幼稚な独占欲

 

 ここが部室だということなどとうに頭から吹き飛んでいた。

 体が熱くて、ともすれば逃げようとする舌を追うことに必死で、相手の目の端に涙が浮かんでいることにすら気づかないで。

 壁際に追い込んだのは逃げ場をなくすためで案の定、阿部とコンクリートに挟まれた栄口はなす術もなく阿部のされるがまま。

 そのされるがままの栄口に、阿部の熱は更に体中を駆け巡るのだから手に負えなかった。

 

「…んふ、ぁ」

 

栄口の鼻から抜ける声が阿部の耳にいやらしく響く。普段あれだけ健全な野球少年の代表である栄口はキスをすると途端に豹変する。こんなに艶かしい声を知っているのが自分だけなのだと思うたびに背筋にぞくりと何かが駆け上がって阿部は止まらなくなる。

 その先にある彼の痴態を見たくて見たくて感情の制御が利かなくなるのだ。

 

 ぬるく絡む舌と、色づく肌。

 舐めるたびに跳ねるからだを高めて高めて彼に腰を押し付ければ既に熱に浮かされた相手に行き当たる。

 なぞって触ると耳がしびれるような声を出す。

 中に入れてしまったら気持ち良さにどうにかなってしまいそうになるのはきっとお互いさまだ。

 

 そこまで想像して阿部の背をまた、ぞくぞくと駆け抜けるものがあった。

 

 だから互いの部屋以外でこんなキスは普段ならしない。

 しかし今日は状況が違っていた。

 

「ぁ、べ、たんま…」

「なに?」

 

舌の動きが止んだのを見計らってか、栄口が声を出したので阿部は一度唇を離した。つうと糸が引くのが堪らないのだろう、栄口はそこから目を逸らすように阿部を見るが、すぐにまた瞼を伏せる。

 肩を後ろに押し付ける阿部の腕を掴む栄口の手の力は弱い。静止の声もか細くて遠慮がちだった。

 

「待って、ここは…」

「今更部室だからやめろなんてナシな」

「……」

「だってお前分かってンだろ?」

 

なんでオレがココでヤろうとしてンのか。

 

 耳元に顔を近づけて囁くように言ってやると触ってもいないのにぴくりと栄口の体が動く。きゅっと返事の代わりに腕のシャツが握られた。

 

「じゃあ黙っとけよ」

 

思い出して苛々が募りそうになるのを、阿部は栄口の首筋に噛みつくことで遣り過ごした。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 「さかえぐちぃ〜」

 

間延びした声で栄口の名を呼ぶ相手はあまりにも分かりきっていて憶測するのも馬鹿らしい。

 

「なんだよクソレ」

「阿部は呼んでないよ!」

 

隣でちょうどアンダーシャツを頭から脱ごうとしていた栄口の代わりに答えてやると、水谷はムキになって突っかかってくる。うぜぇ、と相変わらずの感想を彼に持ちながら無視を決め込むと、「なに、どした?」

とシャツの襟の裏側から栄口が顔を出した。

 伸ばされた腕は阿部の目線のちょうど真横に来て、その、日に焼けていない白さとほどよくついた筋肉のアンバランスさにいつもながらどきりとする。

 

「へへ、栄口ってさぁ、どんな子がタイプなの?」

「はあ?」

 

半袖のワイシャツに手を通しながら栄口は頓狂な声を上げた。

 

「あは、実はクラスの女子に頼まれちゃってさぁ」

「ええ?」

「あー、だからお前ノロノロ着替えてたのか」

 

帰り支度をほとんど終えた花井がロッカーの扉を閉めながら話に加わった。

 

「人減んの待ってたんだろ」

「えへへ〜、そう」

 

練習が終わってから随分と時間が経った部室には主将副主将の他には水谷しか残っていない。いつもはさっさと帰り支度を済ませる水谷なのだが今日はこのために殊更にゆっくりと動いていたらしい。水谷の行動になど興味がない阿部は全く気づいていなかったけれど、花井はその辺もきちんと把握しているようだ。話題が話題なので、女の子には無条件に優しい水谷がそのクラスの女子とやらに気を遣ったのだろう。

 

「クラスの女子ってことは、オレも知ってるやつ?」

「知ってるけど、教えないよ〜」

「聞きたくねェよ別に」

 

花井が心外だと言わんばかりに鼻白む。

 

「ねーねー、どういう子が好き?」

「どういう子って言われても…」

「何でも良いんじゃねェの、明るいとか優しいとかさ」

「だから阿部に聞いてないってば!」

 

栄口の女のタイプなんて聞く気にもならない阿部が適当な返事を促すが当の本人は結構真面目に考え込んでいるのか、阿部と水谷の掛け合いにも気づかぬようで前のボタンを上から順に留めながら視線だけ斜め上を向いている。

 

「あ、もしかしてもう好きな子いるから答えにくいとか?」

「え?」

 

水谷の発言に驚いたのは栄口だけではない。着替える手を止めて阿部が栄口を見ると、彼もボタンを留める手を止めてこちらを見ていた。そのとき一瞬交錯した2人の視線を水谷は見逃さない。

 

「え!なになに?!阿部は知ってンの?!」

「はァ?」

「だから、栄口の好きな子!」

「なんだ栄口そんなヤツいたのかよ」

「え、え、」

 

水臭ぇ、だとか、教えてー!だとか好き勝手なことを言ってくる花井と水谷に、目に見えておろおろしだす栄口に阿部はイラッとする。

 

「え、と…や、そういうわけじゃ…」

「へぇ?」

「あ、阿部…」

「そうだよな、お前別に好きな女なんていねエよなァ?」

「………」

「なんだそうなのー?じゃあ好きなタイプは?」

 

その後しつこく聞いてくる水谷に栄口がなんて答えたのか阿部は知らない。着替えを早々に切り上げて離れた場所で部誌を書く事に集中していたからだ。

 

 阿部が最後の一文字を書き終えて顔を上げたころには、水谷の姿も花井の姿もなく、ひとりきりになった栄口がロッカーの前に立って所在なさげに阿部を見つめていた。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 痛、と栄口が小さく声を出すのを無視して阿部は首元に歯を立てたままべろりと肌を舐める上げる。すると痛さのためではなく息を呑む気配がして思わず口の端が上がった。

 噛む力を甘噛みと言っていいほどに弱めれば今度は目に見えて体がびくつくのが分かる。丹念に吸って噛んでを繰り返して口を離すと、ほとんど鎖骨に近い首の根もとにくっきりと、明らかに人工的な紅い跡が残った。

 満足して顔を上げる。栄口の困ったような目がその跡と阿部とを幾度か上へ下へと行き来した。

 

「コレでお前の好きなタイプ聞いてくる女なんていなくなンだろ」

「……それよりまずいこと聞かれるよ」

「まずいことって?」

 

片眉を上げて挑発すると、栄口は居たたまれなくなって目を逸らす。

 

「言えば?7組の阿部につけられましたって」

「本気で言ってんの?」

「さあな」

 

曖昧な返事で切り上げて唇を下へと動かしながらそのすぐ下のボタンを順に外していく。息を詰める栄口。我慢なんて出来ないくせにいつまで続くが見物だと思って阿部は湿り気を帯びた肌の上で薄く笑った。

 

「……、ふ、…ァ」

 

すぐに堪え切れない吐息が頭の上から零れ落ちた。栄口が、どこを触れば悦くなるのかなんて知り尽くしている。そんな自分の前でそれでも強情に両手で口を塞いだりするから余計に征服欲が疼くのだ。何度も肌を重ねているのに、栄口はそういった部分をまるで分かってない。

 いや、もしかしたら分かってはいるのかもしれない、と阿部は胸の内で訂正する。理解はしているけれど許容は出来ないから抗うのかもしれない。そうだとしたらなおそれは、阿部の背中を粟立たせた。

 

「……ぁあ!、ッ」

 

ぞろりと手のひらを下肢に沿わせる。もはや栄口の逃げ場は完全に絶たれた。既に液体を零している先の部分を広げるように2、3度梳いただけでぶるりと華奢な体が震えて、抑えきれない吐息が小刻みに漏れ出て阿部の髪にかかる。ひどく熱い息だった。

 

「んぁ、阿、べっ」

「なに?」

 

胸の辺りに這わせていた口を離して見上げると、潤んだ瞳がこちらに向けられていた。何も言わずにしばらく待つ。すると観念したように自分から両腕を首に回して来て口づけをせがんでくる。それに応えるように阿部もまた栄口の背中に手を回して、ついでに彼の腰を持ち上げて膝に乗せた。

 

「ひあッ」

 

拍子にシャツにでも当たって擦れたのか、か細い悲鳴が上がるけれど頓着せずに口を合わせた。食べるように栄口の唇を貪って舌で相手の口内に分け入る。おずおずと口を開けて、侵入してきた阿部の舌を追うように受け入れる稚拙な愛撫に胸の奥がぎゅっとした。

 

(たまんねエ)

 

絡み合うふたつのぬめりに夢中になる。時折びく、びく、と震える栄口の体が彼の今の状態を阿部に伝えて、そのたび阿部の体も熱を増した。

 

 栄口の体はひどく敏感になっているようだった。

 身動きすればするほどに彼を握っている片方の手の中で彼自身が膨らんでぬるりとした液体が阿部の指を濡らしていく。親指で先端を執拗に擦るたびに塞がれた口の代わりに嬌声が鼻から抜ける。

 

「も…っ、だめ…」

 

とうとう、はあ、と大きく息をついて逃げるように口を離して栄口は俯いた。

 

「何が?」

 

とぼけてみせる阿部を上目遣いに睨んでくるが、目の端の火照った潤んだ眼差しを向けられたところで痛くもかゆくもない。むしろ彼のそういった視線は阿部の中の熱を見境なく煽ってゆくのだった。

 

「言えよ、栄口」

「………」

「我慢できねエんだろ?」

 

もはや限界が近いことは密着した体が如実に伝えていた。張り詰めた手のひらの中のものが何を望んでいるかなど、あまりにも分かりきった問いなのに。

 

「………っあア!」

 

とどめとばかりにきゅっと緩く力を入れる。それだけで、彼のそこ、はびくびくと痙攣して、堪らないのか、栄口の腕が阿部の体をきつく抱き締めて来て肩口に歯を立てられた。アンダーシャツを着ていなければ彼の爪が背中にいくつも傷をつくっていたことだろう。阿部としてはそんな傷だって、行為の証だと思えば臨むところだけれど。

 

 そこまで追い詰められてそれでも肝心の言葉を口に出すのは抵抗があるようで阿部の肩を強く噛んで遣り過ごそうとする栄口の体は可愛そうなほど震えていた。

 

「ばか、痛えよ」

「……っ、ごめっ、んッッぁ!」

 

阿部の抗議に思わず口を離した語尾が快感にさらわれる。仕方ねェな、と阿部は自らスラックスに手を掛けた。汗ばんだ手が革の上を滑って思うように外せなくて短く舌打ちが漏れる。

 

(くそ、こっちだって余裕ねンだよ)

 

「強情」

 

耳元で呟いて乱暴に下半身を覆うものすべてを一気に引き摺り下ろす。本音を言えば余裕のないところなんて見せたくはなかったけれど、我慢出来ないのは阿部だって同じだった。

 肩口から口を離した栄口が阿部の若い欲情を目の当たりにして一瞬目を瞠る。けれどすぐに、くすぐったさのなかに嬉しさを噛み締めてでもいるかのような、ひどくはにかんだ笑みが彼の顔に広がって、阿部の方が大きく目を見開いた。

 

(………ずりィだろ、そのカオは)

 

もはや下肢どころか体全体を駆け抜ける先触れをどうする事も出来なくて余裕もプライドもかなぐり捨てて己自身を彼の後膣にあてがった。

 

「………っああッ!!」

 

途端、栄口の体が今まで以上にぶるぶると震える。目からはぽろぽろと涙が零れて、上気した頬を滑りゆくさまがとてもきれいだった。

 

「……ひィ、あッ、は、ぁ、…ッ!」

「力、抜けっ、栄口」

「ひぁ、出来な…ッあっ」

「っ」

 

何度も阿部を受け入れたことのあるその場所ははじめこそきつく閉じていたけれど丁寧に進んでいくうちに徐々に徐々に緩和して、やがて完全にすべてを呑み込んだ。

 

「……は、あ」

「結構、すぐ入ったな」

「……ばか」

「部室嫌だとかいってしっかり感じてンじぇねェか」

「うるさっ、ぁ、ッ…!」

 

腰を揺らして突き上げれば、栄口は言い返す余裕を無くして必死で縋りついてくる。栄口の中はいつもと同じようにひどく熱くて堅くて、擦れる度にピリピリと刺激が中心から先端へと駆けて。

 

「っくッ…」

 

内壁がぎゅうぎゅうと締め付けて来るのが死ぬほど気持ちいい。律動する体と相手の重みで全身から汗が噴き出すけれどぬるりと滑り合う互いの体躯すら快感の後押しでしかない。

 

「阿部ッ、だけ、だから…!」

「!」

 

前触れなく耳に飛び込んできた栄口の言葉に阿部は、思わず戒めを解いた。

 

 驚きのままにまじまじと相手を見つめる。阿部の両肩を握った栄口は膝の上で激しく上下しながらやはりはらはらと涙をこぼしていた。

 

「……おま、え」

「阿部だけ、だよ…!」

「……!」

 

時折迫りくる悦楽に飲み込まれそうになりながらも必死で伝えようとする栄口の表情が、声が、そのすべてが近すぎる距離を経由して阿部の核心を突いてきて、言葉にならない感情が一気に心臓の奥からせり上がってくるのを止められるはずもなかった。

 

 律動するのも忘れてがむしゃらに抱き寄せて唇を重ねる。

 何度も何度も彼の上唇と下唇を啄ばんで舌先で薄い皮をなぞった。栄口は自ら口を開いて阿部を受け入れて、それからはもう、行為も忘れて激しく互いの口内を貪り合って。

 

「ふ、ぁ」

「んっ…」

「はっ……んうッ…」

「……っ」

 

部屋の中の汗と湿気の混ざった空気の中で、2人分の荒い吐息と耳慣れない音だけが、終わりなどないかのようにずっとずっと、その空間にこだましていた。