欲望レイン

 

 

 

 

 

 顔を打つ雨の雫が頬を伝って地面に染みていく。

 もともと土から生まれたものが土に返っていくのだろうかと村田は思う。

 

 命ないものでさえ還っていく場所がある。

 

「……ふ」

 

我ながら自虐的な思考に村田は込み上がってきた笑いを抑えられなかった。自分を追い詰めたところで何も変わりはしないのに、悪い癖だと村田自身思ってはいるのだけれど、長年の悪癖はそう簡単には治らないと居直ってもいた。

 

(眞王………)

 

出来ることならば考えないでいたかった可能性を、考えざるを得ない段階に来ていると、彼自身理解していた。

 

 揃った箱。

 そして揃った鍵。

 

 それが何を意味するのかなんて知らないはずないだろう、と村田は自分に問いかける。

 ウルリーケは彼の言葉を聞くことが出来なくなっていた。

 何よりも、もう彼には自分の声さえ届いていないようだった。

 

「ウェラー卿のことも、あれはもう君の意思ではなかったのか?」

 

問うたところで答えなどもらえる筈もない。

 一体いつから、と村田は苦悶する。結局自分は彼の助けになどなにひとつなってやれなかったのではないかと怒りすら感じる。

 しかしもし本当に恐れていた事態が起こっているのなら、自分のやるべきことは何千年も昔から決まっている。

 

 激しく顔全体に降り注ぐものを、まるで無数の弾丸を受けるような気持ちで村田は甘受していた。降り注ぐ無慈悲な弾は村田の全身を打ちぬいて穴だらけにするけれど、彼は痛みに耐える術しか持ってはいなかった。

 

 

 

***

 

 

 

 馬のいななきが遠くで聞こえた気がしたのはどれくらい時間が経った後だろうか。雨音と一緒に乱暴な足音が聞こえたかと思ったら、突如村田の顔の辺りだけが静かになった。と、同時に、大きな感情の波動のようなものをごく近くに感じる。

 

「………?」

「バカですかあんたは」

 

不思議に思って村田が目を開けたのと、無礼な言葉が降ってきたのは同時と言ってもいいだろう。こんな空の暗い日には似合わない、明るい髪の色が村田の視線の先でちらついた。

 

「こんな大事な時にこんな所で何してんですか」

「グリエ」

「言い訳は聞きませんよ、そんなにずぶ濡れで、肺炎でも起こしたらどうするつもりなんです」

 

いつも飄々としている護衛の激情に村田は少なからず驚いて言葉を返すことが出来なかった。何も言わないでいると相手は痺れを切らしたのか乱暴に腕を伸ばしてきたかと思うと、あっという間に村田を抱きかかえる。

 

「……こんなに冷え切って」

 

舌打ちでもしそうな様子でグリエが言う。ふと彼を見回すと、同じくらいずぶ濡れのようだった。オレンジの髪からは雫がひっきりなしに滴り、引き締まった腕は汗と雨で湿っている。

 

「ごめん」

 

自分のためにこんなにも濡れてしまったのかと思うとらしくもない殊勝な台詞が口をついて出ていた。

 が、それはむしろグリエの神経を逆なでしたらしかった。

 

「そんな言葉を聞きたいわけじゃない」

 

村田の侘びを一刀両断して、腕利きの護衛はバッと布のようなものに己の主人を包むと、そのままずんずんと歩き出す。グリエの腕の中で揺られながら温かいと村田は思った。

 

 しばらく歩いた後で、グリエが口を開いた。

 

「閣下たちも、口にはしないけれど動揺しています」

「……そうだろうね」

「倒すべき敵が眞王陛下など、揺らぐなという方が無理だ。……特にあなたは眞王陛下ご自身を知っている唯一の御方です」

「………」

 

布に阻まれてグリエの顔は見えない。雨が木々を打つ音だけが村田の耳に響いていた。

 

「ですが、」

「グリエ」

 

村田は続けようとするグリエの言葉を遮った。聞きたくなかったし、言わせたくなかった。

 もぞりとくるまれた布から体を自由にして、彼の頭に両腕を廻す。瞳を直視出来なかったことくらいは許して欲しかった。

 

「僕は大丈夫。ありがとう」

「……っ、」

 

反論しようとしたグリエを村田はギュッと彼の頭を抱えることで回避する。

 それでもなお、猊下の大丈夫ほど当てにならないものはありませんよ、と苦々しく呟いた彼の言葉を村田は、独り言だと独断して聞こえなかった振りをした。

 

 本当はごめんと言いたかった。