もありません」

「そうか」

「それより……あなたこそいいのですか」

「何がだ」

「あの御方を。…かの方の魂を受け継いでいる、あの美しい御方を、」

「あれは所詮代わりでしかない」

 

モルギフの言葉を切って王は吐き捨てるように言う。その彼の態度に、美しい少年のような顔に哀情が浮かんだ。

 

「ケン、とお呼びしていたのではなかったですか?」

「………」

 

彼の指摘に王は黙らざるを得ない。途端に静寂が満ちる暗い道中にこだまするのは足音ばかりだ。

 なぜそのことを知っているのか、と問いただすのは意味のないことのように男には思えた。あのとき、まさしくモルギフを手にするために彼らと偽りの旅をしたその途中、図らずも少年の本名が口をついて出た理由を、彼自身量りきれているわけではなかった。随分と時も経ってしまった今となってはその時の感情を思い出すことも叶わないだろう。

 王は思考を故意に停めた。

 

「あの者は――、あれとは全然別の存在だ」

「しかし、」

「俺を脅した者が他にいたか?」

「……いませんね」

「そうだ、いない。あいつだって諌めはしても俺を脅すような真似はしなかったというのに」

 

くすくすと隣で零れた笑い声に、知らず王の口の端も上がる。

 

「あのような無礼な者に会ったことはなかった。そしてこれからもない」

「………眞王陛下」

 

お寂しいのですね、と綺麗な声が言う。けれど王は冷ややかな眼差しで一瞥をくれただけでふいと顔を逸らして前を見据えた。

 目的の場所まではあと半刻といったところだ。彼は自らの核を永く安置するのだろう場所に向かってただ足を進める。

 

 モルギフは知らない。

 心優しき人ならぬ存在は、眞王がどれほど傲慢かつ強大な魔力をその内に宿しているのかを、本当には知らずにいた。

 

 眞魔国の始祖たる王は、確信していた。

 自分が、嵐のように訪れそして去っていった彼の言うとおり、再び自身の賢者の魂とまみえるだろうことを。

 そして、王にとっては唯一といっていいほど思うがままにならなかった少年とも、いつかまた邂逅する時がくるだろうことを。

 

 彼に必要なのは、ただただ、ながいながい時間だけだった。