「やろうぜ」
目の前でまなじりがきつく閉じられたのを目に認めて、阿部の唇の端があがる。彼はそれを承諾と受け取った。ほとんどなきに等しかった栄口への距離を一瞬のうちに詰めれば、すぐにやわらかな感触が唇に触れた。
緊張のためか少しかさついた唇はそれでも十分に柔らかい。男の唇がこんなにも柔らかいのだと栄口に出会ってはじめて知った。女のものよりもよほどソソられると思うのは贔屓目なのかもしれない。そんなことを恥ずかしげもなく考えながら阿部は、うっすらと口を開いた。 舌先でつつくとびくりと握った肩が震える。絡み合っている手先は逆にぎゅっと握られて、相手の緊張を如実に阿部に伝えた。
「んぁ、」
思いがけずといったていでこぼれた声に自分自身がびっくりしたのか、栄口の目がバッと開かれた。当然、相手をずっと見つめていた阿部と目が合う。次に彼が取るだろう行動を把握している阿部は、肩に置いていた自身の手をすかさず背中に回して栄口を固定した。
「ちょ、…阿部!たんま!」
とはいえ相手もなかなかに手強くて、自由にならない体の代わりに顔だけは背けて強引な口付けから逃れようとする。
「なに」 「なにじゃねぇよ!そっちこそ何考えてんだ!」
横を向いたままあらぬ方向を向いて抗議してくるその頬はものの見事に真っ赤にそまっていて、彼は怒っているつもりなのだろうけれど全く迫力がない。それどころか上気した頬から首にかけてのラインと、目の端に見受けられる恥じらいが阿部の邪な欲求をより一層掻き立てた。
「嫌なら止めろっていったのに止めなかったのお前だろ」 「………!やめ、」 「今更おせぇよ」
間髪入れずに相手が言おうとしただろう否定の言葉を遮ると彼は悔しそうな顔で黙った。
こういうところが栄口の堪らないところだと阿部は思う。 嫌ならば、今更なんて関係なく拒絶すればいいだけの話だ。確かに阿部のやり口は強引で、ポジション上、栄口よりも体躯はしっかりしている。けれど彼だって同じ年齢の男なのだから本気で抵抗すれば阿部を押しのけることくらいそう難しいことではないはずだ。
栄口がそれをしないのは、他者を跳ね除けることを良しとしない彼なりの信念と、そして自分への特別な感情からだろうと、阿部は都合よく解釈していた。
学校で、いくらひっそりとしているとは言え紛れもなく知っている者も知らない者も、大勢の生徒が混在しているこの学校の敷地内で、抱き締めてキスをしてあろうことか舌まで入れてくるなんて栄口にとってはとんでもないことだろう。きっと今だって恥ずかしくてこの場から消えてしまいたいような気持ちでいるに違いない。
それでも栄口は最終的には阿部を拒んだりしなかった。今だってそっぽを向いてはいるけれど、そこに完全な拒絶は感じられない。
(……だから)
阿部はきつめに背中を抱いていた腕をふっとゆるませる。栄口は驚いたようにこっちを見返してきた。つり目のくせに柔和な瞳が大きく開かれたまま阿部を見ている。タレ目の癖に凶悪、と不本意ながら称される阿部の瞳も同じように真っ直ぐに栄口に向かっていた。
「ふ」
しばらくのあと、栄口の口元が不意に緩んだ。ズルイよ阿部は、と彼は場違いにもくすくすと笑った。
「こういうときばっかりそんな目で見るんだからさ」 「………栄口」 「わーッ、もう、分かったから言うな!」
恥ずかしさを吐きだすようにそう言って、少しだけ俯き気味に栄口は再びまぶたをぎゅうっと閉じた。
「………」
阿部はそんな彼を、どう表現していいのか分からない、堪らない心持ちで見遣って、そして彼のひどく手触りのいい髪を撫ぜるようにして顔を上向かせる。
秘かにとても気に入っているつややかなおでこにひとつ。 閉じられた瞼の上とうっすら紅いまなじりにひとつずつ。
通り道の頬や鼻先にもそれぞれ順に落として、最後に我慢出来ないというように彼の一番やわらかい場所に噛みついた。
「っ、んン」
さっきよりもずっと強引に口の中を探ると、やはり苦しいのか栄口の喉の奥が弱く鳴る。けれども今度は逃げたりしないで彼は阿部を受け入れた。
(だから調子に乗っちまうの。分かってねぇんだよな、おまえ)
そんないじらしい行為は到底自分と同学年の男とは思えないほどで。阿部は言い訳のような責任転嫁のような、とにかく自分勝手な理屈で今の状況を正当化する。 それでもなお、まさしく目の前にいる栄口は健気にもぎゅうと目を閉じたまま阿部に応えることに専念していて、それを目の当たりにしてしまったら、もう。
……やべぇ、止まんねえ。
言い訳も理性もまるで通じない、圧倒的なうねりに襲われた阿部が更にその先へ進もうとして、焦った栄口に結局、「調子に乗ってんじゃねぇ!」と容赦ない蹴りをくらうことになるのは、その数秒後。 |