「――――――は?」

 

眉目秀麗、文武両道の名を小学に引き続き大学でも欲しいままにしている秀才が、普段の彼からは想像もつかない間の抜けた顔と返答をしたのも致し方ないことだった。

 

「だから、大学の休みを使って才に行って欲しいと言ってるんだけど」

 

しかし目の前の鮮やかな赤い髪をした少年のような面影を持つ慶国の至宝は、夕暉にとってはとんでもないことを何でもないことのように繰り返した。

 

「……何を言ってるんですか」

 

数秒呆れ果てて物も言えない夕暉だったが、そこは大学きっての英才と謳われる彼である、素早く思考を切り替えて逆に王に対してはぞんざいとも言える口調で聞き返した。

とは言っても今の彼女はこざっぱりとした男物の服に、美しい赤糸を無造作に束ねているだけなので、造作の美しさは目立ってもよもや王であるなどと思う者が在るはずもなかった。

 

冷静に切り返してくる夕暉に、女王は満足そうに笑った。

 

「鈴がね」

「!」

 

びくり、と肩が動いたのが自分でも分かって、しまったと夕暉は思う。

が、もちろんそんな彼の同様を見逃してくれる彼女ではない。

にっこり、とことさら綺麗な微笑を浮かべて少女は素知らぬ振りで話を続けた。

 

「才国にお礼に行きたいと言うんだ。以前書簡は送ったけど、きちんとお礼を言いたいって。鈴が才国に行きたがってたことは知ってた。でも今まではその願いを叶えてやる余裕がなかった」

 

まあ、今でもあんまり余裕はないんだけど、と苦笑しながら彼女は言う。

 

「それでも何とかみんなのお陰で軌道に乗ってきたんじゃないかなとは思ってる」

「新王が当極してから、慶国はとても活気が出てきたと思います」

「うん、ありがとう」

 

照れたように笑って、しかし彼女はすぐに元のひとくせある笑みを見せた。

 

「それで、鈴に才を訪ねてもらって、ちょっと誼をつくっておこうかとね、思ったんだ」

「なるほど」

 

それは賢いやり方であるように夕暉にも思えた。

鈴は慶国の中で誰よりも才と関わりを持っている。その任は、彼女にうってつけのものだ。

 

「まあ、あちらには私的な用事と言ってあるから特別畏まる必要もないだろうと思って、鈴ともう一人、彼女の護衛を同伴させると言ってあるんだ」

「………はあ?」

 

またしても夕暉は間の抜けた、というよりも驚愕にちかい声を吐き出した。

 

「まさか、一国の王に使いを送るのにたった二人の使者で済ませようとしてるんですか?」

「うん、私もさすがにそれは失礼だと思ったんだけど、六太くんは問題ないと言っていたし、采王も二人で構わないと言ってくれたんだけど」

「…………」

 

そこで延麒に指南を仰ぐこと自体が間違っている、と夕暉は思うが口には出せない。

しかし采王もなかなかに器が大きいと言うか、おおらかというか。

案外格式を重んじる王宮は少ないのだろうかと夕暉が余計な心配をしたのも無理もないだろう。

 

「それで、」

 

今度こそ呆れて物が言えない夕暉に、苦笑しながら陽子は告げた。

 

「その護衛を夕暉にお願いできないかと思って。大学の休みは長いから、二月くらいなら何とかなるだろう?」

「………まあ、二月程度なら。しかし問題はそこではないでしょう」

 

頭を抱えたい心持ちで夕暉は盛大にため息をつく。

 

「一介の学生である僕に、国士の護衛が務まるわけがないでしょう」

 

至極最もな意見に陽子は、挑戦を受けて立つ剣士のようにぴくり、と眉をあげた。

 

「しかし夕暉は大学でも文武両道で名高いと聞いている。そりゃあ浩瀚ほど博識ではないかもしれないし、桓魋ほど剣技に長けているわけではないかもしれないが、彼らに白羽の矢を立てることが出来ない以上信頼の置けない者に鈴を任せるよりは、と私は思うのだけど」

「…………」

 

彼女の言うことは自分の提言よりもさらに最もで、夕暉は思わず口を噤んだ。

 

それになにより、と彼の態度に満足した様子で君主は付け足す。

すうっと意地の悪い形に翡翠の煌びやかな瞳を細めた。

 

「他の男と鈴が二人きりで二月も旅をするっていうのは、夕暉にとって非常に思わしくない事態なんじゃないかと私は思ったのだけど?」

「……っ」

 

いとも簡単に核心を突かれて夕暉は息を詰めた。

そんな夕暉をにこにこというより、にやにやと陽子は見つめる。

 

「どうする?」

 

ほとんど答えの決まっているであろう問いを、敢えて王は青年にぶつける。

夕暉はしばしの沈黙のあと、堪えきれない小さな吐息を漏らした。

 

彼女の良いように遊ばれている自覚はあるが、かといって鈴が自分以外の男と長期間二人きりでいるなど、まったく耐え切れることではなかった。

凛とした瞳を目の前の少女の深い緑に重ねて、深々と頭を下げた。

 

「謹んでお受けいたします」

 

自分の言葉に女王が満足そうに微笑んだのが雰囲気で分かって、やはり彼女には適わない、と諸手を挙げたい気分だった。