直球で勝負しろ!
ガラッと勢いよく開かれた教室のドアの音は、喧騒に溢れた室内の中にいる誰の気にも止まらずに響いてすぐに消えた。水谷は勝手知ったる他人のクラスである1年1組に迷いなく足を踏み入れて短い昼休みを謳歌している生徒の中で比較的静かな一角を目指す。目的地にいるのは2人の男子生徒だ。
「あ、水谷」
向かってくる水谷に先に気づいたのは栄口だった。1拍遅れて巣山の坊主頭がくるりとこちらを振り向いた。おお、と箸を持ったまま水谷に向けて手を振る彼を、巣山の正面に座っている栄口が、行儀が悪いよ、とたしなめた。
「栄口〜巣山〜!ちょっと聞いてよ!」
水谷が情けない顔をして向かってくるのを、2人はまたか、と一瞬だけ目配せしてけれどすぐに笑顔で子犬さながらに走りよってくる愛すべきチームメイトを迎え入れた。栄口が、空いている隣の席のイスを動かして机の横に設置すると水谷は嬉しそうにそこに座った。尻尾でも見えそうだなと思ったのは巣山だ。
「なに、どうしたの」 「また阿部?」 「そうなんだよッ!!あいつホント鬼!悪魔!閻魔大魔王――!」
あらん限りの恐ろしげな名称を並べ立てて机の横でジタバタする水谷を栄口と巣山は今度はしっかりと目を合わせてやれやれ、と苦笑いする。どうやらお昼ご飯の時間は水谷の愚痴大会で終わることになりそうだ。
「それで?」
箸を握りなおして、中断していた食事を再開しながら巣山が問う。栄口もパンを一口頬張った。
「あれ、栄口今日パンなの?珍しいね」 「ああ、今日は寝坊しちゃって朝作って来れなかったんだ」
栄口家に母親がいないことは野球部員ならば皆知っている。父と姉と弟の4人暮らしの彼は、姉と共に栄口家の家事の一切を担っているので男子高校生には珍しく料理が上手い。水谷は、はじめて栄口の自作弁当をおすそ分けしてもらった瞬間に「お嫁に来て!!」と叫んで阿部に殴られたという苦い過去を持っていたりする。
「寝坊も珍しくない?」 「昨日の夜阿部から電話来てさ、それで盛り上がっちゃって。寝るの遅くなったんだ」 「…………あべ」 「あ」
阿部の名前を出した途端に見る見るうちに下がっていく水谷のテンションを目の当たりにして、しまったという顔をする栄口だけれど後の祭りだった。
「栄口は阿部と夜中までおしゃべりするんだ…」 「いや、ほら。部のことでいろいろ確認することとかあってさ」
ずーん、と机に頭をつけてどっぷり沈んでしまった水谷に栄口は焦って弁解する。今阿部の名前を出すのはどうやら地雷だったようだ。どうしようという思いで目の前のクラスメイトを見つめるが、巣山は肩を竦めただけで弁当箱からきれいな色の卵焼きをひとつ口へ運んだ。ほうっておけということらしい。 けれど自分の発言でどんよりしてしまった水谷を栄口が放っておくなんてできるはずもなく、しばし考えあぐねてから食べかけのパンを机の上に置いて片手を水谷の頭の上に伸ばした。
よしよし、とさらさらの髪をなでてやるとぴくりとその下の体が動いた。水谷の髪は茶色がかっていて光に透けるととても綺麗な色をする。今も窓から差し込む正午の陽の光が彼の髪をきらきらと照らしていた。
「水谷の髪ってきもちいーな」
思わず、状況も考えずポロリと考えていたことが零れてしまった。次の瞬間、触っていたその頭ががばりと起き上がって栄口はびくりと手を引っ込めようとするが。 がし、と水谷の手が逃げようとする栄口の手を掴んだ。
「……ほんと?」 「え?」 「俺の髪、気もちいい?」 「え、うん」 「俺の髪、好き?」 「う、うん」
なにやら必死の形相で畳み掛ける水谷に半ば腰引け気味になりながらも栄口は律儀に頷いた。巣山はというと、部員たちの異様な光景に硬直してしまって、口に運ぼうとしていたウィンナーを弁当の中にぽとりと落としてしまった。 そんな周りの雰囲気など露とも察しない水谷文貴は、ずずい、と更に体を前のめって。
「栄口!俺のこと好き?」 「へ?」 「好き?!」 「え、うん。まあそりゃあ…」
ほとんど勢いに負けるような形でこくこくと首を上下に動かす栄口を見て先程のテンションの低さはどこへやら、水谷はいつもの、人を安心させるようなはたまた気を抜けさせるようなふにゃりとした笑顔を浮かべた。
「俺も栄口が好きだよ〜。もー、栄口がそう言ってくれるなら阿部に何言われてもいーや」 「何言われたんだよ…」 「え?バカとか役立たずとか死ねとか」 「……阿部………」
さすがにそれはヒドイね、と、栄口は握られたほうの手をそのままに、もう片方の手で再びよしよしと水谷の頭を撫でる。
「阿部の言うこと気にすんなよ。俺も水谷が好きだよ」
にっこりと彼らしい温かな微笑を浮かべる栄口に、水谷は歓喜し。傍観者巣山は、その返しは間違ってるぞ栄口……!!という叫びを喉の奥に飲み込んだのだった。 |