僕らの3年8ヶ月と、ちょっと

 

 目の前で、瞳に真剣な色を湛えてこちらを見てくる女の子を大層可愛いと小松義孝は思っていた。

 自分の肩くらいまでしかない小柄な体。膝上まではコートにすっぽり隠れているが、その下から覗く生足はなかなかいい形をしている。こっちはジーンズをはいていてもなお寒いのに、この寒空の下肌を晒しているという点も努力賞をあげたいところだ。

 

 寒さからか緊張からか、真っ赤に染まっている頬が初々しい。大きな目と小ぶりな鼻と口が絶妙のバランスだ。くせっ毛なのか、アンバランスに肩で跳ねる髪だって自然な感じがしてとてもいい。パステルブルーのコートが少女の柔らかい雰囲気にとても似合っている。

 

 一言で言えば、相当、可愛い。

 

 オレだったらソッコーでOKだけどなー、なんて他人事みたいに眺めているのは、もちろん、その通り他人事だからだ。自分に限らず十中八九、彼女の恋は成就する運命にあるはずだと小松は思う。可愛いし、素直そうだし、なんか一生懸命な感じだし。本人に直接ラブレターを渡そうなんていう古風な方法がまたクるよなァ〜なんて、外野は思うのだけれど。

 

 だがしかし、如何せん相手が悪かった。

 

「悪いけど興味ねェから」

 

一刀両断、とはまさに今この瞬間、この男のためにある言葉ではないだろうかと小松は、差し出された淡いピンクの封筒に目もくれずにきびすを返した相手の背中を見遣って思う。おあつらえむきに吹いた一陣の風に煽られる黒髪とたなびくコート。後姿までさまになるんだからまったくもって神様ってのは不公平だ。

 

 呆れたように見慣れた光景を見ていた小松だけれど、取り残された存在をすぐに思い出して向き直る。

 

「えー、と」

 

案の定、哀れな同級生は涙さえ浮かばない様子で呆然と立ちつくしているので。

 

「あいつ今、部活のことで結構いっぱいいっぱいだからさ、ごめんな」

 

そんな注釈が慰めになるとは思っていないけれど声をかけずにはいられなくてひょいと頭を下げる。後姿をずっと目で追っていた彼女は、ようやく今気づいたかのように小松に焦点を合わせた。

 

「そう、なんだ。ごめんなさい。野球、がんばってね」

「おー、ありがとな。武人にも伝えとくから」

 

小松の言葉にこくんと頷いた少女は下を向いて少し逡巡した様子を見せてから、意を決したように顔を上げた。

 

「あの、……葛西くんて、好きな人いるのかな」

「あー、わり、その辺はオレも良くわかんねーんだ」

 

ある程度予想していた答えに困ったように小松は笑う。ほっとしたようにも残念そうにも見える少女の表情に内心で謝罪しながら、じゃあ、といつの間にか見えなくなってしまった薄情者の背中を追いかけるために校舎脇の長い通路を駆け出した。

 

 

 「わっ」

 

校舎の角を曲がったところで追いかけていた人物と鉢合わせて小松は急ブレーキをかけた。教室練から少し離れたその通路は食堂へ行くには遠回りになるため昼休みはめっぽう人が少ない。しかし小松と葛西はむしろその距離の遠さを歓迎してよく利用していた。基礎体力の向上は日々の努力が肝心だ。

 

「なんだよ、待ってたのかよ」

「遅い。どうせまたあの女にフォローでもしてたんだろ」

「お前がキツイ言い方するからだろうが!あんな可愛い子が泣きそうな顔してたぞ」

 

即座に突っ込むとバツの悪そうな目がこちらに向けられる。一応、自分の言い方が相手にとって手酷いものだということは理解しているのだこの友人は。

 

「……別に、勇人さんの方が可愛いし」

「…………」

 

拗ねたように視線をずらしてぽつりと呟かれた言葉に小松は、一気に脱力した。その子供みたいな言い分は一体なんだ。反応すべきところはそこじゃないし、第一、その台詞を臆面もなく口に出せる神経がまるで理解できない。

 

 小松は目をすぼめて、校舎の壁に寄りかかってあらぬ方向を見ている友人を呆れたように見遣る。ジーンズにモノトーンのトレーナーを合わせてジャンパーを羽織るだけで十分さまになるそのたたずまいは、確かに見た目だけならクールでカッコイイと同年代の女子たちが錯覚してしまうのも仕方ない。腕を組む仕草も自信のあらわれのようで頼もしく映るのだろう。確かに、造作の整った顔はどう見たって男前だ。

 

 けれど、そんな間違いなく女に不自由なんてしていない葛西が。

 

 つい先日、部の先輩に振られたばかりだなんてとんでもない事実を知っているのは、当事者を除けば小松だけなわけで。

 

「………」

 

小松は何度目か知れないため息を飲み込んだ。

 

 葛西から部の先輩である栄口勇人への想いを聞かされたのは随分前。夏が始まる直前だった気がする。お世辞にも人懐っこいとは言えない友人が、小松のシニアからの先輩である彼にひどく懐いているのを不思議に思ったのが発端だった。

 

『武人はほんと栄口先輩が好きだよなァ』

 

彼の事を自分だけが名前で呼びたいなどと葛西が言いだした時、うっかり軽い気持ちで感想を述べてしまった小松は、その想いが、自分が先輩に抱いているものとは違う種類のものであることを聞かされたのだ。

 

 驚いたけれど、それ以上に納得した。小松と葛西は長い付き合いだけれど、葛西の彼への態度は、今までの誰に向けたものとも違っていると感じていたから。

 かといって簡単に、協力するからガンバレよなんていう訳にもいかなくて、その話はそのままになっていた。見込みは薄いだろうと小松は思ったし、葛西もそれは感じていたはずだ。

 

 だから詳しい経過を小松は知らない。

 

『勇人さんに振られた』

 

ついこの間、その結果だけを本人の口から聞かされて、いつの間に告白したのかと内心驚いたくらいだ。

 

(まァ、普通はそうだよな…)

 

男が男を好き、なんていうのは外国だったら当たり前にあるらしいが、少なくとも小松はこの友人以外では聞いたこともない。

 

 一応、傷心である目の前の男に強くさっきの行動を注意するわけにもいかなくて飲み込んだため息をそのままに葛西を見ていると、視線に気付かれたのか相手の顔がくるりとこちらを向いた。

 

「義孝」

「なに」

「何でお前阿部さんのこと名前で呼んでんの?」

「はァ?!おっまえ忘れたとは言わせねェぞ?!」

 

突然の話題に小松は、可愛らしい部類に入る愛嬌のある顔を大きく歪めて抗議する。半年ほど前に2人でした賭けで自分がどんなに酷い目に合ったか、当の賭けの相手である葛西によもや忘れたなどとは言わせない。

 

「そうじゃねーよ、バツゲームの後もずっと呼んでんじゃん」

「あーなんつーか。成り行き?隆也さんおこんねーし、良いのかなって思いながら呼んでるうちにそれが普通になったっつーか」

「ふぅん」

「それに前栄口先輩も言ってたけどさ、隆也さんって怖いばっかりじゃねェんだよな。すげー面倒見いいし、もちろん怒られることも多いけどそれ全部オレのために言ってくれてるって感じする」

「……」

 

葛西が黙ったのを見て取った小松は、一度口を閉じる。この友人が自分が尊敬する先輩のことをあまり好ましく思っていないということを、小松もうすうす感じ取っていた。

 2人の間に何があったのか、夏を過ぎた辺りから阿部と葛西の間に出来た距離を、自分だけでなく気弱な先輩も感じ取っていたと聞いていた彼はこのまま話を続けていいものかどうか一瞬迷う。

 

「武人は、隆也さんが苦手か?」

「別にそういうわけじゃない」

「ならいいけど」

「義孝は好きそうだよな」

「まァ、尊敬してるし。すげーって思うよ」

 

先輩への率直な感想を述べる小松を、葛西はふーんと面白くなさそうに見てくる。葛西はクールだなんだのとよく言われるけれど、その実は非常に分かりやすい性格をしているし、案外子供っぽいところがあると小松は知っている。好き嫌いははっきりしているし、大切なものを大事にする代わりにそうでないものに対してはかなりおざなりだ。

 

「じゃあオレも隆也さんって呼んでみるか」

「マジで?!いーんじゃね?」

 

だから思いがけない葛西の言葉に小松は喜んだ。なんだ、やっぱりそんなに嫌ってるわけじゃないんだな、と。間違ってもこの男は好きでもない相手を名前で呼んだりしない。

 

「そーする。まァ、半分は嫌がらせだけどな」

「?」

 

なにやら不穏な響きが最後の方で聞こえた気がして相手を見るけれど、葛西はただ、キレ長の目を細めて端整な笑みを向けてくるだけだった。口の端もくいと上げた不敵なその表情は悔しいけれど、似合っている。

 

 葛西はす、と小松の目の前に右手3本を突き立てた。

 

「義孝、こっから購買まで競争な」

「はァ?!」

「オレに買ったら勇人さん名前で呼ばせてやる」

「マジで?!ってなんでお前の許可がいンだよ!!」

「お前がいつまでたってもテストで平均いかねェからだろ」

 

事実を突き付けられて、ぐ、と言葉に詰まる小松の顔の前で指が一本減らされる。

 

「オレが勝ったらじゃあ今度は泉さんを孝介さんって呼ぶ」

「てっめ!!泉さんまで!!」

「勝てばいーだろ。勝てンなら」

 

にやりと底意地の悪い顔を見せて葛西の指がまた一本減らされて、残りは人指し指だけになった。

 

「行くぞ?」

「来い!」

 

2人の間に立っていた指がゼロになる。

 

 と、同時にダッ!と2人分の足が地を蹴って広くはない通路に勢い良く響き渡るのは慌しい駆け足の音。冷やりと校舎の外を駆けるゆるい風なんてものともせずに、元気良く走り出した小松と葛西の勝負の行方は早速、本日の放課後明らかになるのだった。