|
『聖夜の前のとある一日』
「明日はイブかぁ」
「クリスマスですか?」
年末の仕事が一通り片付き、過ごし易くなった執務室の窓辺。
窓の外、雪が降る風景を眺めながら呟いていたら、後ろから柔らかな声音が返ってきた。
振り向くと案の定ウェラー卿が近付き、僕の隣から空を見上げる所だった。
明日と言っても、もう半刻もすれば日付が変わるんだけど。
だが雪明りの景色は、今が深夜であることを忘れそうにさせる程ほのかに柔らかな光を湛えていた。
「うん、眞魔国で過ごす初めての聖夜だなって」
不思議な感じだった。
此処にはクリスマスなんて行事は無いのに、だがやはり厳粛というか若干厳かな気分になる。
聖母マリアもイエス・キリストも、その教えも此処には無いのに。
居るのは、神みたいに眞王廟で崇め祀られている子供みたいな王だけだ。
「…教えたら、また彼が煩そうだ」
思わずくすりと笑みが零れる。
本当に子供みたいな人だった。彼は、眞王は。
渋谷とはまた違う、普段は大人の落ち着きを持っているのに、時折少年のような無邪気さを見せる人。
何か行事があれば、率先して参加の名乗りを上げていた。
「…眞王陛下のことですか?」
僕の表情からそれが判ったのか、ウェラー卿が若干低い声音で尋ねてくる。
「うん。好きだったからね。羽目を外せることは何でも」
そして、それを諌めるのが僕の役目だった。
時に口煩い母のように小言を言って、彼に呆れられてもいた。
お前は俺の母親かと問われ、そんな面倒なものになるのは御免ですと返した、臣下としてあるまじき自分。
だがそれを愉快げに笑い飛ばしたのだから、彼も真っ当な王では無かったのだろう。
「懐かしいですか…?過去が」
静かに問われ、僕は知らず柔らかく目を細めていた。
「懐かしいよ。でも、戻りたいとは思わないかな」
「何故」
見れば声音と同様に穏やかな眼差しが僕を見つめていた。
そして、だからこそ判ってしまう。ウェラー卿が僕の気持ちを察していることに。
全く、判っている癖に聞かないでくれよ。肩を竦めて小さく苦笑を返した。
「僕は、村田健だからね」
始祖の大賢者じゃない。眞王の為に生きる大賢者じゃない。
僕の隣には、もう既に危なっかしい友人が居る。
彼を諌めるんじゃない、冗談を紛れさせながら支えるのが今の僕の役目。僕が生涯しようと決めたこと。
ウェラー卿が微かに笑う。
「それを聞いて安心しました」
「よく言うよ。聞く前から判ってた癖に」
渋谷のことを誰より知っているこの剣士は、誰より渋谷を第一に思っていて。
だからこそ心配だったのかもしれない。大賢者の眼差しの行く先が。
穏やかな口振りからは、焦りの欠片も見て取れないけど。
「猊下の御意思は、僭越ながら僅かばかり察しているつもりです。…でも」
「でも?」
「猊下の一番に大切なものは、誰にも判りませんから」
男らしい憂いを秘めた目が僕を一瞬見つめ、だがすぐにふいと逸らされた。
「謎掛けみたいな言い方だね」
僕が何をしたいのかは判る。でも、僕が真実一番に大事に思っているものは判らない。
そういうことだろうか。
「…直裁に言うと、個人的に具合が悪いので」
困ったような苦笑いが返ってくる。ますます訳が判らない。
だが、彼が言いたくないと思っているのならこれ以上尋ねるのは野暮だろう。
僕は、やれやれと眉を上げて話題を元に戻した。
「…で、ウェラー卿。君は渋谷にクリスマスプレゼントをあげるのかい?」
「ああ、それもいいですね」
雪を追う様に窓に視線を向けていた彼が、妙案だとばかりに破顔する。
おや。僕に言われるまで考えなかったってことは、そう子供扱いしている訳でもないらしい。
「まあ、この年でサンタクロースの贈り物って感じでもないしねー」
地球の子供達だって、現代ではサンタクロースを信じているかどうか怪しい。
グレタやフォンビーレフェルト卿なんかは、未だにそういう存在を信じていそうだけど。
ぼんやりとそんなことを考えていたものだから、一瞬ウェラー卿の呟きを聞き流した。
「いえ。猊下へのプレゼントはもう手元にあるのですが」
「何だ、やっぱりあるんじゃないかー……って」
え?
「ちょっと待って」
何で僕?渋谷じゃなくて。
目を瞬いて驚きを露わにする僕に、ウェラー卿がくすりと笑った。
「いえ。過ごした年月で勝てないのなら、物で攻めるのも手だなと」
「〜〜〜あのさ。もう少し判り易く言ってくれない?」
だんだん苛々してきたぞ。
言葉を選ぶのは良いが、どうにも彼の言い方は抽象的過ぎる。
眉間に皺を寄せた僕に、ウェラー卿は何処か困ったような瞳で笑んだ。
「駄目です。言ったら、きっと貴方は警戒して逃げて行ってしまう」
「…僕は人慣れない猫かい?」
「ああ、言い得て妙ですね。確かに、貴方は動物で例えたら黒猫だ」
面白そうに瞳を和まされて、脱力する。
結局それ以上言うのを諦めて、溜息混じりに小さく揶揄を返した。
「プレゼントは、是非とも首輪以外のものでお願いするよ」
僕は人慣れない黒猫なんでね。
肩を竦めて呟くと、意外にも真摯な眼差しが僕を見つめていた。
ウェラー卿が手を伸べ、長い指が僕の髪に触れかける。
「貴方を捕えようなんて思っていませんよ。囚われているのは……」
その時、時計の鐘の音が不意に響いて僕達は言葉を止めた。
柱時計を見れば、現在の時刻は十二時丁度。気がつけば夜を回っていたらしい。
髪に触れかけていたウェラー卿の手が、そっと引っ込められる。
まるで境界線を越えた自分に気付いたかのように。不思議に思いつつも、首を傾げるに留めておいた。
「…メリークリスマスイブ、かな?」
日が変わっていたのにも気付かず、駆け引きめいた会話をしていた自分達が可笑しくて。
だが自分達らしくもあって。おどけて妙な造語を言うと、ウェラー卿が乗って返してくる。
「そのようですね。…Happy Holidays」
アメリカ式の挨拶が、紳士的な微笑と共に返ってきた。
「“良いクリスマスを”、か。明日は渋谷に連れ回されて、それ所じゃなさそうだけどね」
クリスマスの飾り付けに、グレタや子供達へのプレゼント選びに。当然の如く手伝わされそうだ。
でもそれが嫌ではなくて、むしろそんな性質の友人が好ましくて、知らず小さく笑う。
「むしろその言葉は、君にこそ言うべきかな」
彼なら一緒に静かな夜を過ごす恋人の一人や二人居るだろう。
だが何故か、小さく反論が返ってきた。
「いえ、俺は」
思わずきょとんと首を傾げる。そんな僕に、銀の虹彩を和ませたウェラー卿が静かに呟いた。
「…聖夜の前に、とても幸福な時間を過ごしたので」
静かに胸に染み入るような声音だった。一瞬、呼吸が止まる。
何かとても大事なことを言われた気がして、だがそれすらも掴めなくて。
僕は、服の胸辺りをぎゅっと掴んで眉根を寄せた。
おかしい。何で急に鼓動が早くなるんだ。
「ああ、段々冷えてきましたね。…猊下、午餐室にでも行って暖かい飲み物でも如何ですか?」
僕の様子には気付かずに、男らしい穏やかな声音が室外に誘う。
渡りに船だった。身体を温めたら、少しはこの心臓の不具合も落ち着いてくれるだろう。
「…そうだね。そうしようかな」
部屋を出ようとした時、ふと目の端に入った窓の外はまだ雪が降っていて。
漆黒の夜空を絶え間なく降る白い雪が染めていた。
そういえば銀の虹彩は雪の結晶に似ているな、と思った所で、後ろから声が掛けられる。
「猊下?」
「ああ、今行くよ」
名前を呼ばれるのに、以前とは違う胸を締め付けられるようなむず痒さを感じつつ、扉を閉めた。
聖夜はまだ、始まったばかりだった。
|
|
『antique
green』の永遠子さまからいただいたコンムラです。
永遠子さんからコンムラをいただけるなんて、こんな光栄なことがあっていいんだろうか…!!
しかも誕生日祝いです。感動。
コン→ムラで外から攻め攻めの次男と、何かを感じ取りつつも肝心なところで鈍い猊下がもう!
私のツボの核心をつきまくりです。焦れ焦れな感じがまたいいのですよ〜vv幸せ……!!
永遠子さん、至福のひとときを本当にありがとうございました!!