ブランケット
肌を撫ぜる風の冷たさにぶるりと背中から悪寒が駆け上がる。しかしそんなものは気にもとめないでコンラートは辺りを見回した。手に持ったブランケットは自分のためのものではない。建物から少し離れた場所を先ほどからぐるぐると歩いているのだが、なかなか目当ての人物を見つけられないでいた。
「まったく、どこへ行かれたんだか」
人目がないのをいいことにひとりごちる。部屋にはいなかった。城下に下りているという可能性もないわけではないが(何せ相手は人知れず街に逃れるのが実にうまい)、何となく、城内にいるのではないかと彼は思っていた。 それが長年戦場で生きてきた者の予感なのか、それとも彼に対してだからこそ働く類のものなのかはコンラート自身判別できないが、とにかく、自分の勘を信じてこうやって血盟城の中をくまなく探しているのだが。
「猊下は隠れることに関しては必要以上に天才的だからなあ」
困ったように息を吐くが、その表情に困惑は全く見られない。それどころか彼の顔には楽しそうな笑みさえ浮かんでいた。節くれだった、けれどながく綺麗とも言える指でブランケットを掴みなおす。
「まあ、どこにいても必ずつかまえてみせますよ」
言って、誓いのようにすっとケットに口付けるさまは実にさわやかだ。 100人の女性が居たら百発百中、いとも簡単におとせそうな風情であるが、ヴォルフラム辺りが居合わせたらあまりの悪寒に硬直、くらいはするかもしれない。
それから一刻ほど歩いただろうか。別段疲れはないが、陽が傾いている今、風にも夜の気配が忍び寄ってきている。自分はともかく、彼の体にこれ以上の寒さが良い訳がない。そう思ってコンラートは形の良い眉をひそめる。 村田は普段から厚着を好まないが、決して寒さに強い性質ではない。しかもこと自身に関しては、非常に無頓着なところがある。そろそろ見つけないとまずい、とコンラートは無意識に落ちていく陽を睨むように見つめた。 ――――と。
「………」
山並みの向こうに今にも沈もうとする太陽を見上げた形のまま、コンラートは動きを止めた。 なるほど、と彼は思う。 見つからないはずだ。
「猊下」
夏の間瑞々しいほどにざわざわと揺れていた葉は、既に寂しい色合いに変わっている。かさかさと枯れた音を立てる木々の間にちらちらと見え隠れする黒いものに、コンラートは呆れたように探し人の名を呼ぶ。 しかしぐっすりと眠っているのか、相手は身じろぎさえしない。ひときわ太い枝の上に器用に乗っかって、更に大きな幹に体を預けている。コンラートのいる場所からは聞き取れないけれども、おそらく規則正しい寝息を立てているのだろうことは容易に想像がついた。稀有とされる黒の双眸も今は見られない。
起こすのを躊躇してしまいそうな寝顔に、コンラートは苦笑する。こんなにも穏やかな顔を彼がみせることはあまりないし、人の気配に気づかないというのも珍しいのでよほど疲れているのだろうと思う。 しかし予想通りの薄地の上着一枚といういでたちに、コンラートは軽く首を振った。
「猊下」 「…………、ウェラー卿」
コンコンと幹を叩いてやや大きな声で呼びかけると、しばしの間のあと村田の目が開かれた。途端鮮やかなほどはっきりとした黒がコンラートの視線の先にあらわれる。
「風邪を引きますよ」 「………寒い」 「そんな薄着でいるからですよ。さあ早く降りてきてこれを羽織ってください」
ぶるっと体を震わせる村田にコンラートは手に持ったブランケットを掲げて見せる。しかし村田はそれをちらりと見ただけであくびをした。
「持ってきて」 「……」
思ってもいなかった発言に口をつぐんだコンラートを少しだけ見つめて村田は再び目を閉じた。 めずらしい、と幹の根元に佇み男は思う。寝ぼけているのだろうか、それとも試されているのだろうか。どちらにしろコンラートが次に取る行動はこれで決まった。極上の生地を肩に引っ掛け、太く大きな幹に手をおいた。
***
ふわりとあたたかなものに包まれる感触に村田はすうっと目を開く。
「………本当に来たの」 「あなたがそう仰ったものですから」
あたたかいと村田が思ったのは、肌触りのいいブランケットとコンラートの腕だった。それを認識するのとほとんど同時に、ふわり、と今度は体が宙に浮く感覚に襲われて彼は目を見開く。
「起きられましたか?」
軽々と抱えあげられて、半ば強引に背を預けさせられた。先ほどまで寄りかかっていた木の幹はコンラートに取られ、代わりに彼の胸板が村田の背もたれになっている。
「君ね、」
呆れ果てて抗議の声を上げようとするが、逆に穏やかな声音に遮られてしまった。
「温かいでしょう?」 「……君って恥ずかしいよね」
露骨にため息を吐くと、頭上の男はくすりと笑った。吐息が頭にかかって髪を撫でた。 非難の言葉を発しようとするが、ぬくぬくとした何ともいえない心地よさに、村田はどうでもよくなってしまった。それにどんな罵詈雑言を吐いたところで背後の男に通じるとも思えない。とにかくあたたかくて気持ちよくて、このまま目を閉じてしまいたいという欲求が強く彼を襲った。 うとうとし始めた村田に気づいたように、緩い拘束が彼を包み直す。
「寝ても大丈夫ですよ」
しっかりと抱きとめておきますから、と言った耳に心地よい穏やかな声音は、意識の薄れかけた村田には届かなかった。 |