僕は君のものだ。

 

 彼はそう言う。

 お前の言葉は嘘ばかりだ。

 お前は俺のものじゃない。

 

 お前は。

 お前は、ただ、魔王のものだ。

 

 

 

 

 

 

distance

 

 

 

 

 

 

 「猊下、陛下のお加減はいかがですか?」

 

血盟城の中でもひときわ広く豪華なリビングに隣接するベッドルーム。その魔王専用ベッドの傍らに座る村田に、不安げな表情でギュンターは声をかける。

 

「そんなに真っ青にならなくても大丈夫だよ。ちょっと力を使いすぎて体力を消耗しているだけだから」

「そうですか…」

 

村田が心配しないように微笑んでみせると、美形補佐はほっとした表情を見せて、そしてすぐに顔を赤くする。黒髪黒目を偏愛する彼に賢者の笑顔は刺激が強すぎたらしい。

 

「猊下の方は大丈夫ですか?」

 

途端そわそわしだした補佐の代わりに、穏やかな声が村田にかけられる。人好きする微笑みを見せてウェラー卿コンラートが気遣うと、双黒の少年は頷く。

 

「僕は大丈夫。魔王に力を貸すといったって、僕自身の負担はさほど大きくないよ」

「そうは見えませんが」

「まったく、この国の人たちは揃って心配性だよね」

「ユーリも貴方も、とても大事な方ですから」

 

有無を言わさない調子でにっこりと微笑う好青年に村田はやれやれと溜息をつく。

 

「渋谷はともかく、僕は限度をわきまえているから心配ないよ。さあ二人ともはやく公務に戻って。渋谷のことは僕が見ておくからさ」

「しかし!!」

 

いきり立ったのはギュンターだが、

 

「フォンヴォルテール卿の皺がこれ以上増えるのは不憫だからさ。それに渋谷も、仕事が少しでも減ってる方が喜ぶと思うよ」

 

と諭され、陛下と猊下は我が命!を地で行く麗しの魔王補佐は、結局賢者の言に反したりはしないのだった。

 

 連れだって部屋を出て行く美形二人組を見送って村田は、再び現魔王である、今は昏々と眠りについている友人に向き直る。

 王座についてからそんなに間がない彼は、魔王としての強大な魔力をコントロールしかねている状態にある。大きな力は時に大きな災いをもたらす。当代魔王である渋谷有利にとって魔力をコントロールできるようになることは、目下の目標のひとつである。

 

 そのサポート役として白羽の矢が立ったのが、魔王と唯一対等である賢者、つまりは彼の友人である村田健だ。魔王と賢者は特殊な関係を持っていて、賢者は王の魔力を大幅に増幅することができる。それはある意味魔王以外で彼の力を操ることの出来る唯一の存在ともいえる。

 とはいえ二人とも現在の形で生まれてからまだ十数年しか生きていない上に、地球で暮らしてきた身であるからお互いがお互いの力を御しきれていないというのが現状である。つまりは村田とユーリ、それぞれの力を自らが自在に駆使出来るよう、彼らは日々特訓をしているのだった。

 

「う……」

「渋谷?」

 

力を使うことは心身ともに消耗する。特にユーリは潜在魔力が強大すぎることに不慣れも加わって、しばしば意識を失った。

 

「起きたのか?」

 

身じろぎするユーリに村田が声をかけると、彼はうっすらと目を開け、黒と黒がかち合った。大きく開かれるかと思った彼の目は、村田の漆黒の一点を凝視して、すっと細められる。

 

「っ、」

 

しまった、と思って村田はさっとユーリの双眸を手で覆う。さっき倒れたばかりなのに彼を刺激するのは良くないと考えたからだ。しかしその手は思いのほか強い力でどかされる。ユーリの指が、遮ろうとした村田の手をしっかりと握っていた。

 

「………渋谷?」

「村田」

 

予期しなかった反応に困惑して名を呼ぶと、しっかりとした声が返ってきて更に村田は戸惑った。心なしか、声音に違和感を感じる。すると、繋がれていないほうの手が村田の頬に伸びてきて、頬に触れた。

 

「?!」

 

息を呑んで相手を見ると、ユーリは村田の漆黒の双眸を見つめたまま。村田は困惑を通り越してしばし呆然としてしまった。当代魔王である友人はこんなことをする性質だっただろうか、と心中で思う。と同時に相手は更に困惑に拍車をかけるような発言をした。

 

「お前の瞳は美しいな」

「……………」

 

声が低い。村田はまずそう思った。よく考えればいわれた台詞にも驚きだが、まず聴覚刺激の不自然さが村田の頭の中を占めた。よく見れば彼の瞳の様相が普段とは違う。気持ち、男前度が上がっている気もする。

 

「……君」

 

なるほど、と思いながら村田はやはり、当惑していた。

 

「渋谷っていうか、上様なわけね」

「何の話だ」

「あー、やー、……まあ、こっちの話」

 

誤魔化しながら、まずいなと村田は思う。視線を合わせたくらいで彼の力が引き出されるなんてことはそうそうないのだけれど、今はさっきまで特訓をしていたために、ユーリ自身の体力が落ちている。彼の中の光が闇に、一時的に負けてしまったのかもしれない。

 

 そんな風に分析している間に上様ユーリは村田の眼鏡に手をかけ、それに彼が気づいた時には既に魔王と賢者を隔てる最後の砦は取り去られていた。

 村田はどきりとする。眼鏡は伊達というわけではないが、どちらかというと瞳に対する一種のオブラートの意味合いの方が彼にとっては強い。

 

「美しい」

「……君ねえ、」

 

繰り返す相手に、村田は妙に拍子抜けした。

 

「君だって同じ黒目だよ」

「同じではない」

 

きっぱりと否定されては二の句が告げない。頑固なところは白も黒も変わらないようだ。

 村田の中ではまいったな、という困惑とまあいいか、という諦念が共存していた。ユーリ自身の体は疲れで使い物にならない状態であるし、上様が激怒するような状況もどこにもない。差し迫った危険な場面というわけでもないだろう。

 

「考えてみれば、君とこんな風に会話するなんてことないしね」

「?」

 

村田がそう結論を出して呟くと、眼前の相手は首を傾げる。どうやら上様も頭の回転が速いほうではないらしい、とさりげなく失礼なことを思いながら賢者は彼を見る。 

 

(……なんかちょっと、かわいいかもしれない)

 

天下のスーパー魔王に対してなんとも恐ろしい感想を持つが、おとなしくベッドに収まっている上様ユーリというのは、戦闘時とのギャップがありすぎて妙にかわいらしく村田の目には映った。

 思わす笑いがこみ上げてきてふっと笑むと、世にも恐ろしい凶悪な力を持つ魔王は、目を瞠った。爛々と輝く彼の双眸が(さすがに常ほどの威力はないけれど――)村田の顔を凝視する。

 

「どうかした?」

 

彼の不自然な様子に村田が声をかけると、

 

「そんな顔を、他の者の前でもするのか」

「―――――は?」

 

思いもよらない問いが返ってきてつい変な声が出てしまった。見ると心なしか相手が怒っているような気がする。

 

「……まあそりゃ、笑顔くらい、」

 

言いかけた村田の肩にがしっ!!と衝撃が走る。

 

「許さぬ!」

「…………」

 

両肩を掴まれて、ぐいぐいと振られる。上様ユーリの力は普段のユーリよりも強いらしく、容赦なく村田は前後に揺らされた。

 

「ちょ、やめて、気持ち悪い…」

「許さぬ」

 

半ば酔いそうになりながら懇願すると、一応揺れは止んだ。が、更に次の衝撃が村田を襲う。前後に振られた気持ち悪さから村田が立ち直ったころには、彼の体は目の前の相手によって抱きすくめられていた。

 割に、強い力で。

 

「………」

 

あまりの展開に絶句する村田に構わず、王はぎゅっと彼を抱きしめる。

 

「……ええと、僕は君のお母さんじゃないよ?」

 

とりあえず冷静さを何とか取り戻し、当たり障りのないことを言ってみるが自身を包み込む相手の怒りのボルテージは更に上がり、試みが失敗したことを村田は知る。

 まるで子供の癇癪だと内心呆れながら、単刀直入に聞いてみた。

 

「どうかした?」

「お前は」

「うん?」

「誰のものだ」

「え」

 

思いがけない質問に(さっきから思いもかけないことばかりが続いている、と考える余裕さえないままに)村田がまたもや間の抜けた声を出すと、すっと束縛が緩む。

 魔王の双眸が再び、賢者の瞳を見つめた。

 

「お前は誰のものだ?」

「誰のものって…」

「お前は余のものだ。違うか?」

 

普段のユーリなら絶対にありえない発言にすぐに言葉をつなげることが出来なかった。しかし、魔王の問いに、しばらくして賢者の目がすっと細められた。

 

「違わない」

 

さきほどの動揺を露とも感じさせない様子で村田は告げる。

 

「僕は君のものだ」

 

前の笑みよりももっと鮮やかに。

 

「賢者はいつだって、魔王、君のものだよ」

 

微笑むと、相手は切ないような嬉しいような、泣きそうなような歓喜しそうな、なんとも言い難い複雑な表情をしばし見せて、そして、ぱたりとその場に崩れ落ちた。力を使いすぎてしまったのだろう、再び深い眠りに落ちたようだった。

 村田は彼を元のようにベッドに戻すと、彼もまた、目をつぶった。くたりと同じベッドに体を預けてそのまま意識を失った。