「クソ」
あいつアホだろ。
目の端で繰り広げられる毎度ながらのいさかいに泉は、パンをかじりながら冷ややかな目を向けていた。
「なに怒ってんだよ」 「だから阿部はその話題ひっぱり過ぎだって言ってんの!」 「事実なんだからしょーがねーだろ」 「いちいち蒸し返すことでもないだろー?!」 「だいたいお前、未だにその体質治ってねェじゃん。緊張して腹痛くなるなんてなっさけねェ」 「………」
ぐ、と黙る栄口。阿部は偉そうに腕組みなんてして椅子にふんぞり返っている。机を挟んでその正面に座っている栄口が返す言葉を失って、うー、とかあー、とか声にならない声を発しているのをにやにや見てるんだから本当に救いようがない。
(趣味わりーの)
栄口の座る場所から空席をいくつか挟んだ所に腰を下ろして練習後の休憩がてらパンを頬張っていた泉は、頬杖をついたまま周りを見回した。 着替えやら片づけやらをしている他の部員は、また始まった、という程度の認識のようで気にも止めていない。唯一、ロッカーの前で三橋が着替える手を止めて目に見えて挙動不審にちらちらと阿部と栄口の方を見ているくらいである。
部活後の部室は蒸し暑いけれど、大きく開けた窓から入ってくる風に緩和されてそれなりに居心地が良い。明日の練習試合に備えて午後には練習が終わった今日は、土曜ということもあって皆のんびりと帰り支度をしていた。数人の声や物音が交わされる部屋の中はそれなりに騒がしかった。
「なに、またやってるの?」
着替えを終えたらしい西広が泉の隣にやって来て腰を下ろす。カタリと引かれた椅子に行儀よく収まって西広はスポーツバッグを机にのせた。中身を整とんしつつ、横目で件の2人を見遣る。
「阿部も飽きないねえ」
のんびりと呟く西広に泉は、一応声だけは押さえて盛大に肩を竦めてみせる。
「ほんっっっとにな。栄口もほっときゃいーんだよ。あんなの小学生でもやんねーって」 「あー、好きな子いじめちゃうってアレ?」
さすが西広、秀才の名は伊達ではない。すぐに泉の言わんとしていることを察して彼は小さく笑う。
「バレバレだろ」 「栄口は気づいてないんじゃないの」 「あいつは自分のことには無頓着すぎんの」 「ああ、確かに」
ジャッ、と勢いよくチャックを閉めて、でも、と西広はふたたび彼らの方に、というよりは阿部の方に顔を向けた。
「阿部も自分で分かってないんじゃないかな」 「げっ、無意識かよ。性質わりー」 「小学生だってちゃんと自分の気持ちを把握した上でちょっかいだしちゃうわけじゃないしね」 「……」
完全に阿部を小学生扱いした分析につい相手を見ると、そこには西広の涼しげな横顔があって、チームメイトの新たな一面を垣間見てしまった泉は思わず口をつぐんでしまった。 そんな隣の様子を察しているのかいないのか、まるで相好を崩さずに西広は阿部と栄口に目を向けたまましばらく考える素振りを見せて。
「…どっちかというと無意識に甘えてるのかも。ホラ、阿部って面と向かって人に甘えたりとかしなそうだし」
うんうんと頷きながらそう結論付けたがしかし、反論せずにはいられない泉である。
「そんなのオレだってやんねーよ!大体なんで栄口なわけ。花井とか水谷でいーじゃん、同クラなんだし」
花井はともかく水谷はナシだろう、と言うツッコミを引っ込めて西広はイライラと2人を見遣る泉をそっと盗み見る。
「同中だかなんだか知らねーけど、阿部は三橋のフォローと言い、栄口に頼りすぎ」 「………」 「栄口もはっきり言ってやればいーんだよ。まァでもそれが栄口だし、仕方ねーけど」
阿部を睨み付けていたかと思えば栄口には不満げだけれども柔らかな表情を向ける。目の前でくるくると様相を変える泉の童顔を西広は丹念に観察していた。
「あのさ、泉ってさ」 「ん?」
呼びかけられて泉が振り向くと、なんとも爽やかな西広の笑顔に迎えられる。
「栄口のこと好きだよね」 「はァ?!」
思いっきり不意打ちのとんでもない発言に大声を上げてしまった泉に、部室内の視線が一気に集中する。慌てて口を閉じる泉と、どうしたどうしたとこちらを伺ってくる彼らに「何でもないよ」と卒なく返す西広。 西広の穏やかな笑顔の効果は抜群で、いぶかしそうにしていた部員たちはけれどすぐにそれぞれの輪に戻っていった。
「別に変な意味じゃなくてさ」
皆の視線がこちらから外れたのを確認してこそりと西広が付け足せば、ただでさえデカイい目を更に大きくしていた泉はがくりとうなだれながら、はあー、と大きく息を吐く。
「あーびびったー、オレと阿部を一緒にされたかと思った」
などと失礼極まりない発言をしつつ、相手に向きなおる。
「まー栄口とは結構気が合うっつーか。なんか落ち着くっつーか。普段一緒にいるのがアレだしさ」 「三橋と田島と一緒にいると体力使いそうだもんね」 「まァそれはそれでおもしれーからいんだけど。でもあいつら無尽蔵なんだもんよ。たまには休みたいときもあるわけ」 「はは。なるほどね」
休日の家族サービスに疲れたお父さんのようなことを言う同級生に西広は肩を震わせる。
「そーゆーこと。大体オレが栄口を好きだったら三角関係になんだろ。うわー部内でシュラバとかマジ勘弁だぜ」 「それはオレも遠慮して欲しいよ」 「だろー?」
そうだねえと西広が返したちょうどそのとき。
「泉!自販機行こう!」
まさしく話題の渦中の人物である栄口が顔を真っ赤にしてこちらにやってきたので、泉と西広は2人して驚いたように彼を見つめる。すると栄口ははっとして動きを止めた。
「ごめん、話の途中だった?わり、続けて…」
自身の身勝手な行動を恥じるようにそのまま少し俯く彼を見て、やれやれと西広は首を振る。
「ちょうど終わったところだよ。行ってきなよ。ホラ、泉」 「ん?お、おー。行こーぜ。オレも喉かわいたし」 「いいの?」 「いいよー」 「行くぞ、栄口」
ためらう栄口の腕を強引に引いて泉は入り口の方へと向かう。西広は椅子に座ったまま、体を反転させてにこにこと2人を見送ると、栄口も安心したのか笑顔を返してくれた。
「なになにー、どっか行くの?!」 「泉とちょっと飲み物買ってくるー」 「えー!オレも行くー!」 「うぜぇ水谷」 「オレッ!アイスー!」 「田島、自販にアイスは売ってないから」
途端に騒がしくなる部屋の中、なんとなく後ろを伺った西広は、ちょっと見ただけですぐに顔を前へと戻した。その視線の先に映ったのは、水谷たちとやりあいながらも扉に手を掛けた泉の、もう一方の手に握られた栄口の腕だ。小柄な泉の手にそれでも華奢な彼の手首辺りがすっぽりと収まっている。
「………」
なるほど、これを見てのあの表情かと西広は納得した。
「じゃあテキトーにみんなの分買ってくるからー!」
結局栄口は泉に連れられて2人で部室の外へと出て行った。水谷の提案は却下されたらしい。カンカンカンと階段を降りる2人分の足音にきき耳を立てながら、西広は苦笑する。どうやら自分の予想が外れていたらしいことを彼は知った。
阿部のアレは、おそらく確信犯だ。
(……もう三角関係にまきこまれちゃってるかも、泉)
心の中で彼が合掌したことを、泉はもちろん知るよしもなかった。 |