秘メ恋

 

 

 

 

 

 「グリ江ちゃん、今のもう一回!」

「え〜、またですかあ?も〜猊下ったら人使い荒いんだから!」

 

明るい光が冬特有の切るような寒さの上に降り注ぐ、天気の良い午後。中庭から聞こえてくる楽しげな声に、一介の高校生にしてこの眞魔国においては一国の主でもある渋谷有利は声のする方に顔を向けた。

 

 視線の先では、同じくただの眼鏡高校生かと思いきや、実は4000年の記憶を持つ村田健と、彼らと親しいグリエ・ヨザックがなにやらじゃれあっている。

 

「………」

 

部屋の中に閉じこもってひたすら執務をこなしていたユーリは、顔をあげたままその光景をぼんやりと眺めていた。

 何をしているのかまでは分からないが、やたらと笑顔を見せる友人と何だかんだ言いつつまんざらでもなさそうな従者の笑みが、彼の心に真っ青な空に似合わない薄暗い染みをつくる。彼らの身体が時折触れ合うのが余計ユーリの気に障った。

 

「村田!!」

 

気づいた時にはかじりついていた机から大げさな音を立てて立ち上がって、中庭に向けて大きな声を張り上げていた。

 呼ばれた本人は一瞬きょとんとして、絡まれていたグリエの腕をそのままにきょろきょろと辺りを見回す。ユーリのいる場所から中庭まではいくらかの距離があるため、自分を呼ぶ声は聞こえても発生源が分からないらしい。

 

 がたがたっと音を立てて机の傍を離れるとユーリは遠くはない距離にある窓際に全速力で走り寄った。

 

「むらたっ」

 

ひと際大きく声を上げると、彷徨っていた彼の瞳がその居場所をつきとめた。

 

 渋谷、と。

 

 村田が言葉を紡いだのがわかった。

 

 彼がそのまま自分の名を呼んだ相手を見つめると、二人の視線が自然と交わる。二つの双眸が合わさるさまは、あるいは他者からみれば、まるで一対の黒が融け合うように見えたかもしれなかった。

 

「―――、」

 

そしてそれによってもたらされる己の中の激情に、ユーリはもはや慣れてしまっていた。じっ、と呼ぶだけ呼んで何も言わずに相手を見つめる。そんな彼に村田はしばし首を傾げたけれど、やがてじゃれあっていたグリエの腕を柔らかく解いた。

 キレの良い目をした、賢そうな面立ちの臣下は何も言わずに賢者の促すままに彼から離れる。彼らは一言二言会話をして、すぐに村田はユーリのいる場所に向けて足を踏みだした。二人の会話の内容は無論部屋の中までは聞こえなかった。

 

 自分の方に向かってゆっくりと歩いてくる村田を見遣ってユーリが笑みを向けると相手も笑顔で応えてくれた。彼は決して他の者のように形振り構わず走ってきたりはしない。

 その悠然とした態度が余計にひとの心を掻き立てることを、きっと相手は知りもしないのだろうとユーリは思う。

 

(……村田)

 

少年王は、表面上では年相応の子供のように、にっこりと笑う。それに返される相手の笑顔が好きだからだ。

 

(お前、知らないだろ?)

 

ユーリはちらりと、彼の背後に未だたたずむオレンジの髪の男を一瞥する。良くできた兵士である彼は自身の感情をその表面に表したりはしないけれど、ユーリは彼が自分の村田に対する感情に気づいていることを知っていた。

 彼が何も言わないのは果たして自分が魔王であるからなのか、それとも自由恋愛主義者だからなのか、ユーリには分からない。が、そんなことは別に問題ではないと彼は考えていた。

 

「渋谷」

 

随分と距離の近づいた村田がユーリの名を呼ぶ。

 

「渋谷、どうしたのさ?」

「もー俺、仕事尽くしで超!飽き飽きなんだよ。村田ちょっと相手してよ〜」

「はあ?まったく、溜め込むからだろ〜?」

 

さり気なく、相手に悟られないほど柔らかに気遣ってくる村田をユーリは泣き言で巧みに誘い込む。と、彼は呆れた様子を見せながらも窓枠に足をかけた。

 

「おい村田!お前大賢者ともあろう者が窓から侵入かよ!」

「扉まで行くと遠回りだからね〜」

 

よいしょ、と相変わらずの掛け声をかけて窓を飛び越えようとする村田を中から支えるように手を握った。

 ぎゅっと。

 互いの温度が交わるその行為に意味を見出してしまうのが自分だけだということなどユーリは分かっている。握った手をためらいなく握り返されるその事実が、彼の心を嬉しくも苦しくもさせる。

 そんな一瞬の感傷を振り切るかのようにそのままぐいと腕を引くと、ふわりと村田の身体が宙に浮いて、トンと彼は順調に室内に着地を果たした。

 

「ありがとう」

「……ああ」

 

そうして彼はひらりとユーリの横を通り抜けて、執務机の方へと向かった。目の前に自分以外で唯一の漆黒が通り過ぎるのを目に認めてユーリは無意識にそれを目で追っていた。

 同じ黒のように見えるけれど、きっと彼の黒と自分の黒は明らかに違うのだろうとユーリは思う。

 

 魔王である自分の力を最大限に発揮できるように創られた賢者という存在に、自らが捕われてしまったことを当代魔王である渋谷有利はとうに自覚していた。

 

(なあ村田)

 

彼に届かないように呟くのは卑怯だろうか。

 

 俺君のこと好きなんだ。