たとえば目障りなほどしなやかなその肢体だとか。 いざと言うときにはいつだって手を差し伸べてくる大きな手だとか。 絶やさない笑みに秘められた裏側の決して明るくはない部分だとか。
嫌いなんだ。
君と僕って本当に相性が最悪だと思う。 なのに。 ああどうしてこんなにも。
sugarless
その場所を知っているのはおそらく村田と彼だけで、だからこそ村田はそこを訪れることが本当は好きではない。けれど、じゃあなぜ来るのかと問うのはタブーだ。 今、自分がその場所にいることを村田は肯定したくなかった。けれど事実と言うのは思うよりもずっと正確で残酷なのだと誰より知っているのも彼自身だった。
緑が深い。 深い色合いに飲み込まれそうになるほど、その場所はむせるような新緑で溢れ返っていて濃緑の狭間に沈んでしまいそうになる。
完全理系と自ら認める村田でさえ詩的な表現をしてしまう。眞王廟の奥庭をひたすらに歩いた場所にあるそこは、ほとんど人の手の入っていない森林が広がっている。迷い込んだら出てくることは出来ない、還らずの森とかつては呼ばれていたこともあった。
太い木の枝に腰掛けて幹に背中を預けながら、なるほどそうだろうと村田は思う。見渡す限り似たような葉っぱと大木と鬱蒼とした草が生えているだけの代わり映えしない景色は、この森に入り込んでからほとんど変わりなく続いている。迷うなと言うほうが難問だ。 けれど村田は、一度も道を誤ったことがなかった。覚えているわけではない。地図だってない。第一、そんなものはあったとしても意味をなさないだろう。
理由など知らないけれど、おそらく自分の存在意義である大元の彼が関係しているのだろうと漠然と考えている。
いや、本当のことを言えば、村田にとって理由など関係なかった。それは考える必要のないことだった。 ただ、たったひとりに、まるでこの世界に自分だけしかいないのではないかと錯覚できるほどに独りきりになれる場所であるこの森を、村田は心底必要としていた。
だからまさか、他にひとがいるなんて思いもしなかったんだ。
ガサリと音がする。
それは思考に没頭している時間の終わりであり、そしてあるいははじまりの合図でもあった。
「猊下」
普段よりも少しだけ低い、けれど十分におだやかと言える声がひそやかに彼が彼である号を告げる。村田は返事をしない。息を詰めるほどに少しの身動きもしないでいた。それなのに、ガサガサという耳障りな音がすぐ下で聞こえた。
ああ、と村田は嘆息する。 ああいやだ、と嫌悪する。こうなってしまってはもう逃げ場がない。
「また会いましたねぇ」
好きで会ってるわけじゃない、と声に出しはしなかった。するすると器用に幹を伝って彼はあっという間に村田のすぐ傍に降り立って、いとも容易く男にしては薄くて貧相な少年の体を捕まえた。無論、剣呑に一瞥するけれどそんなことで引くような相手ではないことも分かっている。
「猊下」 「くだらないことなら聞きたくないよ」 「逢引でもしてるみたいだと思いませんか?」 「………」
聞きたくないって言っただろうと返しても意味がないことは明らかだった。この男だけ濃い緑にでも飲み込まれてしまえばいいなんて物騒なことを考えるけれど、そんな可愛い性質じゃないなんてことも理解している、そんな自分に嫌気が差す。
そんなことを考えている間にも相手の影はどんどんこちらに近づいてきてそして村田は応えも抗いもしないままにゆるい拘束に飲み込まれてしまう。
「逃げないんですか」 「逃げたいに決まってる」 「逃がしてあげてもいいですよ」 「君すごく邪魔だよ」
冷ややかに視線を遣れば相手の嬉しそうな顔に行き当たって、村田の片眉が知らず歪んだ。すると切れの長い目じりがすっと細く引かれてその奥に異なった色合いが薄っすら灯る。村田はその一連の様子をほとんど睨むような眼差しで見つめていた。村田と彼との間には、もはや1センチほどの距離すらなくなっていた。
「貴方は矛盾だらけだ」 「――――、」
彼の口が動くたびに少しだけ互いの唇の皮が触れ合ってしまう。ほんの僅かであるはずの接触はそれでもすぐさま内側に熱をもたらして、村田は言葉を返すことが出来なかった。
――――矛盾だらけ。
そう。
君のその、僕とはまるで違う逞しい身体が嫌いだよ。逃がす気なんてないくせに偽言を吐く声が嫌だ。ひとりの時間を邪魔されるのなんて迷惑以外のなにものでもないんだよ。いとも容易く捕まえてくるその腕。心底、癪に障る。分かってやってるところが何よりも腹が立つ。
(…そのくせ)
村田とグリエの唇は紙一重というところで決して重ならない。ほとんど重なっているも同然であるのに、完全に混じり合うことはなく、猊下、と。吐息だけが村田の唇を撫ぜるのだった。
「アイシテル」
囁かれた言葉に嘲笑する。パキリと小枝が折れる音がした。馬鹿じゃないの。大きな声で高らかに嘲笑ってやりたい衝動に村田は駆られる。だのにいつの間にか背中にまわされていた手がそのまま背骨を伝って降りていく感触に。
「……っ」
ぞくりと粟立つ肌に、罵倒するタイミングを逸してしまった村田は耳に残る余韻を振り払うように瞼を閉じた。
ああ、どうしてこんなにも。 |