思春期だからこそ

 

 部室を出た途端に手首の辺りを掴んでいた阿部の手が下にずれて、5本の指が自分の指先に絡んできて栄口はぎょっとした。野球部の部室は校舎練とは離れているところにあるとはいえ、終業時間が過ぎたばかりの校舎内には多くの生徒が残っている。いつ誰が通るとも分からない場所でするには、その行為はあまりにも。

 

「あ、阿部…」

 

途惑いながら呼ぶけれど、前を行く阿部は振り向かない。絡ませた指をそのままに足を止めない。栄口は目線の少し上にある後ろ頭が動かないのを見て、仕方なくされるがままにすることに決めた。阿部が彼の意思でもって行動している以上、自分が何を言ったところでそれを止めることなど出来ないだろう。

 どうしたんだろう、とは思うけれど口には出さないで黙って手を引かれるままに歩きながら、阿部の後姿を気遣わしげに見ていた。

 

 一方阿部は、後ろからのもの問いたげな視線を感じ取っていたが振り返るつもりも止まるつもりもなかった。不安げな声が聞こえたときにはさすがにぐらりと良心が揺れたけれど、それでも自分の中でとぐろを巻くもやもやした感情の方が勝って無視をした。

 それ以来栄口は何も言わず黙って自分についてきている。その事実は苛苛した阿部の心を少しだけ満足させた。

 

 何をそんなにイラついているのか、正直阿部も判断がつかない。だからこそ今彼と向き合うことが出来ないのかもしれなかった。

 栄口だって男なのだからエロ本くらい見るだろう。見ないほうがおかしい。現に自分だって、決して興味がないわけではない。水谷の栄口への馴れ馴れしい態度だって今更だ。

 

 くそ、と内心舌打ちしながら周囲に目を配る。部室からも校舎からも逆方向になるよう歩いてきているので、誰とすれ違うことも、目撃される心配もないはずだが用心するに越したことはない。1本1本に絡んでいるお互いの指が緊張で少し湿っていた。普段学校でこんな風に触れ合うことはまずないので当然と言えば当然だ。

 

 阿部と栄口は、つまりはそういう関係だった。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 不意に止まった目の前の人物につられて栄口も歩みをやめた。どれくらい歩いただろう、とまず思う。部室からも教室がある校舎からも随分と離れてしまったような気がする。案外西浦って広いんだな、などと悠長なことを思っている自分が可笑しくてちょっと笑ってしまった。

 周囲を見渡してもどこなのかよく分からない。栄口の目に入ってくる主なものと言えば古びたコンクリートの小さめの建物とそれを囲むように茂っている木々の群れだ。どう見てもその建物は長い間使わていそうになかった。

 

「阿部、ここどこ?」

「さあな」

 

口をついて出た疑問に返ってきたのは見も蓋もない台詞だったけれど、相手が返事をしてくれたことが栄口は嬉しかった。一度呼吸をする間に考えて、思い切ってもう一度口を開いた。

 

「どうかした?」

 

こっち向いて欲しいなと思いながら率直な質問を投げかけると、今度は返事こそなかったがゆっくりと振り向いてくれたのでまた嬉しくなる。こちらを向いた阿部は一見不機嫌そうな顔をしていた。

 しかしすぐにまた彼は前を向いて歩き出してしまう。予期していなかった再開に栄口はたたらを踏んだ。

 

「ちょっ、まだ歩くの?」

 

答えの代わりにきゅっと阿部の指が栄口の手の甲を締め付ける。ドキリとした。

 

 阿部は栄口の手を引いて、耐久年齢はとうの昔に過ぎているだろうコンクリートの建造物の裏側に足を踏み入れた。手入れされていない大小の木の葉が鬱蒼と茂っていて表側よりも暗い。

 不意にくるりと阿部がこちらを振り返った。

 

「ここなら誰も来ないだろ」

「………」

 

栄口は何と答えたら言いか分からなくて当惑する。確かにここは、学校にいるという事実を忘れてしまいそうなほどひっそりとした静けさに満ちている。

 そう思った途端、阿部と繋いでいる方の手にカッと熱が溢れるかのような錯覚を覚えて咄嗟に手を引こうとするが、それは相手の予想の範疇だったのか、一瞬早く握り込められて逃げ場を失う。ハッとして阿部を見ると同時にトンと背中にコンクリートの硬い感触を感じた。

 

「栄口」

「………な、に」

 

名を呼ばれて間抜けな受け答えをしてしまう。栄口は混乱していた。2人の雰囲気が、というよりも、阿部の纏う空気が明らかにさっきまでとは違っていることに気づかざるをえなかった。

 ちょっと待てここ学校だぞ、しかも部活抜け出してきてんだぞ、と頭の中では散々目の前の相手を窘めているのに一言として口を突いて出てくれない。阿部の目が真っ直ぐに真剣に栄口を見つめていて、彼の口を見えぬ力で塞いでいるのだった。

 

「栄口」

 

再び呼ばれるけれど今度は何も返すことが出来なかった。かといって視線を外す事も出来なくて、栄口はちょっと泣きそうだ。だってきっと、阿部が次に言う言葉を自分は分かっている、と彼は思う。

 

「触りたい」

「……………」

 

阿部はずるい。沈黙しながら栄口は心底、黙って彼の後についてきたことを後悔していた。

 

「部活、中……だろ」

「花井に先に進めといてって言って来たから問題ない」

「学校だろ……」

「こんなとこまで来る物好きいねぇよ」

 

大体どこに触るんだよ、とはさすがに聞けなかった。何と答えられても恥ずかしくて死んでしまいそうな気持ちになるだろう。

 

「………今じゃなくても…」

 

弱弱しく最後の抵抗をする栄口を。

 

「今触りたい」

 

阿部はいっそ潔いほど無残にすっぱ切って近づいた。繋いでいない方の手が栄口の肩を握って、シャツ越しにその熱さを感じてしまった栄口は羞恥心でどうにかなりそうだ。阿部の顔がひどく近い。大きな黒目が栄口を捕らえて離さない。

 

「嫌なら止めて」

 

最後にはそう言って阿部は行動に出た。栄口は、どんどん近づいて来る阿部の顔を見ているしかなく、心の中で散々喚いていた文句ももはや浮かびすらしなくて、結局、何も出来ないまま、ただ耐え切れなくなってぎゅっと目をつぶった。