kidding!

 

 

 

 

 

 目の前にある細いうなじにヨザックの喉がごくりと鳴る。しかしこの願ったりのはずの状況が必ずしも喜ぶべきではないと分かっている男はちろりと伺うように相手を見た。すると、華奢な手足を惜しげなく晒した格好で少年賢者は男に微笑みかけた。

 

 ……かといって、いただきます、と押し倒すわけにもいかない。

 いやでも据え膳食わぬは男の恥ではないのか。

 いやいやしかし。

 

 餌の前でお預けを食らう獣よろしく、一匹のオスであるところのグリエ・ヨザックは自分の腹の上に乗っかっている極上の罠の前に苦しくも二の足を踏んでいた。

 

「………猊下」

「なに?」

「…お降りになっていただけますか?」

 

搾り出すように喉から声を吐き出すヨザックに、村田は心底驚いたように目を開く。

 

「どうして?僕じゃ不満なの?」

「………」

 

ああ、騙されるな!これは演技だ!!と、分かってはいても薄い唇を僅かにあけて魅力的な瞳を揺らす目前のにくいひとに、ヨザックはうっすらと己の限界を感じた。

 

「そ、そういうわけではなくてですね…」

 

顔を逸らして言葉を濁すが、ひやりとした手がやさしく頬を包みこんで再び正面に戻される。そうしてかち合うのは、この世で最も美しく気高い、彼だけが持ち得る漆黒の宝石だ。

 

「……っ」

 

その一連の効果的な仕草に、ヨザックは無念、敗北を認めた。

 

「猊下!!」

 

がばちょ、と思い余って廻した腕の中にあるはずの薄い体は、残念ながらコンマ一秒、遅かったらしい。

 

「はい、君の負け〜」

「………」

 

空を掻いた両腕を持て余したヨザックは、ぐっと自身の両肘を掴んだまま恨めしげにすり抜けていった温もりをねめつける。

 そこには勿論、勝ち誇った笑顔で大の男を見下ろす我らが大賢者さまがすっくと床の上に立っていた。

 

 白いシャツ一枚しか羽織っていない村田は細い二の腕から指先までを晒しているばかりか、太股から足先までは布きれひとつ覆っていない。しかもシャツの胸元は大きく開いていて、彼の発達しきっていない胸板の上にくっきり浮かぶ鎖骨が露出している。

 

 はっきりいって眩しすぎた。

 

「君って本当に耐性ないよね〜」

「あなたは本当に鬼のような方です!!」

「えー?ひどいなあ」

 

言って小首を傾げるさまは悔しいが恐ろしく可愛らしい。

 

「君が最後まで我慢できたら、僕を好きなようにしていいって言った言葉に嘘はないよ?」

「それが出来たらこんなに苦労してませんよ!!」

「だからそれは君の問題だろう?敏腕諜報員の名が泣くよヨザック?」

 

腰に手を当てた偉そうな態度も、彼にかかればひどく板に付く。言ってることは随分と辛らつだが、美貌が全部カバーしてくれるなんて不公平だとヨザックはうなだれた。

 そんな彼に、張本人であるところの村田少年は、ぱっと見だけならこの世界で最も素晴らしいと言えるのだろう慈愛に満ちた表情をグリエ・迷える子羊・ヨザックに向けた。

 

「まあまあ、先は長いんだからそんなにへこまないでよ」

「あんたに言われたくないですよ!!」

 

吼える野獣にしかし美女ならぬ美少年は、ケタケタと顔に似合わない品のない笑いを残して隣の彼専用の寝室へと消えて行った。

 

 残された哀れ従者は、今度こそ、と何度目か知れない決意を新たに胸に抱いたのだった。

 

 だから彼は知らない。

 

「……危なかった」

 

 パタンと閉まった扉の向こうで、ながいながい息を吐いて少年が自分の体をぎゅうと握り締めたことを。

 今にも彼に堕ちそうな自身を叱咤して、熱い吐息をこぼしたことを。

 

 ―――子羊が狼になれる日は、遠くないのかそうでないのか。