主将会議
不毛だな。
西浦高校野球部主将、花井梓は机を挟んだ向かい側にいる2人の副主将のやりとりを眺めて人知れず溜息をこぼした。
あと数日もすれば梅雨入りか、というこの時期、野球部の部室は既に湿気が多く蒸し暑い。本格的に梅雨になったらどれだけ湿度が上がるのだろう、などとどうでもいいことを考えてしばし目の前の現実から逃避してみたところで現状が変わるはずもなく。 花井は潔くあらぬ方向に向けていた視線を彼らに戻した。
阿部隆也と栄口勇人。
副主将としては、非常に頼りになる2人だ。阿部の頭の良さといざというときの判断力は尊敬に値するし、怖がられることもある彼の態度は裏を返せば他者を引っ張るために必要な威厳とも言える。 栄口は逆に、フォローを得意としていてチームの潤滑油を果たす存在で、もちろん野手としての能力も高い。部になくてはならない存在だ。
確かにそうのなのだけれど。
「オイでこっぱち」 「だまれ変態」 「…神経性ゲリ持ち」 「った!ちょっと阿部、でこピンすんなよ!」 「………お前ら聞いてるか?」 「だって阿部が!花井からも言ってやってよ!」 「なあ花井、栄口前髪切り過ぎじゃねエ?」
そんな頼りになる2人はしかし、主将会議という名目で開かれる週に1度の定例会では正直、ほとんど役立たずだ、と花井は再び大きく息を吐いて手元の書類に目を落とした。
「もうそのままでいいから聞くだけ聞いとけよ」 「わかったゴメン、ちゃんと聞くよ」 「おう」 「……っだから阿部!さわんなって!」 「お前の頭きもちいーんだもん」 「もん、じゃねェ!」
言ったそばから始まる2人の掛け合いに、既にツッコムのも馬鹿馬鹿しくなった花井は強引に話を進める。
「梅雨に入ったら雨が多くなるからってこの間雨天時の練習メニューを考えただろ?」 「うん、筋トレと廊下でのダッシュ、あと柔軟とかだね」
ガタリと音を立ててイスを移動させて、阿部の魔の手から逃げ出した栄口がすぐ隣に腰を落ち着けるので、花井はさり気なく体を横にスライドさせた。 そのままでいると何かのついでに肘辺りが当たってしまいそうで、それは目の前にいるもう1人の副主将の精神衛生上を考えた行動だ。案の定、既に阿部から自分に向けて負のオーラがビシバシ伝わってくるのを顔を上げないことで遣りすごす。
「なんだけど、百枝が視野を広げるためにバスケ部と行動練習しろって言うんだよ」 「あぁ?」 「バスケ部?なんで?」
阿部の柄の悪い声と、栄口の疑問に花井は、言いたいことは分かるよ、というように頷きながら説明する。
「バスケって視界がすげー広いんだってさ。だからバスケ部のやつらと一緒に3対3をやらせてもらえって」 「ふうん」 「でもバスケはバスケの練習があるだろ」 「つっても始めの30分くらいな。まあどっちにしろ交渉しなきゃなんねェけど」
コレがその申請書類、と言って机の上にある紙をトントンと叩くと、それを覗きこみながら栄口がはいはーい、と妙に間の抜けた声を出して手を上げた。
「バスケ部の主将ならオレ知ってるから、持ってくよ」 「はあぁあ?!」 「いいのか、栄口」 「ダメに決まってンだろ」
即答したのは阿部だ。その断固とした口調に驚いて顔を上げる栄口と、やれやれ、と呆れた様子で阿部を見遣る花井に、当の発言者はとんでもなく険悪な目つきで言い放った。
「そういうのは主将がやるもんなんだよ」
きっぱりと言う阿部に、栄口は今度は視線を花井に移した。瞳が「ホント?」と聞いているけれど、そんなことないぞ、と今言葉にするのは死活問題であると判断した賢明な主将は曖昧に笑みをこぼすことでその場を濁すことにする。
「だいたいなんでお前バスケ部の主将なんて知ってンだよ」 「ああ、委員会が一緒だから」 「そんだけでフツー3年と仲良くなるか?!」 「いつも隣の席だからさ、結構良く話すんだ」
みるみるうちに歪んでいく阿部の眉根に気づきもしないでいかにその主将が良い人かを力説する栄口に、花井はもはやこの話し合いが円満に解決しないだろうことを悟った。
「てめェ、誰彼構わず良い顔してんじゃねエよ!」 「はあ?!なにそれ、別に良い顔なんてしてないし!」
大体そんなこと阿部に言われる筋合いないね!と栄口が強気の発言をすれば阿部のああぁん?!という高校生らしからぬ相づちが部室内にこだまする。
そして花井は、またか、と呆れるばかりだ。
栄口は普段は穏やかなのに、なんで阿部に対してはキレやすいんだろうなあとか、阿部はこれで誰にも自分の気持ちが気づかれてないと思ってるんだから案外馬鹿だよなあとか、大体栄口もいい加減気づけよ鈍すぎだろーとか。
目の前の2人に対して思うことは多々ある。けれども、普段はしっかりと副主将の役割を果たしてくれる彼らがこのような姿を見せるのはこの場だけなのも分かっている。 おそらく意識的に気を引き締めているのだろう部活中と違って3人しかいない主将会議では、無意識に素の部分が出るのだろうと思えばとても邪険には出来ない。
頼れる副主将たちは、それだけよくチームをまとめてくれているし、花井としても彼らの存在は大きい。
やれやれ、オレもたいがい甘いなと思いながら、我らが主将は机の上の紙切れを拾い上げて立ち上がった。
「花井?」 「ンだよ」
言い合いをしていた栄口と阿部の目が一挙に花井を見上げた。
「これ渡してくるから、お前ら他のコト進めとけよ」
手に持った紙をヒラヒラさせて、返事は聞かずに部室を出る。扉を閉めてしまえば中で何が起きているかを確認することは不可能だ。
「ま、なんもねーと思うけど」
ぼそっと部室の扉の前で呟いて、一歩踏み出したそのドアの後ろで相も変わらず繰り返されているだろう不毛なやりとりを思い遣る。 しかしすぐに花井は呆れとも微笑ましさともつかない笑みを浮かべて今度こそ目的を果たすべく、その場を完全に後にした。 |