獅子と少年

 

 

 

 

 

 何とはなしに男は顎に手をあててその光景を眺めていた。何とはなし、とは言っても彼は魔王の護衛で国随一の剣の使い手でもある。ただ彼らを見ているというよりは見守っているというほうが正しいだろう。そうして知らず知らずのうち、というのは実は建前で故意に守るべき王の隣にいる人物に照準を合わせてすっくと立ち上がった。

 

「なんだよ村田〜、髪くらい触らせろよ〜!!」

「僕の髪なんか触っても面白くもなんともないよ、女の子でもあるまいし。大体渋谷の髪の方が随分と綺麗じゃないか」

「俺は村田の髪が好きなの!生まれつきのストレートはくせっ毛に憧れるものなんだよ!」

「なにそれ」

 

子犬さながらにじゃれあう2人は音もなく近づくコンラートに気づく素振りもない。

 

「ちょっと渋谷!近づきすぎだよ!!」

「なんだよ減るもんじゃないだろ〜?逃げても無駄!ここ俺のベッドだし」

「ああもうなんだってこのベッドは無駄にスプリングがきいてるんだろうね!」

 

魔王専用のキングサイズなんて目じゃない豪華ベッドの沈みっぷりにうまく身動きが取れないらしい少年賢者は、真っ白のシーツにいくつもの皺をつくって文字通り魔の手から逃げようとするがままならず、王の手はその癖の強い黒髪に届かんとしていた。

 黒を最上の美とするこの世界において、更には眞魔国の宝とも言える双黒の大賢者そのひとの美しき黒をこうも無造作に触ろうとするものも他にはいまい。

 

 しかし、今回に限ってそれは未遂と相成った。

 

「え…」

「っておい!」

 

ひょい、と。

 

 効果音でもしそうな軽い動作でその薄い体はとりあえずベッドの戒めからは救出された。けれどももう少しで手が届いた有利も、それどころか助け出された張本人である村田でさえ突然現れた第三者に決して歓迎しているとは言えない顔を向ける。

 

「コンラッド!」

「なに、ウェラー卿」

 

責めるような口調と訝しむ表情にけれど男は動じない。負の感情を向けられることに慣れすぎた彼にとって子供2人の非難の眼など痛くもかゆくもないのである。

 コンラートはそれぞれの視線を律儀に受け止めてから抱え上げた村田の体を腕の力だけで持ち直す。うわ、と小さく声を上げた腕の中の少年に頓着せずに己の主を見下ろした。

 

「陛下、猊下は少し熱があるようです」

「「え」」

 

目前と目下が綺麗にハモるがその声に含まれる色合いに差が有るのをコンラートは聞き逃したりはしない。やれやれやっぱりと内心思いながらけれど表層にはおくびも出さず、優秀な王の護衛は恭しく頭を下げた。

 

「そういうわけで陛下、猊下は部屋にお連れします」

「待った!俺も行く!」

「駄目だよ」

 

予想していた有利の反応に返事をしたのは村田だった。

 

「駄目だよ、渋谷。分かるよね?」

「………」

「大丈夫ですよ、微熱程度ですからすぐに下がるでしょう。そうしたら陛下をお呼びしますよ」

「――分かった、でもコンラッド」

「はい」

「その抱き方はやめろ!」

「まったくだよ。おろしてもらえるかなウェラー卿」

 

有利の指摘に村田もまた、もっともだという風に大きく頷く。コンラッドは所謂お姫さま抱っこで抱えていた村田の体を一瞥して、2人の少年を交互に見遣ったあとにこりと笑った。

 

「そういうわけにはいきません。猊下もこの国にとって大切な方ですから。俺が責任持ってお運びします」

「コンラッドー!!」

「僕は荷物か…」

 

怒声とため息をいっせいに浴びても、やはり眞魔国の獅子は飄々としてその広く豪華な部屋を後にした。

 

 

 

***

 

 

 

 「よく気がついたね」

 

予想外に腕の中でおとなしくしている彼に、やはり自分が目論んだ通り実は自身の力で立ってはいられないほど辛いのだろうと思っていたところへ声がかけられた。

 

 いつも通りにしていた自信があるのに、悔しいな。

 

 ほとんど独り言に近い大きさで呟く村田にコンラートは前へ向けていた顔を少し俯かせるけれど目にはいるのは彼のつむじばかりだ。

 

「触られるのを嫌がってらっしゃるようだったので」

「ああ、それで」

「それでも普通は気づかないでしょうね」

「そうなの」

「はい。俺は猊下のことをよく見ていますから」

「まあ、僕と渋谷は大抵一緒にいるから」

「そういう意味ではないですよ」

「じゃあどういう意味」

 

どう、ですか。と一度コンラートは口を噤む。先見の明があり、誰より聡明でその思考を常人には推し量ることも出来ない『双黒の大賢者』である、目下の賢人。

 今のやり取りでその真意が分からなぬはずなどないのに全くもって察する素振りも見せない辺り、彼の症状は予想していたものよりも酷いのかもしれない。思えば部屋を出る前に比べて体が随分と熱い気がした。

 

 熱が上がっているのだろうかと危惧しながら、たいしたものだと感服してもいた。腕の中の少年は「彼」の前ではそんな素振りを露とも見せなかった。

 思いながら口を開く。

 

「つまり」

 

先の問いに対する答えだった。

 

「俺は猊下のことを――」

「くだらない冗談を聞く気分ではないよ」

 

被せられた容赦ない言葉にやはりたいした御方だと半ば呆れたようにコンラートは思って、けれども胸の辺りにすり寄せられた彼のおでこに、苦笑を禁じえないのだった。

 

 つまりは、俺は貴方に骨抜きなんですよ。