王都と休息

 

 

 

 

 

 船から降りると、熱を含んだ空気に全身を包まれた。砂の匂いが鼻をつく。久しぶりに踏んだ地面はひどく乾いていて、そして固い。

 眞魔国を出た時には考えられないほどの薄着でソフィア国の首都、スフィアに降り立った一行はひとまず落ち着こうと、宿に向かっていた。約束の日まで2日の猶予がある。視察をしたいという魔王陛下たっての願いもあって、出立を早めたのだ。視察と言うよりは観光の意味合いの方が強いだろうことは周知の事実ではあったが。

 

 法術の国の王都はさすがに一国の首都だけあって、活気溢れる街だった。行き交う人々の表情は概ね明るく、そこに貧窮は感じ取れない。どうやら国が誇る法術の力とやらは、彼らの想像以上の恩恵を国内にもたらしているようだ。

 

 港から城下までは馬で駆けて半刻ほど。

 進むほどに海の匂いは薄れていき、代わりに砂埃が身を包むので有利と村田は馬上にいる間中濃紺の薄い布を体に巻き付けていた。

 

「なんていうか、アラビアンな感じだな」

「ターバンが欲しいね〜」

 

以前に比べれば随分と手馴れた手つきで手綱を操る有利が、似たような具合の村田に並ぶ。コンラートとグリエは2人の後ろについてそれとなく周囲に目を配りながら歩調を合わせていた。

 

 街に入ると南国特有の熱い喧騒が彼らを包んだ。

 立ち並ぶ石造りの建物と浅黒い肌の人々。無論髪や目の色に黒を宿している者は1人もおらず、茶や金など、彼らが身にまとう色彩はさまざまで活気溢れるこの土地にそれがよく映えている。わき道を入ればおそらく、食物や日用品を売る市場が幾つもあるのだろう。眞魔国よりも地べたで商売をしている者達が多く目に付くのは気候の賜物だろうか。

 

「やっぱ人ごみはどこの国もあんまり変わんないんだなー」

 

街の入り口で馬を下りて徒歩で宿まで歩く道すがら、キョロキョロとあちらこちらを見遣る有利は完全におのぼりさんだが、この2日間は旅行者として行動しようと決めていたので問題はない。

 

「おや、お兄さんたち旅行かい?」

 

やはり傍からもそう見えるらしい。早速店先で呼び込みをしていた女に声をかけられた。彼女の後ろには鍋やらまな板やら食品やらが八百屋の要領で雑多に並べてある。なかなか豪快な店構えだ。

 

「ええ、そうなんです。ここはとても活気がある街ですね」

「そりゃあね。国王様のおかげさね」

 

自分たちの街を褒められたことが嬉しいのか、はたまたいかにもマダムキラーの素質がありそうなコンラートを気に入ったのか。赤茶の髪を無造作に後ろで束ねた小太りの女は目尻の皺を気にもかけないで気持ちのいい笑顔を向けてくる。

 

「日用品に不足はないかい?何でも安くしとくよ」

「ありがとう、足りなくなったら伺いますよ」

「おや、そうかい。残念だねえ」

 

心底残念そうな様子を見せる彼女に愛想良く微笑んでコンラートは、意味深ににやにやしている残り3人を先に行かせた。

 

「さすがにマダムキラーだねぇ」

「だな」

「アレは生まれつきですよ」

 

交わされているひやかしをおそらく分かっているだろう当人はしかし、相変わらずの爽やかな笑顔で一言二言言葉を交わして店先の女に別れを告げて、すぐに先を行く彼らに追いついてくる。

 

「どうやら国王の人気は上々のようですね」

「どんな会話してたんだよコンラッド」

「いえ、折角だから何か情報はないかと」

「転んでもただでは起きない男だよね、君って」

 

有利と村田が呆れたようにコンラートを見上げる傍らでグリエはひとり含み笑いを見せる。さすがに長い付き合いというべきか、グリエにとっては彼の一連の行動は予想していたものだったらしい。

 

「あーあ、まったく色気がなくてつまんないよ。宿はあとどれくらいなの、グリエ」

「もうすぐ着きますよ」

「なんだよ村田、もう疲れたのか?」

 

あまりに早い弱音に有利が驚きと呆れの入り混じった顔で村田を見ると彼はひょいと肩をすくめた。

 

「乗り慣れない馬に乗ったおかげでね」

「だから俺の前に乗れって言ったのに」

「……だったらグリエかウェラー卿に乗せてもらうよ」

「言ったな!」

 

相方の失礼な発言に有利が村田の金髪をくしゃくしゃと掻き回す。

 

「わ、渋谷たんまーっ」

 

それを防ごうとする村田もまた有利の髪に手を伸ばす。傍から見るとじゃれているとしか見えない彼らの様子を保護者2人は、苦笑さながらの笑みを浮かべて眺めていた。

 

 まさしくそれは呑気な旅行者といった風情で、誰も彼らが一国の双璧だなどとはよもや思わないだろう。事実、鏡の水底を取り戻すという名目はあるものの、ほとんど魔王陛下への休養という意味合いも含めてある今回の旅路なのだった。

 

 しかし。

 そんな彼らの思惑とはまるで裏腹に、このときソフィア国の中枢で起こっていた出来事を。

 

 当然彼らは知る由もなかった。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 グリエが手配したという宿は、豪華とはいえないまでもなかなかに小奇麗で快適な所だった。双黒至上主義のギュンター辺りに知られたら、「こんなところに陛下と猊下をお連れするなんて!」とそれこそ不敬罪にでも処せられそうだが、少なくとも2日は身分を偽る必要がある以上豪華絢爛な高級宿を選ぶわけにもいかない。

 

 それなりには庶民的で、安全で、小奇麗。

 グリエが重視したのはこの3点だ。

 

 まさしくそれを満たす中の上レベルの宿の一室で、彼らは一日が終わる前の短い休息に身を委ねていた。

 

「明日は1日城下を見回れるんだよな?」

「そうですね。明後日の正午に港に迎えが来るはずですから、それまでは自由と考えてもらっていいですよ」

「よしっ!」

 

目に見えて嬉しそうな笑顔を浮かべる魔王陛下に、コンラートは微笑を浮かべ、村田とグリエはちらりとお互いに視線を絡ませる。

 

 一度部屋に荷を置いたあと、既に宿周辺の散策は昼のうちに済ませたのだが、有利にはそれでは足りなかったらしい。好奇心旺盛な彼のことだからもう少し遠くに足を伸ばしたいと思っているに違いない。

 念のため確認したグリエの瞳の中に警戒を感じ取らなかった村田は、彼の笑顔に便乗する。

 

「古本屋なんかがあったら僕も行ってみたいかな」

「げぇっ、村田はだから眼鏡くんなんだよ!」

「渋谷、今、全国の眼鏡を敵にまわしたよ…」

「こっちに眼鏡フェチなんてもんはないから大丈夫だ!」

 

自信満々に胸を張る有利がおかしくて村田が思わず噴き出すと、会話の内容なんて分からないだろうに、けれど2人のやりとりが可笑しいのかグリエとコンラートもくつくつと声をあげた。

 

 今回に限って、部屋割りは為されていない。

 グリエが首尾良く4人部屋を調達して来たのはもちろん、身分云々よりも国のツートップの安全を最優先したからだった。有利と村田は異存なんかはじめからないし、煩い幹部はここにはいない。よって4人ひと部屋という普段ならばあり得ない事態が実現したのである。

 グリエとコンラートは育ちの差異もあってか、国の中枢にいながら時と場合によって何を優先すべきかという点に関する柔軟性に実に富んでいた。

 

 部屋の中は比較的広く、シングルサイズのベッドが4つ並んでも十分に余りあるスペースにテーブルを挟んでソファが2つ並べられている。なんなら6人は快適に泊まれそうだが、どちらにしろ、2つのベッドは彼らにとっては便宜上のものだ。

 

 窓の外は既に濃い闇が広がっていた。

 部屋の中だって明るいのはテーブルの上にある2つのランプの周りくらいで、それさえ消してしまったらあとは月の光を頼むのみとなってしまう。

 その暗い部屋の入り口の扉に背を預けていたコンラートは、有利があくびを噛み殺したのを目に認めてすっとテーブルに移動をした。

 

「そろそろお休みになりますか?」

「そうだね、渋谷、夜更かしはしない性質だろう?」

「当たり前!夜更かしなんてスポーツマンにあるまじき愚行だね!」

「うわあ。愚行なんて言葉、いつ覚えたの。似合わないなー」

「村田…」

 

ちょっとびっくりした風を見せてすかさず揚げ足を取る村田は既にベッドの中だ。さすがに眼鏡は外している。あまり直視することのない彼の素の目に見つめられて、有利は一気に戦闘意欲を削がれてしまう。

 

「いいや、もう寝る」

「では消しますね」

「よろしくー」

 

返事に合わせてふっと2つの光が消え去った。後に残ったのはわずかに明るく見える窓の外と、一瞬訪れた静寂のみ。

 

「陛下、猊下、おやすみなさぁい」

「どーも、グリ江ちゃん」

「2人とも、ほどほどほどによろしくね」

「かしこまりました」

 

眠りに入るのは自分たちだけだと分かっているからなおのこと有利と村田は、光も声も失われた部屋の中でそのまま目を閉じた。

 

 夜の静けさは、眠りに入るものもそれを見守るものも、等しく包み込んでゆく。ある者は閉じた瞳の奥で目を凝らし、ある者は闇に目を凝らすなかで。

 

 夜の帳はやさしく、ゆっくりと、次第に深く。

 ――――落ちて。

 

 そうして最後には完全に彼らを取り込んだのだった。

 

 

 そう、この時は誰ひとり。

 去ったものの変わりに訪れたものと共にやって来るものが、この穏やかな空間を。

 まるで荒馬の駆け去るが如く、一瞬のうちに、がらりと。

 全然別のものに変えてしまうことを、誰ひとり。

 

 ―――気配すら、感じ取ることが出来ないでいた。

 

 

 

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