神様ヘルプ!〜second battle〜

 

 

 

 

 

 うわあ、と。

 その光景を見た少年が、そう思う以外他に何が出来ただろうか。

 

 何でいるの、と聞きたい心の声を村田は必死に無視してだだっぴろい書庫の中を、目的の場所へ向かって進もうとする。

 血盟城の書庫は暗く広い。それは国の歴史の深さと、それが決して輝かしいばかりではなかったということの証のようで、村田は入るたびに少し息苦しい思いに駆られる。

 

 が。今回の息苦しさはそんな生易しいものではなかった。

 

「猊下……」

 

なんでここにいるんだろう、という再びの胸の中の問いを村田は目の前の人物ごと無視してちょうどすぐそばに本棚があったのをいいことに、彼にたどり着く寸前で横に曲がる。急ブレーキアーンド急カーブといったところだ。目的地へは遠回りだが致し方ない。

 

「猊下?!」

 

突然目の前から消えた村田に、男が場所に似合わない大声を上げたのを合図に、村田は脱兎の如く走り出した。図書館では静かに、なんて悠長なことは今の彼には言ってられない。

 

「猊下ーっなぜ逃げるんですかー!」

 

自分の胸に聞け!

 

 と、張り上げたい声を体力ロスの恐れがあるため喉の奥で押しとどめる。ただでさえリーチにも体力にも経験にも差があるのだ。

 

 とはいえ書庫は村田の庭のようなもの。

 彼と追いかけっこをするのに、これほど自分に有利な場所もないだろう――――と、考えていた村田少年はしかし、日本の高校生の運動能力がいかに脆弱であるかと言うことを、すぐに思い知ることになった。

 

 がばりと。

 

 後ろから伸びてきた思いのほか力強い腕に村田が捕まったのは、はっきりいって走り出してから5秒も経っていない間。

 

「猊下、焦らしてるんですか?」

 

んなわけねえだろこの変態。

 

 ―――なーんて口汚い言葉をもちろん眞魔国で最も尊く賢い存在である双黒の大賢者である少年は口にしない。

 

「ウェラー卿。世界は君を中心に廻ってないって何度言ったら分かってもらえるのかな?」

 

罵詈雑言を胸の奥底に押しとどめ、少年賢者は氷点下50度はあるのではないかと思えるほどの冷笑を浮かべて、背後のほとんど自分を羽交い絞めしていると言っていい男を振り向く。

 しかしその氷の笑みが効くような男なら、村田とてこんなに苦労したりはしないのである。

 

「それでも世界には運命と言うものが存在するんですよ」

 

にこり、と老若男女を魅了するコンラート・スマイルをその独特の男らしさを持つ顔に浮かべると、コンラートは少しだけ上半身をかがめて村田の顔のすぐそばに自分の顔を移動させる。

 

「ジュリアの魂がユーリに受け継がれたのも、俺がそのユーリを運んで魂だけの貴方に会ったのも。覆しようのない運命ですよ」

 

そろそろ認めたらいかがですか、なんていけしゃあしゃあと言ってくる相手のそれなりに魅力的な顔にしかし村田は、ブリザードのような視線を送る。

 

「ジュリアさんの魂が渋谷に受け継がれたのは我侭で自分勝手な王様の策略のひとつで、君が彼の魂を運んだのもあの男の意志で、ついでに言えば僕の魂を持ったロドリゲスと会ったのだって全部眞王が僕と渋谷を魂の段階で相見えさせるために仕組んだことだよ」

 

さすがに言葉を返してこないコンラートに、村田はとどめの一発、と大げさに肩をすくめて言い放った。

 

「ぜーんぶ、眞王陛下の手のひらのうえで転がされたってだけの話さ。運命なんてこれっぽっちも介在してない。だから君が僕に運命を感じる必要なんてないんだよ」

「猊下」

 

掠れたような相手の声に、ようやく真実に気がついたかと村田はその、見るだけならば随分と綺麗に思われる瞳を見つめる。

 

「世の中に偶然なんてないんですよ」

「人の話を聞けよ!」

 

いっそ諭すように囁いてくる男に村田の振り幅の広いはずの忍耐バロメーターも振り切れ気味だ。

 

「ああああ、もう、何?!なんなの?君、一体どうしたいんだよ?!」

 

人間やけになったら終わりである。少年はそれをこの直後に嫌と言うほど味わうこととなる。

 

 パアアアア、と。

 途端あの、かつてルッテンベルクの獅子と呼ばれたはずの、ウェラー卿コンラートの顔から光がさんさんと輝きだした。いや、違う。光り輝くような筆舌し難い歓喜の色がその顔に浮かんだ。

 

「………」

 

それは単刀直入に言えば凶器だった。

 そのありえない笑顔に一瞬戦意喪失を免れなかった村田は、次の瞬間、がばあ!と苦しいほどに抱きすくめてくる腕から逃れることが出来なかった。

 

「……猊下!やっと運命の相手(つまり俺!)と結ばれる心の準備が出来たんですね!!」

「………え、え、え…は?」

「分かってくれて嬉しいですよ。さあ、いざ俺の部屋へ参りましょう」

「………っっ!ちょ!ま、待った!!は??君、何する気……?!」

 

まずい!と村田が彼の意図に気がついてあらん限りの力で暴れようとした時には既に、村田のひょろい体をコンラートは軽々と抱え上げていた。

 

「何を仰ってるんですか。結ばれるということはつまり、ひとつになるということですよ」

「………!!」

 

ぞわわわわ!

 

 と、村田の背筋に恐ろしい怖気が走ったのも無理もない。

 

「し、眞王――――!!」

 

困ったときの眞王頼み。今この場で助けを期待できるのは、唯一無二の友人である魔王でもなく、頼れるお庭番でもなく、変幻自在、余の辞書に不可能という文字はない的な眞魔国の祖しかいなかった。

 

 そしてさすがは大賢者、その選択は決して間違っていなかった。

 

 すぐさま彼らのそばにたたずんでいた身の丈3メートルはあるかと思われる本棚が2人の方に倒れ掛かり。

 どういうからくりか、ものの見事に獅子の後頭部に直撃した。

 

 ………助かった!

 

 コンラートに庇われる形で事なきを得た村田は、あらゆる意味で自分が難を逃れたことを知って、悲惨な事故現場をそのままに当初の目的の場所まで行きお目当ての本を見つけた後は、振り返りもせずに反対側にある出口から書庫を出ていったのだった。

 

 次の日、眞魔国が誇る優秀な王佐が調べ物に書庫を訪れるまで、コンラートも本棚もぴくりとも動くことはなかった。合掌。