まさか。

 よりにもよって。

 オレの目の前で。

 しかも、アレに。

 

 あいつのファーストキスを掻っ攫われるなんて。

 ――――――予想なんかできるわけねェだろ!

 

ファーストキス

 

 ことの発端は彼のやさしさ。

 

 現在試験期間中、ただ今勉強会。と銘打って部室で教科書やらノートやら筆記用具やらを広げているのは試験やばいです組の三橋、田島、水谷と、人に教える余裕くらいはあります組の花井、阿部、栄口の計6人である。

 

「もう無理!ぜってー無理!これ以上入んねー!!」

「うお………」

「ってお前らまだ10分しかたってねェよ!水谷を見習え!」

「え、オレ?オレ偉い?ねえねえ栄口オレ偉い?」

「うんうん、偉いよー」

「うぜェ」

 

が、開始10分で既に限界を向かえた田島と三橋に教える組は一様にため息をついた。田島などは畳の上に転がってジタバタしはじめる始末である。

 

「お前、ほんと野球うまくてよかったな……」

 

羨望なんだか憐憫なんだかわからない花井の一言がぽとりと白いノートの上に落ちた。

 

「仕方ないなあ」

 

拉致があかないと思った栄口は自分のカバンを引き寄せてゴソゴソと中を漁り始める。しばらくして見つけ出した目的物を甘いもの好き三人衆の前にホラ、とかざした。

 

「じゃあ単語10個一番ちゃんと覚えたひとにはポッキー贈呈」

「ぽぽ、ポッキー!!」

「栄口のポッキー?!」

「栄口すげェ!ドラえもんだな!」

 

見事食いついてきた彼らに栄口は父親どころか母親のような眼差しを向けてにっこり笑った。

 

「じゃあもう少しがんばろうな」

「「「おおー!」」」

 

俄然やる気を出した3人を阿部と花井が顔をひきつらせながら見ていたことは言うまでもない。

 

「栄口」

「なに、阿部」

「お前こういうときの為に菓子とか常備してンの?」

「まさか。たまたまだよ」

「ふうん」

 

肩を竦めてみせる栄口に嘘だな、と阿部は思うが黙っておいた。この3人が甘いもの好きだということを把握して事前に準備をしている辺りが栄口らしい。実際、やる気を出しているのだから上手いやり方だ。

 そういった細やかな手回しが出来るのが栄口という男で、阿部は自分にはない彼のそんな部分を垣間見るたび好ましく思うのだ。

 

 最終的に見事栄口ポッキーにありついたのは、やはりというか何と言うか、ここ一番の集中力においては右に出るもののない田島だった。しかも全問正解という快挙である。

 

「………お前野球以外でも発揮できんじゃねェかその集中力…」

 

マルつけをした花井はやっぱり嬉しいのか哀しいのか分からない面持ちでマルの10個ついた紙にため息を落とした。

 

「ポッキーちょーだいー!」

「はいはい」

「うう…」

「ほら、三橋にも飴あげるからね。あ、水谷にも」

「さ、さかえぐち、くん!」

「栄口やさしー!!」

 

ここは幼稚園か、とツッコミを入れたい気持ちをなんとか押さえて阿部は、保育士状態の栄口とそれを取り囲む園児さながらの3人組を苛々しながら見つめる。

 

「辛抱しろ、阿部…」

「わぁーってるよ」

 

しかし花井になだめられ辛うじて保っていた忍耐も、次の田島の発言によって見事粉砕させられるのだった。

 

「なァなァ。ポッキーゲームやんね?」

「へ?オレ?」

「そうそう。オレ一回やってみたかったんだよね。はい、栄口こっちくわえて」

「ぅぐ!」

 

驚きにぽかんと口を開けたまさにその瞬間、栄口の口にポッキーのチョコの部分の方がポイと投げ込まれた。

 

「あ、チョコの方やっちった。まァいいや!すぐそっち行くし!」

 

そうして田島はパクリと反対側の端をくわえて、よーい、と喉で開始の合図を告げる。

 

「!!」

 

基本的にアドリブの利かない栄口は、もはや完全に田島のペースに呑みこまれていた。先程放り込まれた部分をくわえたまま前進も後退も出来ないでいる。

 

「「あ……」」

 

間近で見ていた三橋と水谷は急展開に頭がついていかずどんどん近づいていく田島と栄口の距離をぽかんと見ているしかない。

 

 その間、ほんの数秒。

 

「…………」

 

決定的な瞬間が訪れたとき、部室には異様な雰囲気と奇妙な沈黙が落ちたのだった。

 

「あ、ワリ。口ついちった」

「………」

 

あっけらかんと言い放つ田島に、栄口はこれ以上ないくらいに大きく目を見開いて、そうしてすぐに、これまたこれ以上ないくらいに顔を赤くする。

 

「おおおお、おまえ!」

「栄口、三橋みてー」

「田島、てめェ………!!」

「落ち着け、阿部!」

「あーでもアレだな!お前唇柔らけー!」

「……!!」

 

何だかもう色々居たたまれなくなった栄口はその場にへにゃりと崩れ落ちた。

 

「ああ、さ、さかえ、ぐち、くん!」

「わぁ!大丈夫栄口?!」

 

倒れ込んだ栄口の周りでおろおろする三橋と水谷と。

 

「殺す。てめェ、ぜってー殺す」

「なんだよ、なんで阿部が怒ンだよ」

 

負のオーラを体中から立ち上らせて田島に向かっていく阿部。

 

 そんな収拾のつけようがなくなった部室内の状況に、花井主将は。

 

(だれかこの場をどうにかしてくれ…)

 

なんて他力本願したくなっちゃったりしていても、仕方のないことかもしれなかった。