エロ本

 

 ハイ阿部、と手渡された代物を、つまらなさそうに一瞥しただけで隣の水谷にスルーパス的に渡すという、思春期真っ只中の男子高校生にあるまじき行動を取った阿部隆也15歳に、その場にいた野球部部員は一瞬しん、と静まり返った。

 

「……?」

 

騒々しいとはいかないまでもそれなりにざわついていた周りが突然静かになったことを訝しく思って顔を上げた阿部を待っていたのは、チームメイトが一様に目を丸くして自分を見ているという光景で、多少ぎょっとして阿部もまた不審そうな顔を浮かべて彼らを見回す。

 

「なんだよ」

「や、お前ってホント硬派っつーか」

「男じゃねーな!ゲンミツに!」

 

渡した方の手をぎこちなく宙に浮かべたまま花井がハハ、と乾いた笑いを漏らすと、その後ろからぬっと現れた田島が阿部を指差す。

 

「阿部ってそういうの興味ないんだ?」

「いや〜阿部はいかにもムッツ…」

「だまれクソレフト」

 

泉の言葉を即座に否定して余計な事を言ったがために阿部にノールックパンチをお見舞いされたのはもちろん水谷である。「いってぇ!!なにすんだよ阿部!!」と騒ぐ水谷に、

 

(学習しろよ水谷…)

 

とその場にいた部員のほとんどが思ったけれど、誰も口には出さない。泉は水谷の隣に座ったことをたいへん後悔しつつ、これ以上被害が広がる前に話題を戻した。

 

「それ巣山セレクトらしいよ」

「へ〜」

「なんか妙に説得力あるな。田島セレクトと違って」

「なんでだよー」

 

ちなみに田島セレクトとは美醜に関わらずとにかく巨乳を集めたという大変マニアックな代物で、部員の誰一人最後まで読みきった猛者はいないという、ある意味伝説的ブツなのだった。

 

「巣山?」

「お、読む気になったか?」

 

巣山セレクトに反応する阿部に、泉がしてやったりという風にひょいと水谷越しに阿部を見遣る。

 

「や、つーか…巣山のってことは栄口も見てんのか?」

「栄口?」

 

なんでそこで栄口が出て来るんだと誰もが思ったけれど、阿部がエロ本に興味を持ったことの方に興味をそそられたので敢えて追求する者はいなかった。

 

「さあ…どうだろうな。それは分かんないけど」

「あー、見てんだろー。つかそれ栄口から回ってきたし!」

「はあ?!」

 

聞き捨てならない田島の発言に阿部の眉が跳ね上がるけれど、そんなものを気にするような男は田島ではない。

 

「なんか貸そうとしたやつ突き返されてさー。代わりにこれ見ろ!って言われて」

「田島、アレを栄口に貸そうとしたの?!」

「チャレンジャーだな、お前」

「何で?栄口だって男じゃん」

「そうだけどさ……」

 

栄口とエロ本というのはどうにも対極にあるような気がしてしまう西浦高校野球部の面面である。きっと田島の貸そうとした本も、表紙を見た瞬間にその場で突き返したのではないだろうか。きっと耳まで真っ赤に染まっていたに違いない。もしかしたら袋とじっていう単語も知らなかったりして。

 などと栄口が聞いたら「俺だってエロ本くらい読むよ!」と顔を紅くしながら必死に言われそうなことをそれぞれが心の中で思う間、田島と阿部は「てめー変なもん栄口に見せてんじゃねー!」「なんで阿部が怒ンの」などと小競り合いを繰り広げている。

 

 その真っ只中。

 

「ごめん、遅くなって!HR長引いちゃったんだ」

「悪い、もうミーティング始まってるか?」

 

派手な音を立てて部室の扉を開けて入ってきたのは、今まさしく話題にのぼっていた、栄口と巣山だった。

 

「…………」

「?なに、どうかした?」

 

奇妙に静まった部室の雰囲気に2人は首を傾げる。

 

「あ、あぁー、なんでも。随分長引いたんだな」

 

硬直状態からいち早く脱したキャプテンはひくりと顔に作り笑いを浮かべて遅れてやって来た二人を迎えた。

 

「先生がなかなか来なくてさ、HR始まるの遅くなって」

「まだ始まってなかったみたいだな、良かった」

「ああ、大丈夫だ。3組もまだ来てないし」

「三橋も日直だしな!」

 

花井の涙ぐましい努力の甲斐あって、部室内に充満していた妙な空気は一応、払拭された。いつもの和やかムードに突入するかに見えたその場をしかし、まったく意に介さない輩がいることをすぐに彼らは思い出すことになる。

 

「巣山ー俺今日これ借りて帰って良い?」

 

と。片手に握ったモノをひらひらさせる水谷に皆の視線は集中する。そのいくつかに多少の殺意めいたものが含まれていたとしてもそれは彼らを責めるべきではない。

 水谷・空気を読めない男・文貴はそんな集中砲火に気づきもしないでブツを持ったまま席を立ち、扉近くにいる巣山と栄口に近づいた。

 

「ねーねー、栄口のおススメはどれ?」

「え、」

 

ガタン!

 

突然話を振られて途惑う栄口の声に重なるように大きな音が室内に響いた。話題を振った水谷も振られた栄口も、その隣にいる巣山も。そのほか部室内にいたほとんど全員がびくりと体を震わせて音の発生源に恐る恐る目を向けた。

 

 そこには案の定、不機嫌を通り越してひどく無表情の阿部が勢いで随分と後ろに引かれてしまった椅子と机の間に立っていた。

 

「…………」

 

次に何が起こるのかと戦々恐々とする彼らの間を無言のまま通り過ぎて阿部はドアの前にいる3人の前に立ち。

 

「栄口」

「な、なに」

「行くぞ」

 

どこへ、と彼が疑問を口にする間もなく問答無用で相手の手を引く。そのまま扉の外へと追い出して、自分もその後に続きながら首だけで後ろを振りかえった。

 

「シガポに用あるからちょっと出る。先に進めといて」

 

花井に向かって一方的にそう告げて、そのまま2人の姿はドアの向こうへと消えていった。

 

 後に残ったのは絶好に気まずい雰囲気と、あっけに取られた部員たちの表情と。

 

「アイツ、なに怒ってんだ?」

「………俺、なんかした?」

「つかさ、なんで今ので阿部が怒るわけ?」

 

 あいつらって…………?

 

「……………」

 

運動部らしくむさくるしい部室にどんより広がる、疑惑の念だった。